新人作家の新・食エッセイ
5月
22日月曜日
新・きょうのお料理Back Number
きょうのお料理Back Number
About the Author
Mail to the Author
 

 


 #57 姪たちの時間

 

 ひさしぶりに帰省した。
 いつもなら揃って出迎えてくれるふたりの姪が家にいない。聞けば塾に行っているのだという。
 上の姪は中学三年生。受験の年だ。
 下の姪は小学五年生。来年、中学受験だ。
 なるほど勉強に忙しい時期かと思ったけれど、ふたりの予定を聞いて驚いた。
 上の姪は、この日の午後六時から十時まで模試。下の姪は翌日の朝からやはり模試で、午後いっぱいテスト結果の講評を聞くのだという。
 帰省したのは土曜日だったのだけど、この週末が特別かというとそうではないらしい。平日も学校が終わると塾へ直行。夜遅くまで授業を受けるているのだそうだ。
 夜がだいぶ更けてから、ふたりの姪が「遊ぼう」と現れた。
「遅くまでたいへんだったね」
 と声を掛けた。
「しかたないよ」
 と上の姪。
「しかたないのか」
「そう。勉強しなかったら高校に受からないもの」
 いまは少子化時代。受験生の数は減る一方で、高校の数は変わらないから、

受験は楽になるはず

ではないのか。
「最近は倍率が低くなったのではないの?」
「そんなことないよ」
 上の姪はわたしが卒業した公立高校を目指している。この高校はかつて市内で二番手くらいの高校だった。進学塾に通わなくても学校の授業をちゃんと受けていれば合格できた。それが、
「学校でひとりかふたりしか合格しないの」
 ということだった。
 子供の数が減っているのに、受験競争が激しくなる理由がわからない。訊いてみると、市内に限られていた高校の学区が大きく拡がり、他の市の受験生も入学試験を受けられるようになったらしい。でも、これだけで受験競争が厳しくなるものだろうか。
「友だちもみんな塾通いなの?」
「だいたいそうだね」
 実家のすぐそばに姪が通う塾があるのだが、それは大会社の自社ビルのように巨大だ。大学受験の予備校を兼ねているにしても大きい。半端でない数の生徒が通っているようだ。親が車で送り迎えしないと通えないほど遠くからも生徒が来るそうである。
 こんな様子を見聞きすると、塾がどんどん生徒を集め、内部で競争が加熱することで、志望校が狭き門になっているように思えてならない。
「おじさんは塾へ行った?」
 と下の姪に訊かれた。
 小学生のとき数カ月通ったことがあったが、その内容は実にのんびりしていて、予習復習をやるくらいのものだった。模試ばかりなんてことはなかった。
 そんなに勉強して将来どんな大人になりたいのか訊いてみたかったが、なんだか姪たちを追いつめる質問になりそうでやめた。
 わたしは姪からたくさん学校写真を見せてもらい、お喋りをしながら、自分が子供だった頃を思い出していた。
 姪たちと比べたら遊んでばかりの日々だった。
 レコード店や楽器店に入り浸り、書店を梯子するといった具合だった。そして、よく近所にある小さな山にひとりで登った。
 この山は取り立てて特徴のある山ではない。使われなくなった古い電波塔があり、視界がぐっと開ける茶畑があり、藪をかき分けなければ進めない小径があった。あとは、尾根伝いに行くと私鉄電車で三つほど先の町に行けるというだけ。この尾根を、小学生のときから大学受験に失敗して一年間浪人した年まで十余年、行ったり来たりした。
 なぜ山に行ったのか。
 散歩とか景色を楽しむといった、はっきりした目的はなかった。しかし、息を切らせ薄汗をにじませ黙々と歩く尾根は、わたしがひとりっきりになれて、勉強のこと友だちのこと家のことなどを何もかも忘れられる場所だった。雨降りや真夏の暑さが厳しければ、なお一層だった。
 小学生のときは小学生なりに、浪人生は浪人生なりに、掴み所のない感情を抱え込んでいた。それは不安であったり憤りであったが、なぜこんな気持ちになるのか理路整然と説明できるものではなかった。説明できないくらいのものだから、考えるだけでは解決できなかった。
 だが、悩んでもどうしようもないものが、目的もなく黙々と歩くことで、毒気を薄められたのだった。違う風景、違う空気、そして足腰の疲れや汗が関係していたのだろう。体ごと、不安や憤りから抜け出していたのだ。
 尾根を歩く時間があったら、数式をひとつ完璧に憶えられたに違いない。でも、大人になっても忘れられない白紙の時間を持てたことがうれしい。いまとなっては得難い貴重な時間だ。この書き込みのない余白はいまだに頭の一郭に残っていて、やることなすことうまくいかない行き詰まったとき、双六の

「一回休む」のような休憩場所

として役立つことに、つい最近気付いた。
「一回休む」の場所で、わたしはわたしをすこし取り戻す。それは諦めとか達観とも違う感覚だ。誰にも煩わされない自分の居場所に帰る、というふうだ。
「さてと、勉強しようかな」
 とひとしきり遊んだふたりが離れにある子供部屋に戻って行った。
 離れの窓に灯った明かりを見ながら、姪たちにわたしにとっての山の尾根のような場所はあるのか考えた。
 ふたりには、わたしの子供時代と違い時間がない。目的のないことなんて、やっていられそうにない。
 ふたりが大人になったら尾根を歩いた話をしてみようと思った。学歴とはまったく別の価値が、子供の頃ひたすら歩いた時間にあったよと。
 おじさんは暇だったのね、と言われるかもしれない。あるいは、わたしにもそんな時間があったと、白紙の時間の思い出を話してくれるのか。

 
 
Copyright 2006 by Bun Katou, Boiled Eggs Ltd. All rights reserved.