新人作家の新・食エッセイ
8月
7日月曜日
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 #62 スーパーはドラマチック

 

 先日、新聞を読んでいたら、スーパーなんかに男が行けるか、と頑なに買い物を拒む男性の話が載っていた。わたしは大学に通うため上京をして自炊をはじめたから、否応なくというよりも自然にスーパーに足を向けるようになったので、この男性の気持ちを理解しかねた。
 買い物に行かなかったら、飯が食えない。外食ばかりしていたら、財布が干上がってしまう。もしかしたら、この男性は結婚する前も、してからも、上げ膳据え膳の暮らしだったのかもしれない。こういった暮らしをしていると、自分で食料品を買うなんて考えられなくなるのか。
 上京してはじめて行ったスーパーは下町の個人経営の店だった。まだPOSシステムはなくて、売り物に貼られた値札のシールを見て、店員がレジのキーを打っていた。買ったものは、というか乏しい資金で買えたものはせいぜい味噌、醤油、キャベツ、豚バラ肉、玉子といったところ。野菜炒めをつくるほかに、どうしたらおかずのバリエーションができるか、実験と試食の連続だった。あるとき豆の水煮缶とトマト缶が特価で放出されていて、これを使ってなんとなく高級そうなスープがつくれたのには感動した。それからというもの、特価品、処分品が宝の山に思え、血眼になって非日常料理に化けさせられそうなものを探したものだった。
 スーパーへ通う日々は続き、わたしは引っ越しのたびに、あたらしいスーパーを見つけ、臆せず入った。最適なスーパーを見つけることが、

引っ越し先を決める重要課題

のひとつでもあった。
 スーパーには共通言語がある。どこのスーパーも、野菜、魚、肉、豆腐などの日配の順に陳列が並んでいる。体と頭が慣れてしまえば、迷うことなく、行ったり来たりすることもなく品物が買える。ただし、瓶ものや乾物となると店によって棚の並びが違う。こちらは、はじめて入った書店でどうにもこうにも目当ての本が探し出せないのに似ている。小説はどこか、新書はどこか、本は著者名のあいうえお順なのか、分類順なのか。見知らぬスーパーで戸惑うのはここだけである。
 こんなふうに自炊をはじめてからかれこれ二十数年間、スーパーで買い物をしている。結婚してからは、妻がキッチンを支配するので、いつもいつも買い物の主導権を握っているわけではないが、それでもスーパーに必ずくっついて行く。
 晩年の永井荷風は下駄履きで籠を下げて買い物をしていたらしいが、きっとひとり暮らしのいい気晴らしになっていたのではないかと思われる。物を買うというのは、なかなか楽しい。たとえキュウリ一本買うだけであっても、店には実に自然に「お客は神様」の演出がなされている。こちらとしては、一本数十円のキュウリを買って、ふんぞり返る気持ちは毛頭ないけれど、えらくなったような主人公になったような気持ちにさせられるのである。ほんとうに不思議なことだ。
 スーパーに入った途端にこれだから、一歩一歩店の奥深くへ進むうち、もう主人公たる自分しか見えなくなる。奥さんたちが夢中になって、ときに傍若無人にカートを走らせる理由が分かろうというものだ。
 キュウリを買い、菜っ葉、大根、ネギと野菜を籠に放り込み、鮮魚コーナーを眺めまわす。この段階で、いつの間にか貨幣価値が三桁を上限にして、下二桁の何十何円が重みを持つものにすっかり変えられてしまっている。塩鮭の切り身のパックを手にとって、二百五十八円のものと、二百六十五円のものとの違いを納得がいくまで観察しないと先へ進めないのである。それは経済学というより、極めつけのリアリストの目である。こうして、神様だったはずの自分が、とてもケチになっていることに気付くのだ。
 自問自答が増えるのは、この頃からである。
 何十何円の差だけ、品質に違いがあるのか。料理をしてテーブルに載せたとき、何十何円の差だけ満足感があるのか。それ以前に、いま本当に塩鮭が食いたいのか。いやいや、冷凍にしておけばいつまでも保つぞ。しかし、塩鮭を買わず奮発して刺身を買ったほうが、食が進むのではないか。
 だんだん大局が見えなくなってくる。細部にこだわり、買い物の全体像がぼんやりしてくる。ケチケチしながらも、ついつい余計なものに手が伸びる。
「きょうの晩ご飯、何にしようか」
 妻がこういうとき、彼女もまた買い物の迷路の中にいるのだ。それはだいたいスーパーの最終コーナーともいえる精肉の冷蔵ケースの前である。わたしも

スーパーの魔術にかかり朦朧

となっている。いったい何を食べたいのかさえ、わからなくなっている。
「なんでもいいよ」
「なんでもいいでは、困るわ」
 そこで籠に放り込まれた品々を点検して、レシピを検討することになる。
 魔法から解放されるのは、レジで精算するときだ。ピッピッとPOSがバーコードを読んで行く。後には引き返せない一方通行である。余計な買い物や、戦利品ともいえる選択に一喜一憂する。
「ありがとうございました」
 と頭を下げられ、セルフサービスの詰め替え台へ。まだ興奮が冷め切らないまま、袋に買った品物を詰める。
 ここに至り、スーパーには日経新聞が伝えるものとは別種の経済の力学が働いていることに気付く。思いきり感情移入できるドラマを楽しませてくれてありがとう、だ。日常の中の日常の買い物なのに、ちょっとした冒険を終えた気分だ。
 スーパーなんかに男が行けるかなどと思っていたら、もったいない。
 わたしは半額セールになっていたばかりに思わず買ったソラマメをつまみにしてビールを飲みながら、思う。いまどき、薄暗いバーのカウンターにも女はいる。あの静かで、チェストが体と一体になって、自分がバーそのものの空気に同化するような喜びは、かつて男だけのものではなかったか。ガード下のモツを焼く煙にまみれた一郭にも、女は進出して、串を片手にビールのジョッキを呷っている。女たちだけに領土を拡張させるのでなく、男も未知の密林を開拓すべきではないか。
 ご飯できたわよ、の声がキッチンからかかる。
 買い物の成果がいかばかりだったか。二度目のお楽しみが待っている。

 
 
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