新人作家の新・食エッセイ
8月
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 #63 結婚祝い

 

 友人のSが結婚した。
 Sに結婚祝いを贈ろうと、プレゼントを考えたがなかなか名案が思いつかない。
 Sは趣味にうるさい男だ。スーツはきまったテーラーで仕立てたものを着ているし、鞄に至っては職人に特注してサイズからポケットの位置まで徹底的にこだわったものを使っている。
 だが、贅沢をしているわけではないのは、いわゆるブランドものにまったく関心がないことでわかる。そして、あつらえたものは丁寧に使い続けている。修理ができないものは買わない。これがポリシーになっている。
 このことが端的に表れているのは靴選びだ。
 彼には

三万円ルール

というのがあって、三万円台の靴しか買わない。
 たとえば一万円の靴を買ったとする。一年も履けば、あちこち傷む。修理に出すと、あれこれ直して買い値と同じくらいお金が掛かる。大概の人は、元が一万円の靴だし、修理にお金を掛けてまで履き続けるのは無駄と、新品を買い直す。これが一万円の靴の価値だと彼は言う。
 では三万円台の靴はというと、すり減ったヒールを交換したり、傷んだソールを貼り替えても、三万円の元値に対して修理代は相対的に安い。しかも、このくらいの値段の靴になるとつくりがしっかりしているし、致命的に傷むまえにこまめに修理をし続ければ二十年は十分履ける。一万円の靴を、一年に一足、二十年間買い続けたら計二十万円。三万円台の靴は、二十年間でせいぜい数万円の修理代で済む。だから気に入った三万円台の靴を、色違いで三足買っても、高い買い物ではない。むしろ、一足を履く割合が減って、靴の傷み具合は三分の一になり、ますます寿命が延びる。
 だが四万円の靴となると、分不相応になるから買わない。車で送り迎えされる身分でなし、満員電車にも乗らなければならない。足を踏みつけられても、涼しい顔でやり過ごさなければやっていられない。彼は、四万円の靴を踏みつけられたらきっと平気ではいられないだろうと言った。
 靴はあくまでも実用品。そのうえで、満足感と経済性が両立するものが、経験からいって三万円台のものになったというわけだ。
 こんなふうにSは靴を買い、ひとり暮らしのマンションの靴箱をいっぱいにした。もうこれで何か特別なことがないかぎり、一生靴を買わなくてよくなったと言っている。
 一事が万事こうだから、プレゼント選びが難しいのだ。
 そこで、結婚祝いは発想を変えることにした。
 Sへの祝いの品ではなく、奥さんへのプレゼントにしよう。でも問題は、わたしが奥さんをよく知らない点である。また、奥さんへのプレゼントといっても、Sとも関わりがあるわけだから、彼が渋い顔をするようなものは選べない。
 考えた末に、

フライパンはどうか

と思いついた。フライパンなら、趣味嗜好と関係ない。実用性は満点。耐久性もある。きっとSも喜んでくれるに違いない。
 ありきたりのフライパンなら嫁入り道具の中にあるだろうから、なかなか買えないものにするのだ。どこででも手に入るテフロンのフライパンは論外である。合羽橋の道具屋街に出掛けて探すのがよさそうだ。
 わたしは調理器具をこれでもかと売っている合羽橋の道具屋街が好きなので、出掛けるまえから想像を巡らし楽しんだ。
 銅製品はどうだろう。銅は熱の伝導率がよくて、赤く輝くさまが美しい。しかし、問題は使い勝手だ。銅は手入れが難しく、知らぬ間に緑青の錆ができる。緑青は毒だから、やっかいだ。飾り物にするならともかく、実用性がなくてはプレゼント失格である。
 すると、やはり鉄製か。
 鉄のフライパンといっても、合羽橋なら大きさ、重さ、かたちといろいろな種類を売っている。プロ用の大きく重いものは日常使いに適さない。適度な大きさで、鍋の側面のせり上がりが緩やかな角度になっていて料理をするりと皿に移せるものがいい。
 しかし、だ。鉄のフライパンは「儀式」を終えてからでないと使えない。慎重に、丁寧におろさないと後で後悔をする。たぶん奥さんもフライパンのおろしかたを知っているだろうけれど、念のために一文を添えようと考えた。
 儀式は、まずカラ焼きをして錆止めを剥がすことからはじめる。強火で熱するとともに鉄の肌は青黒くなり、もうもうと錆止めの塗料が煙をあげる。
 錆止めを剥がし終えたら、油を張ってまた熱する。
 ここまでやっても、まだ使えない。
 続いてキャベツの上葉や屑野菜を炒める。鉄の肌に油が馴染んでいないから、野菜はきれいに炒めることができず、まだらに焼け焦げる。こんな状態で玉子を焼いたら、鍋肌に貼り付いてたいへんなことになる。
 繰り返し屑野菜を炒めることで、なんとかフライパンに油が馴染み、料理に使えるようになる。しかし、これで終わったわけではない。日々使い込むことによって、フライパンは成長していく。長い長い道程があってはじめて鉄のフライパンは本領を発揮するようになる。だから使い込んだ鉄のフライパンはおろそかにできない。
 しかし、このくらい気を遣って使いはじめても、鍋肌を焦げ付かしてしまうことがある。
 原因はほんの一瞬の油断であり、気の緩みだ。出会い頭の衝突事故のように、あっと思ったときにはもう遅い。そして、丁寧に焦げを落とし、また慎重に使いはじめても、どういうわけか焦げ付かせた場所が元通りにならない。どんなに用心深く料理をしても、また同じ場所で焦げ付きがおこる。せっかく使い勝手のよくなったフライパンが、ちょっとした不注意で取り返しのつかない傷物になるととても悲しい。
 ここまで考えて、ふと思った。
 人の心も同じではないか。
 夫婦を続けていると、思わぬことで互いの心に小さな傷ができる。その傷は容易に消し去ることができない。心を入れ替える、という言葉があるけれど、心はフライパンを買い換えるようなわけにいかない。
 なんだか教訓じみていて、結婚祝いにフライパンは向いていないような気がしてきた。
 プレゼント選びが振り出しに戻ってしまった。

 
 
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