|
#64 分別収集の日
最近はゴミを捨てるのも一苦労だ。
以前は生ゴミだろうとなんだろうと一緒くたにして捨てればよかったのが、近頃はゴミの種類ごとに収集日が決まっている。ちなみにわたしの町のゴミの分類方法は八つで、家庭ゴミ、燃えないゴミ、使用済み乾電池、スプレー缶、プラスチックゴミ、缶・瓶・ペットボトル、小さな金属類、古紙・古布だ。そしてさらに、予約制の大ゴミがある。
このルールが知らされたときは、ややこしいながらもなるほどとわかったつもりになったが、いざ捨てる段になるといちいち考えさせられる。
いま家の物置を片付けているのだが、これが手に負えない。
何曜日に、どんなかたちで、捨てたらよいのか
わからないものばかりなのだ。
壊れて使えなくなった電話機が二台ある。一台はテープ式の留守番機能がついたもの。もう一台はただのプッシュ式だ。
予約制の大ゴミとして出すには電話機は小さい。では燃えないゴミなのかと思って念のため清掃局のチラシを調べたら、燃えないゴミはガラス、陶器、蛍光と電球だけだった。
このチラシを見ていたら、「小さな金属類」の説明に「なべ、やかん、フライパン、トースター、ワイヤーハンガーなど」と捨ててよいものの例があり、これらは「粗大ゴミの対象とならない物(おおむね30cm未満の大きさ)」と書いてあった。
トースターは電器製品だ。小さな金属類というには違和感があるが、ルール上はここに分類されている。トースターが含まれるなら電話機も小さな金属類かと思ったら違った。
「ドライヤーやラジカセや電話機など、おおむね50cm未満のものは家庭ゴミに、より大きなものは粗大ゴミとして出してください」
電話機はプラスチックの部分が多いので、小さな金属類ではないと解釈されるらしい。それだったら家庭ゴミではなくプラスチックゴミに分別するほうがふさわしくはないか。
そこでプラスチックゴミについても調べると、ボトルとかビニール袋の類だけで、金気のものはすこしも混ぜてはならないらしい。
電話機の分別方法について答えは出た。清掃局がいいと言っているのだから、堂々と家庭ゴミと同じ袋に入れればよいのだ。
だが、捨てかたを迷うものは電話機だけではなかった。もっと簡単に分別できるはずのものが、捨てられない。それは古い荷物の中から出てきた青い小さな球だ。これはたぶん、実家にあった「幸せの木」の部品に違いない。
わたしが高校生だったときのことだ。夏の夕刻、母がパートから帰って来た。手に手提げの紙袋を持っていた。母は居間に入ると、手提げの中のものを取り出した。
丸い台座に、ボールペンのような棒が突っ立ち、その先端から無数のピアノ線が柳の枝のように飛び出していた。ピアノ線の先には、色とりどりの球が付いていてゆらりゆらりと揺れる。
母はこの飾り物を「幸せの木」だと言い、うやうやしくテレビの上に置いた。
飾っておくと幸せになれる。だから貰ってきたというのだが、わたしには子供だましのおもちゃにしか見えなかった。
この一年前、父が経営していた会社がヤクザものの悪巧みで倒産した。身ぐるみ剥がれるという言葉が喩えでなく、お金をすべて騙し取られたのだった。父は職を求め、東京でひとり暮らしをはじめた。そして、場末の高利貸しで経理から取立までする仕事に就いた。家族の生活を一日でも早く立て直すには、これしか手だてがなかったのである。父は古ぼけた木造の風呂なしアパートで寝起きし、食うものも食わず、稼ぎのほとんどすべてを家族への仕送りと、貯金に充てていた。父のいない家はどんよりした空気が漂って、毎日が出口のない感じだった。
子供だましのおもちゃにすがれば幸せになれるなんて馬鹿げている。母がこんなものを信じていると思うと、腹が立った。
わたしは幸せの木を、床に思い切り投げつけた。ピアノ線から球が外れ、ばらばらと散らばった。母は何も言わず、球を拾い集めてはピアノ線に挿していった。この後どうなったのかはっきり憶えていない。ただ、幸せの木は二度と目に付く場所に置かれることがなかった。
あれから三十年近く経った。どういう偶然か、
幸せの木の球がひとつ、
わたしの手元に残った。
いまなら、当時の母の気持ちがわかる。
母は父と共に闘い、泥沼のような日々をもがくように暮らしていたのだ。闘いながら、差し迫った生活の危機と混沌とした不安にさいなまれていたのだ。だからこそ、また幸せな日々が戻ってくることを信じたかった。この願いの拠り所が幸せの木だったのである。
母は奇妙な置物に頼ろうとしたのではない。明日が今日よりもましな一日に前進することを、置物を見て確信し、気を落とさずまた働こうとしていたのだ。その気持ちを、わたしは床に投げつけた。
悪いことをした。
わたしは青い球を前にして、心の中で母に謝った。だが、いまさら謝っても遅い。
青い球はプラスチックでできている。プラスチックゴミの収集日は明日である。しかし、わたしは幸せの木の記憶をどう扱ったらよいかわからず、青い球を処分できない。
これだけは誰も分別のしかたを教えてくれない。
■ |