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#65 豚毛の歯ブラシ
歯ブラシが半月と保たない。
ブラシの毛が寝癖みたいに拡がってどうにも具合が悪くなるのだ。
以前は「かため」というのを使っていたが、もしかしたら毛の固さが災いしているのかもしれないと、「ふつう」に変えてみた。するとおろした翌日に寝癖の兆候が現れ、三日もすると見るに堪えないありさまになってしまった。
幸いにも徳用四本パックを買ったので、すぐに新しいものに変えた。これもまた当然のごとく、瞬く間に毛が拡がった。
テレビのCMを見ていると、歯の隙間の汚れを落とすとか、奥歯まで磨けるなどと歯ブラシがいろいろな効能を宣伝するようになった。気が利いたことをしようとして、ブラシの寿命が犠牲になっているのではないか。あるいは、買い換えを促そうとわざと拡がりやすい毛を植えているのかもしれない。
と穿った見方をしたのも、カミソリの替え刃で騙されたことがあるからだ。近頃の替え刃には、すべりをよくする潤滑剤のようなものが付いている。この潤滑剤は最初は青いのだが、使ううちにだんだん色がはげていく。説明書きに、色がなくなったら刃の交換時期だとあったから、これをずっと信じていた。あるとき無精をして、潤滑剤の色が消えても刃を使い続けたことがあった。たしかに新品の切れ味ではないが、それでも実用上問題はなかった。ついに三カ月め、なまくらになった刃を替えた。潤滑剤の色は目安でもなんでもなかったのだ。
これと同じように、歯ブラシもどんどん新品が売れるようにと業界揃って画策しているのではないかと疑っていたら、そんなことはないと妻に笑われた。
妻は言う。わたしの歯ブラシは毛が拡がったりしない。あなたの使い方が悪いのではないか。力を入れて磨きすぎなのだ。歯茎が傷だらけになっているかもしれない。だいぶ前に電動歯ブラシに凝って四六時中使っていたら、歯科医に歯茎が傷だらけになるからやめろと注意された。
どこかで聞き覚えのあると思ったら、
三十年以上前に母がこぼした
言葉だった。
「お父さんが歯医者さんに怒られたのよ。力を入れて歯を磨きすぎるから、歯がすり減っているって」
だとすると、父の歯ブラシもすぐ使い物にならなくなっていたのではないか。
父の歯ブラシは、豚毛だった。
いまはどこにも売っていないが、豚毛のブラシは茶色い色をしていた。色は一様でなく、ところどころ白や黒が混じってぶちになっていた。そして、こころもちナイロンの歯ブラシより、毛が生えた頭の部分が大きかった。四人家族の父を除く三人がいまとそう変わらないナイロンの歯ブラシを使っている中、ひとりだけ豚毛を使う父は別格なのだと思った。
別格といっても、それは歯ブラシだけのことで、父はいわゆる亭主関白ではなかった。むしろおとなしかった。わたしが悪さをしても、大声で叱らない。ちょっと芝居じみた感じで目を剥いてみせ、殴るぞと手を振り上げるが、この手が振り下ろされたことは一度もなかった。
そういえば、父の思い出には声がない。
日曜日になると、朝早くから黙々と部屋の模様替えをする。年末の大掃除に模様替えをするというならわかるが毎週やるのだ。父の頭の中にはあらかじめ家具などの配置図があるらしいのだが、ほかの家族にはわからない。手伝えとも言われないから、おもてに遊びに行って帰ってくると、家中が予想もしなかった景色に変わっている。これはとても落ち着かないことだった。どこに何があるかわからなくなって往生する。勉強机の上まできれいに片付けられていて、宿題のノートがなくなっていたこともあった。
模様替えで家具を動かし掃除をしていなければ、父は仕事をしていた。昼、夜、平日、休日の別にかかわらず、会社の書類を机いっぱいに広げ、ソロバンを弾いたり、ペンを走らせていた。
酒、煙草はやらない。だから、酔ってごきげんになっている姿も、煙草をくゆらせぼうっとしている姿も見たことがない。
でも、叔母たちは違った。父は女兄弟の中の黒一点だったが、叔母たちはそろって奔放でかしましいほうだった。父はどうしても行きたい大学が東京にあったが、親に強く反対され地元の国立大学に進んだ。しかし、叔母たちは親の言うことを聞かず、東京の服飾学院などに通った。結婚でも、見合いは父だけだった。叔母たちは、当時としては数少ない恋愛結婚である。そんな叔母たちが父を評して、「我慢が板に付いてる」などと遠慮なく言う。
父は思い通りの順風満帆な人生を歩んだとは言い難い。
勤め人になったときこそ、エリートコースに乗って出世頭となり、ずっと社宅の管理職棟にわたしたち家族より若い家庭はなかった。母は父が、皆が尻込みして貸付金の取り立てに行かないヤクザ者のところに乗り込み、一円たりとも残さずお金を返してもらった武勇伝を誇らしげに話していたが、それは損な役回りを負わされたということではないか。
そして、上役が仕事に悩み自殺した責任をなすりつけられ左遷される。父は左遷に耐えたが、四年後会社を辞めた。それからは小さな会社の経理をしたりしたが、あまりうまくいかなかった。機を見て事業を興し社長になったものの、人を信用して全財産を失った。
父は騙し取られたお金を取り戻すため、わたしたちを残し東京に行った。三年ほど家に帰って来なかった。四畳半一間、風呂なしの木造アパートで暮らし、後で知ったことだが街金で働いていた。なんとかお金をつくったものの、その後十年ちかくまともな仕事がなかった。いま父は七十歳を過ぎたが、いまだに経理の仕事を請け負って、一日中机に向かっている。
こうしてみると、豚毛の歯ブラシは父の唯一の贅沢品で、歯がすり減るくらいの歯磨きは、
酒や煙草や愚痴の代わり
だったのではないかと思えてくる。
酒も煙草もやり、ついつい弱気になるわたしは父の真似ができない。歯ブラシがすぐ駄目になるのは、最近の歯ブラシが悪いわけでなく、わたしが癇性でせっかちなせいだろう。父と似ているのは、歯ブラシの毛の開き加減だけだ。
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