新人作家の新・食エッセイ
10月
23日月曜日
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 #67 男は甘ったれ

 

 いまとなっては昔話の感もあるけれど、以前は女性社員のお茶汲みはあたりまえのことだった。
 大学を卒業し新入社員となったばかりの頃、ある女性の先輩から湯飲みかマグカップを会社に持って来るように言われた。そこで、水玉模様のマグを用意したのだった。
 すると翌日の朝、熱いお茶を満たした水玉のマグが、その先輩社員の手で配られたではないか。
 これがお茶汲みというものか、と知った次第である。
 その先輩社員が休みの日は、別の女性が配る。わたしが休まない限り、

黙っていてもお茶がデスクに

届くのである。毎朝、先輩社員にお茶を配られるのは、なんとも落ち着かないものだった。
「僕はいいですよ」と断ったことがある。すると、
「うーん、そうもいかなのよね」
 また次の日もお茶が目の前に現れる。
 なぜお茶を断れないのか、そのときは理由がわからなかったけれど、いま思えば“しきたり”を破ってひとりだけお茶を淹れない別待遇はできないということだったみたいだ。
 しかし、お茶汲みを居心地悪いと感じていたのは新入りのわたしだけだったみたいで、他の男性社員は平然としていた。中には、自分だけ紅茶にしてくれ、などという人もいた。
 お茶汲みはお茶を淹れて配るだけでなく、飲み終わったあとの湯飲みやマグを集めて洗って棚に片付けるまでが仕事だ。朝は何かと忙しい。会社が始まるのを待ってじゃんじゃん電話が掛かってくる。電話を取るのも若い女性社員という不文律があったし、中には女性社員宛てに掛かってくるものもある。給湯室とオフィスを行ったり来たりしていたら、仕事がスムースに捗らない。さらに朝だけでなく、何かというと「お茶をくれ」という上司もいた。
 それが、あるときお茶汲み禁止のお達しが出た。
 世の会社では、男女雇用機会均等法が発布されてから女性のお茶汲みが廃止されつつあったようだが、それに倣ったものみたいだった。
 すると、女性社員から不満が出るわ出るわ。お茶汲みがなくなったことへの不満ではなく、お茶汲みをさせられていた頃がいかに理不尽であったかの不満が吹き出したのである。
 お茶汲み廃止のお達しがでたあとも、「お茶ちょうだい」という年配の男性がいた。若い社員の中にも、来客というと「お茶を用意してよ」と口にする者がいる。
 お茶汲み廃止後の女性社員の返事は、
「廊下に自動販売機がありますよ」
 とか、
「お茶なら、湯沸かし器の栓を捻るだけですよ」
 とか、
「お茶を出すほどの相手じゃないでしょう」
 などなど。
 こんなのは序の口で、給湯室へ行くと「わたしたちのこと、奥さんかお母さんと勘違いしてるんじゃないの。いい加減にしてほしいわ」などと、凄みを効かせた声音で喋っていた。
 いまはもう飲み物を飲みたければ、ウォータークーラーからミネラルウォーターを汲むか、自販機で買うか、カフェからコーヒーを持ち帰るのが当然となった。最近の若い女性社員には信じられないかもしれないが、こんな時代があったのである。
 ところが、お茶汲みはなくなったけれど、お茶汲み的なものはいまだなくなっていないのだった。
 某日、某社主催の会食に呼ばれた。
 すると、見知った顔ぶれのなかに、はじめて会う若い女性がいた。となると、名刺交換をすることになる。その女性は、わたしが関係している仕事の裏方的存在の人だった。なるほど、それで会食に出席しているのか。
 乾杯が済むと、某社の偉い人がその人に言った。
「馬刺しと、焼き鳥を追加してよ」
 女性は「はい」と明るく答えて、厨房に声を掛ける。こんなことが何度も続く。彼女は周囲と会話を楽しむことも、のんびり食事をすることもできない。でも、いちばん若い人だし、立場上しかたないのかもしれない。
 やがて宴たけなわとなると、偉い人たちから「もっと、盛り上げよう」という声があがった。そして携帯電話を掛けている。
「もう、仕事は終わっただろ。○○に居るから、すぐ来なさい」
 しばらくすると、若い女性がふたりやって来た。
 ここで、わたしは落ち着かなくなった。急に呼び出されたけれど、彼女たちは彼女たちなりの予定とか、家でゆっくりしようと考えていたのではないだろうか。
 会食はお開きになり、二次会が催された。女性三名も同道となった。時刻は午前零時を過ぎた。電車がなくなる時間だ。店が看板となって会は終了。行き先のぶんだけタクシーが呼ばれ、皆が帰路に就いた。
 この日の集まりはなごやかだったし、女性を呼んだ偉い人は彼女たちをホステスにしようというより、楽しいから来なさいと声を掛けたに違いない。でも、である。三人の女性は、自分たちがその場にいる理由の奥にあるものを理解し、「華やぎ係」に徹しているみたいだった。
 お茶汲みはなくなったけれど、女性は会社員としての仕事以外に、女性であるがゆえの「仕事」をしなけばならないのだ。
 男女平等などと大袈裟に言う気はないけれど、女の人はたいへんだなと思う。女性であることの期待を裏切れないのだ。もしかしたら期待を裏切ることで失うものに、怯えているのかもしれない。
 そう考えると、化粧品の広告やファッション誌が痛々しく見えてくる。「男のためにきれいにしているわけではない。自分のためにしていることだ」と言うかもしれないけれど、その自分のための理由の中に、不特定多数の男の影がちらついてはいないだろうか。
 でも、かく言うわたしも立ち居振る舞い、言葉遣い、笑顔と、「女性らしい女性」、「女性らしくしている女性」が心地よい。色気はどうでもいいけれど、

女性がいる空気感

に気持ちが和む。紅一点に、期待するものがある。女性は素敵なものだ、というより甘ったれているのかもしれない。
 逆差別の声がある電車の女性専用車だが、これっぽっちのことなら男がすこしくらい我慢して、女性に専用の場所を提供してもいいじゃないか。
 女性はたぶん、もっと我慢をしている。

 
 
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