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#73 インターネットの片隅で会う
ある日の午後、お茶を飲んでいたら、なぜかI.T君の名前が脳裏をよぎった。それは連想とか、何かのきっかけがあってのことではなく、偶然としかいえない唐突なできごとだった。
I.T君は、わたしが八歳のとき静岡の小学校に転校して最初に仲良くなった友だちで、中学、高校と同じ学校に進学した。しかし大学は別々になり、以来ずっと音信不通になっている。
最後に会ったのは、高校の卒業式の日ではなかったか。二十数年前のことだ。
とても懐かしい気持ちがして、I.T君の名前をインターネットで検索した。すると数百件にのぼるホームページが結果として表れた。
ざっと見たところ、わたしが捜しているI.T君とは関係ない同姓同名の人物ばかりだった。
広いインターネットの世界を、名前だけを頼りに友だちを捜すなんて無理な話かもしれない。そもそも実名をホームページに掲載している人はすくない。
しかし、だ。簡単にまた会えるだろうと考え、今日までふたりの関係をほったらかしにしたままでいた。なんとしてもI.T君を捜し出してやろう。
検索結果として表示されたホームページをしらみつぶしに読んで行くうち、I.T君の思い出がありありとよみがえって来た。
I.T君は
小学生のときから理系少年
だった。
半田鏝だけでなく、テスターという電流や電圧などを測定する器械を宝物のようにしていた。そして、わたしにはちんぷんかんぷんなトランジスタやコンデンサといった部品を使って、いろいろなものをつくり出した。
手取り足取り教えられ、ゲルマニウムラジオをつくったことがある。ゲルマニウムラジオは鉱石ラジオともいって、電源をいっさい使わずに聴けるラジオだ。電子部品を使う工作の中では初歩の初歩らしい。
完成品は基板から長い銅線とイヤホンのコードが伸びていた。銅線はアンテナの役目をする。イヤホンを耳に入れ、可変コンデンサのつまみを回すと、本物のラジオのように放送局が切り替わるのだった。しかも、音もしっかりしている。
I.T君はゲルマニウムラジオの原理を説明してくれたけれど、それを理解するだけの知識がなかったから、いまだにどうして電池を使わずラジオが聴けるのかわからない。でも、自分の手でつくった回路でラジオが聴けた感激は忘れられない。
いろいろな局をとっかえひっかえし、時が経つのも忘れ深夜まで放送に聴き入った。そのとき聴いたイギリスのロックバンド「クリーム」の「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」は忘れがたい一曲になり、音楽が好きだったわたしは兄のギターで曲のフレーズを繰り返し爪弾いたものだ。
ジャンクという言葉を教えてくれたのもI.T君だ。地方都市静岡にも秋葉原にあるような電子部品屋が二軒あった。それらの店の床に無造作に段ボール箱が置かれていた。段ボール箱には壊れたラジオやテープレコーダや得体の知れない器械が詰め込まれ、ただ同然の値札がついていた。こういった本来の役目に使えないものがジャンク品で、分解して部品を取ったりする。
I.T君はジャンク品や新品の電子部品を買い、買い物に付き合ったわたしは、いっしょに彼の家に行った。
I.T君の部屋は自分でつくった立派なラジオや、発光ダイオードが点滅するおもちゃなどが山積みだった。その中に、「子供の科学」という科学雑誌も混じっていた。彼は小学生ながら「子供の科学」のレベルを卒業して、もっと高度な大人向けの本も読んでいたが、わたしにはこの雑誌がよかった。それからというもの、「子供の科学」を買うようになった。
I.T君のように、電子部品から音や光や動きを生み出したかった。だけど、いくら「子供の科学」を読んでもわたしひとりでは何もつくれなかった。でも、彼に嫉妬した覚えはない。とても純粋に、I.T君を尊敬し、彼は漫画のお茶の水博士のような立派な科学者になるに違いないと想像した。
自分の力を越えた能力のある身近な人物を、純粋に尊敬できたのは、このとき以来ないような気がする。
空振りを繰り返しながら、検索結果の末尾近くまで来た。
文具メーカーX社を紹介する新聞社のページがあった。
それは小学生が校外学習の一貫として工場見学をしたという短い記事だった。
写真が掲載されていた。工場の一郭で制服を着た技術者が小学生に説明をしている場面だ。好奇心いっぱいの表情をした子供たちの前にいたのは、大人になったI.T君だった。
I.T君が
シャープペンシルの芯のつくりかた
を小学生に解説していた。わたしは彼からゲルマニウムラジオの原理を聞いているような気分で記事を読んだ。
インターネットの中で彼が登場するのは、このページひとつきりだった。でも、わたしは満足した。
I.T君は写真と記事の中で輝いていた。
たぶん、懐かしさの光を反射して、輝きが増しているのだと思う。彼は工場勤務の会社員で、お茶の水博士にはなっていなかった。世界から注目を集める技術者でもない。
しかし、少年時代から続く科学の道を歩いているI.T君の姿が、わたしにはとても素晴らしいものに見えた。
キーボードを叩いて文字を書くことにすっかり慣れ、シャープペンシルはペン立ての中で出番がないまま埃をかぶっている。新しいシャープペンシルを買って、I.T君が開発した芯を詰めてみたくなった。
わたしは財布をポケットに入れると、文房具店に出掛けた。
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