新人作家の新・食エッセイ
5月
7日月曜日
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 #80 いい格好しい

 

 映画館でエレベータに乗ったのは私一人だけだったので、「閉」ボタンを押そうとしたら続々と人がやって来て、ぎゅう詰めの一番奥に追いやられた。

降りるときは最後

である。後から乗った人たちが先にエレベータを降り、劇場に入場する客の列に並んだ。
 一番最初にエレベータに乗ったのに、列の最後尾になった。その結果、よい席を取れなかった。
 こういう場合は、エレベータが目的の階に到着したら、「私が一番です」と声に出して言うべきなのか。あるいは、人をかき分け前に出るべきなのか。
 だが、そう思うだけで実行できない。
 似たようなことは他にもある。
 スーパーの会計に並んでいるとき、いままで無人だったレジに店員が入る。店員は、「お待ちのかた、どうぞ」と言う。私より後ろに並んでいた客が、どっとそのレジに殺到する。
 店員の声に、即座に反応できない。恨めしそうな目をレジに殺到した人に向けていたのであろう、逆にものすごい顔で睨み返されたこともあった。
 ことは列の順番待ちに限らない。
 仕事の打ち合わせの場面で、私は言いたいことがあっても、すぐ言葉にできない。特に反対意見が述べられない。反対しようと思っても、相手を立てるようなことを言って、気が付くと中途半端などっちつかずの意見になっている。
 遡れば子供の頃、友だちの家に招かれてお菓子を出されても、私は最後まで手を伸ばさなかった。がつがつするのはみっともないと思っていたのだ。おもちゃ屋で駄々をこねたこともない。好きなものを買ってやると言われても、自分から素直にこれがほしいと口にできなかった。そんなことを言うのは、子供っぽいと感じていたのだ。いまだに、そういうところは何も変わっていない。
 私は、いい格好しいなのだ。
 列に殺到したり、ほしいものにすぐ手を伸ばしたり、強烈な自己主張をする人のような逞しさが自分にもあればよいのにと思いながら、それが出来ない。いつも、待っていればやがて得な順番が回って来ることもあると自分を慰めている。
 だが、順番が回って来ないとわかり切っているものもある。
 恋愛だ。
 これには何度泣かされたことか。
 相手を好きだと思ったら、誰よりも早く気持ちを告白しなくてはならない。恋愛には補欠も二番手も存在しない。
 友人に恋愛上手な男がいた。この男の、女性を口説き落とす素早さには驚嘆するものがあった。
「何も考えないで、声を掛けるんだよ」
 と彼は言った。
 いい格好しい、とは考えて立ち止まる人種だ。考えるといっても高尚な思考や、論理的な検討をしているのではない。文字通り、自分が格好よく見えるにはどうしたらよいか考え、臆病になっているだけだ。
 では、いい格好しいの対極にあるものが、ずうずうしさや我の強さかというと、ちょっと違う気がする。世の中には、悪意を感じさせず、淡々と、いい格好しいの対極にある行動を取れる人がいる。
 コピーライターのXさんは小柄で、痩せていて、無口な人物だ。風采にも、物腰にも、押し出しの強さが一切ない。バーの棚で、人気のない目立たない酒がどんどん奥に追いやられ、ついにはバーテンダーさえ存在を忘れてしまうことがあるが、まさにそういう感じの人物なのだ。
 地味な仕事が多かったXさんが、広告賞を受賞したことがあった。
「人は見掛けによりませんね」
 酒の席とはいえ、こんなことを私が口にしたのは、若気の至りというほかない。
 すると同席した人が、Xさんはかなり若くして美しい奥さんと結婚し、五人の子だくさんであり、家庭は和やかで、郊外に自宅があるばかりでなく、投資用のマンションを持っていると言った。
「意外でしょう」
 Xさんは囁き、恥ずかしげに微笑んだ。
 酒を飲んだあと、二人で満員電車に乗った。座席にわずかな隙間があった。するとXさんは、慣れた様子で座っている人すべてに声を掛け、順繰りに詰めさせ、なんと二人分の空間をつくったのである。
「さあ、座れますよ」
 強引に人を押しのけたり、大声で強烈な自己主張をする人より、本当に逞しいのはXさんのような人だと思った。いい格好しいが

煮え切らない態度

でいる間に、目的に向かって自然体でどんどん進んで行く。人生にだいぶ差が付くだろうが、到底、真似ができない。
 いま目の前に買ってきたばかりのポロシャツがある。サイズがほんのすこし小さかった。タグを取っていないから取り換えてもらえそうだが、店に行くのはばつが悪く、二時間も考え込んでいる。
 今年の夏は、窮屈なポロシャツを我慢して着ることになりそうだ。格好悪いこと極まりない。

 
 
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