新人作家の新・食エッセイ
5月
21日月曜日
新・きょうのお料理Back Number
きょうのお料理Back Number
About the Author
Mail to the Author
 

 


 #81 ある言葉の死

 

 この頃、気になる言葉がある。
 何か不祥事が起きると、

「世の中をお騒がせして申し訳ありません」

 と謝る人がいる。また謝る前に、
「世の中を騒がせたことをどう思うか」
 とマスコミが訊く。
 何度聞いても、何を言わんとしているのか、何を期待して質問しているのか理解できない。
 もし、不祥事によって誰かを不安にさせ、その不安から騒ぎが起きて混乱が生じたのだとしたら、「かくかくしかじかによって、混乱をまねいたことをお詫びします」と言えばよい。だが、大概の場合は世間は混乱などしていない。すこしばかり不祥事が話題になっているくらいのものだ。
「世の中をお騒がせして申し訳ありません」は、世間で話題になっていることを恥じる気持ちが言わせるのだろうか。そうだとしたら、世間体を気にしているだけで謝罪になっていない。
 あるいは、テレビでよく聞く言葉だから、テレビカメラの向こう側にいる人々を気にして言っているのか。たぶんテレビカメラの砲列は無言の圧力になっているはずだ。なぜなら、マスコミは常に正義であるということになっている。世間の代表者ということになっている。世間が正義をかざして押しかけて来たら、世間に対して頭を下げざるを得ない気持ちになるのかもしれない。
 日頃、「説明責任」と判で押したように言うマスコミだが、「世の中をお騒がせして申し訳ありません」について、誰が、いつ、どのように騒がせたのかと追及しない。むしろ、この言葉を聞いて納得しているように見える。世間の正義の代表である自らに対して、悪者が頭を下げているような気になって、満足感にひたれるのかもしれない。
 そして、視聴者よ怒れ怒れと番組は報じる。テレビの前にいる世間の人々は、あたかも不祥事の被害者であるような気にさせられ、正義漢になる。他人から頭を下げられるのは気持ちがよい。正義漢になるのは、もっと気持ちがよい。だから、誰からも「世の中をお騒がせして申し訳ありません」には文句が出ない。
 これらが相まって、誰が言い始めたのか知らないけれど、「世の中をお騒がせして申し訳ありません」という意味を成さない言葉が謝罪をするときの定型になって流行るのだろう。
 言葉は他人に対して意志や考えを伝えるためにある。これが言葉の用途であり、唯一の使命だ。しかし、「世の中をお騒がせして申し訳ありません」が人の口から発せられ、耳に届くまでの一連のプロセスには言葉としての「実」がない。謝罪とは無縁の虚しさがあるばかりだ。
 私が中学二年生のとき級友がクラスの備品を不注意で壊し、
「壊れてしまいました」
 とホームルームの時間に担任のS先生に報告した。
「自然に壊れたのか、それとも壊したのか、どっちなんだ」
 級友は口を噤んだまま棒立ちになった。
「壊れたと、壊したは違う」
 とS先生は言った。
 クラスがしんと静まりかえった。
 あのときS先生が私たち生徒に伝えたかったのは、嘘や誤魔化しがいけないということだけではなく、言葉を不用意に使うな、弄ぶなという意味もあったように思われる。
 このようなことを書くと、考えすぎだと言われそうだ。謝る人は、言葉を弄ぶつもりで「世の中をお騒がせして申し訳ありません」とは言っていない。謝罪の言葉として一般的になったものが自然に口をついて出るのだ。「おはよう」や「こんばんは」には意味らしい意味はないが、誰も迷惑していないし、用が足りているではないか。心のこもった独自で正確な言葉を生み出すのは難事だ、と。
 定型の言葉がいけないというのではない。繰り返すが、言葉の用途と唯一の使命は、他人に対して意志や考えを伝えるためにある。ここから逸脱するものが、不用意な言葉遣いであり、言葉を弄ぶことだ。
 本来の用途から逸脱して道具を使えば、その一瞬は用をなすこともあるが、必ずいつかは故障する。
 言葉も、道具と同じように壊れる。「世の中をお騒がせして申し訳ありません」は、謝罪に至るまでにあったはずの様々な思考をうやむやにし、あるいは思考すらしなくても口にすることができる。何かを謝っているように聞こえるが、意志も考えも伝わって来ない。

既に壊れ、死んでいる

言葉だ。続いて、ことの本質である「謝罪」という言葉も連鎖反応を起こしても死ぬだろう。このように、影響は計り知れない。
 人は言葉で世界を知り、世界を共有している。一つの言葉の死は、世界への視野を狭くし、世界の拡がりを乏しくする。積み重なれば、世界のある部分をまるごと消し去る。
 謝る人を例にあげたが、以上は私自身の自戒でもある。

 
 
Copyright 2007 by Bun Katou, Boiled Eggs Ltd. All rights reserved.