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#85 柳原可奈子から思うこと
つい先日、電車の中で目が釘付けになった。
一人の女子高生がつり革につかまって立っていた。やせぎすで細面で、夏の太陽の光で焼けたと思われる肌の色は野生の動物のようで、ショートカットの髪は黒く、目も口も鼻も男の子のような鋭さがあった。ちょっとだけ
若い頃のジェーン・バーキン
のようだ。
品行方正なほうではないらしく、ローファーの踵を踏みつぶして履いている。半袖の白いブラウスのボタンも下着が見えないぎりぎりまで外しているし、制服のスカートも超ミニだ。
だけど嫌な感じがしないのは、やはり彼女の風貌と佇まいによるところが大きいように思われた。嫌な感じがしないどころか、もし許されるなら写真に撮りたいくらいだった。
一般的な美少女というのとは違う。ファニーフェースの部類だろう。もしかしたらあの表情は、何かに怒っているのかもしれない。それは私も経験したことのある、あの年代独特の対象がはっきりしない怒りなのではないか。と同時に、当惑も混じっている気がした。自分自身が何者かわからない、だから肉体も精神も御しきれない当惑だ。
生きている女の子の顔を見たと思った。
もし私が映画監督なら、こういう女の子を主人公にして短編を一作つくりたい。それはジュブナイルでもあり、一般映画としても魅力的な作品になりそうだ。
最近の若い人は、男女ともに同じタイプ、同じ顔が増えたように思えてしかたない。特に女は、髪を染めて流行りのウェーブにし、マスカラを黒々とさせ、あとはどういうふうにしているのかわからないが化粧である一定の顔をつくろうとしている。
いわゆる○○ちゃんスタイルだ。○○には、ファッション誌で人気のモデルの名が入る。
みんながみんな化粧やファッションのオリジナルをつくり出せるわけではなく、だからファッション誌とモデルに需要があるわけだが、やりすぎではないかという気がする。
渋谷や新宿の若い人向けのアパレル店を試しに覗いてみると、その思いはいっそう強くなる。
店員の区別がつかないのだ。
元はさまざまな顔をしているのだろうが、みんな化粧で同じ顔をつくっている。それはお面のようだ。
しばらく見ていると、感情とか人となりまで同じに感じられるから、こちらの感覚まで狂ってくる。そこに、けたたましく電子音が鳴り響く音楽が流れているので、ますます頭が混乱する。
でも、これが若い人が求めているものなのだ。
そして今、何もしない素がいちばん魅力的なはずのティーンエイジャーの女の子も化粧に余念がなく、どんどん画一的なお手本に近づこうとしている。彼女たちは、「すっぴんは小学生まで」と言っている。私にはこの年代の娘はいないのであくまでも通りすがりの感想でしかないが、姿かたちを真似ると、アパレル店の店員がそうであるように、心まで似てくるみたいだ。いや、そこまで同じものになろうとしているのかもしれない。
だから、電車に乗っていた野生を感じさせる女子高生が魅力的だったのだ。彼女はオリジナルだった。
柳原可奈子という芸人がいる。
ずんぐりむっくりの女の子だ。
柳原可奈子の芸は、渋谷109のアパレル店の店員から女子高生までの物真似である。
物真似は誇張の芸だ。だから癖のある有名人が真似をされる。しかし、彼女は匿名の一般人を真似る。それで物真似が成立するのは、相手が特別な人間ではないはずなのに、属する社会独特の共通項が客観的に見て「変」だからだ。
柳原可奈子の物真似は、口真似や形態模写に留まらない。コント形式のストーリーの中に、アパレル店の店員や女子高生の心理まで真似てみせる。それは押し売りのやり口だったり、上っ面な態度だったりする。
物真似で演じられるのは、本来まったく違う人間であるはずなのに、同じ顔をして、同じことを喋って、ついには頭の中まで同じになった人間への皮肉だ。それが残酷な感じで面白い。
柳原可奈子のファンは、物真似をされている世代でもある。ということは、彼女たちは自らの滑稽さ、異常さに気づいているということだ。だがいっこうに姿から頭の中まで同じになった人間をやめる気配がなく、したがって柳原可奈子の芸のネタは今のところ尽きそうにない。
個性、個性と言うけれど、どんなに笑いのネタにされようとも、
みんなと同じがきもちよい
ということなのだろう。これは何もアパレル店の店員や女子高生に限ったことではないのではないか。
私はどうなんだ。
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