新人作家の新・食エッセイ
9月
3日月曜日
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 #87 ちょっと、そこの人

 

 狂ったような残暑がやっと落ち着ついた。
 雨が降り出しそうな空模様だったが、ひさしぶりの散歩日和だ。遅い昼食を腹に収めてから一人で家を出た。
 目的もなく

行き当たりばったり

に歩くのは楽しい。行き当たりばったりといっても、見知った場所も歩くわけだが、記憶の中にある様子と町の表情が微妙に変わっている。
 さらに遠くへ行くと、酷暑となって散歩から遠ざかってたかだか一、二カ月というのに、がらりと風景が変わっている場所もある。
 近々新しい地下鉄の駅ができるというのでニュータウンの外れは新築ラッシュだ。何年間も広々した空き地だったところに真新しい家が完成し、既に人が暮らしていた。
 こうして空き地がなくなってみると、その町はいっぱしの邸宅街である。窓の奥のカーテンや鉢植えの趣味を見ると、以前からあった隣り町と様相が違う。若い世代が多いのだろう。そしてこれを証明するように、家々のの駐車場に停まっている車は子供がたくさん乗れるワンボックスばかりだ。
 小学生の男の子たちが公園と歩道の境にある柵に腰掛けていた。まるで電線に並んで留まっているスズメの子みたいだった。
 何をしているのかな。
 一歩、彼らの近くに寄ってみた。
 ある子は漫画のキャラクターのトレーディングカードをひたすら眺めていた。またある子は本を読んでいた。ゲームをしている子もいる。てんでばらばらのことをしているけれど、きっと友だち同士なのだ。
「ちょっと、そこの人」
 突然、声がした。
 振り返ると、この辺りの住人と思われる若い奥さんだった。彼女は、「ここは危ないから早く家に帰りなさい」と子供たちを急き立てると、私に「何してるんですか」と言った。
 危ないというのは、私のことを指しているのだ。子供に悪さをする人物に疑われている。
「散歩ですよ」
「散歩じゃないでしょ。子供たちのこと見ていたでしょ」
「たしかに見ていましたが、何か?」
「いい大人が昼間っから、おかしいじゃないの」
 私は平日も休日も、昼も夜もあまり関係ない身の上だ。しかし、だから散歩にきたと言ってもこの人は納得しないだろうと思われた。
 じろじろと風体を見られた。
 この夏はあまりに暑かったので髪を坊主のように短く刈って、アロハはボタンを留めず黒いランニングシャツが下からのぞいている。なにより生まれつき人相がよろしくない。
「おかしいじゃない」
 彼女はまた言った。
 この人の夫だけでなく、この町の男はサラリーマンばかりなのだろう。平日の昼間に町内にいる男、しかもスーツを着ていない私は異分子なのだ。
「通報しますよ」彼女は携帯電話を取り出した。「住所は? 名前は? 言いなさいよ」
 あらぬ疑いを掛けられたうえ問答無用に通報するというので、私はむっとなった。
「何もしていないのだから、答える必要はありませんね」
「何もしていないんなら言えるでしょ」
「だったら、あなたの住所と名前を教えてください。あなたから名乗るのが礼儀というものでしょう」
 礼儀という一言が、火に油を注いだみたいだった。
「偉そうに何よ。言ってることが滅茶苦茶だわ」
 彼女は電話を掛け始めた。たぶん110番だろう。
 私は馬鹿馬鹿しくなって、その場から歩き出した。するとこの人は私の後を追ってきた。振り返ると、通報し終えたのか携帯電話を手にしていなかった。構わず、先へ進んだ。逃げていると思われたくなかったので、ゆっくり歩いた。いつの間にか、彼女の姿は消えていた。
 新築の町を出て、すこし古びた町を通り越し、表通りに突き当たった。そろそろ家に帰りたいのだが、あの町をまた通って戻る気にはなれない。表通りを歩きながら、もしも警官に呼び止められ職務質問されたら、などと考えている自分が嫌だった。PTAの会報に、不審者情報として私のことが載るのではないかとも思った。
 私が子供だったときを振り返ると、大人と子供は共存していた。そして町にはいろいろな大人がいた。当たり前の風体で当たり前の人柄の人物もいれば、ろくでもない大人もいた。様々な大人がいることが当然で、これが世界というものだと漠然と理解していた。
 新築の町の子にとって大人は、学校の教師と両親だけなのかもしれない。しかし、実際の世の中はそれほど単純ではない。子供たちはいつの日か否応なく別種の大人と出会い、関係を持たざるを得なくなる。と同時に、子供たちも大人になるのだ。このとき、彼らは戸惑うのではないか。あるいは理解できない大人を見て、

「キモイ」と

言うのか。
 すくなくともあの町の奥さんにとって、私はキモかったのだ。
 もう二度と新築の町に近付かなければよいだけなのかもしれないが、釈然としない思いが残る。変な目で見られたから不快なだけではない。すこしでも異質なものを許さない町が近所にできたことで息苦しさを覚える。
 何のしがらみもなければ、こんな思いをしなくてすむ町で暮らしたい。だが、それがどこかまったく思いつかない。

 
 
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