新人作家の新・食エッセイ
5月
10日月曜日

新・きょうのお料理Back Number

きょうのお料理Back Number

About the Author

Mail to the Author

 

 


 #9 富士山と黒はんぺん

 

 著者略歴に北海道出身とあることが、どこか居心地悪い。
 たしかに私は北海道で生まれた。しかし、ものごころがつくまえに仙台に引っ越した。このあとも父の仕事の関係で東京、新潟と官舎を転々とした。父は新潟で職を辞し、郷里の静岡に戻る決心をする。以来、小学校三年生から大学進学まで静岡市の繁華街にほど近い町で過ごした。
 出身地とは、出自を物語るにたる土地のことである。
 が、プロフィールをまとめるにあたって「北海道出身のほうがスケール感があって、いいんじゃないですか」とエージェントに勧められてうなずいた。実体のないスケール感なんてものに何かを期待したからではない。

静岡が嫌いだった。

憎んでさえいたのだ。
 静岡で過ごした十年間を振り返ると、窒息しそうなくらい息苦しくなる。
 一家が静岡に移り住んだほんとうの理由を私は知らない。
 転勤族特有の、子の進学問題や老いた親の扶養問題があったのは聞いている。父の決心の背景に、上司が仕事上の悩みから自殺し、部下一同が連帯責任を負わされるはめになった事件があるのも知っている。だが、ことの本質は父の内面的な葛藤の中にあったはずだ。父は寡黙な人だから母にさえ決断に至る道筋を語らなかったみたいだし、たとえ冗舌な人物だったとしても説明しきれるものではなかっただろう。
 新潟駅発の特急トキ。自主退職者には本来あり得ない部員総出の見送り。父の胸中に沈殿していく澱のようなものの存在が子供心にもそこはかとなく感じられ、静岡行きが希望あふれる門出でないことはわかっていた。
 父は静岡に帰ると零細企業の経理担当者になった。その年の夏、家の新築工事中に集中豪雨に見舞われ家財一切が水没。不況。倒産。出だしから、いいところがなかった。父は仕事を変え、後に会社を興したが財産のほとんどをだまし取られた。家にヤクザ者が押しかけて来た。父は家族を残し、東京に出た。風呂もない木造アパートに住み、消費者金融で働いて、失った財産を取り戻して帰って来た。振り出しに戻ったとき、父は五十歳を過ぎていた。
 私も再出発のスタートでつまずいた。
 子供はみんな町内の大人が率いる少年野球チームに所属しなくてはならなかった。大人を頂点にした上下関係に、がんじがらめにからめとられるのだ。小突かれながら野球なんてやりたくなかった。頭を坊主刈りにしなければならない理由がわからず、拒み通した。すると生意気でタチの悪い子供だと言われ、悪い噂があちこちに広がる。一事が万事こんな具合で、町内だけでなく学校でもなにかとぎくしゃくした。だからといって黙って縮こまっていては、大人からも子供からもつまはじきにされる。人にできないことをやって、見返すほかなかった。小学生のとき芸大受験を志し、中学生のとき才能がないことを思い知らされあきらめた。それからは、反りの合わない世間と折り合いをつけようにも糸口を見つけられず、ひとりで市内を一望する小さな山に登ってときを過ごすことが多くなった。大学に合格し上京することが決まったとき、卒業してもぜったい戻って来るものかと心に誓った。同窓会や旧友との集まりがあっても顔を出さなかった。帰省は義務感に尻を叩かれ嫌々した。離婚してからはそれも面倒になってさらに足が遠のいた。とはいえ、姪のこととなると別だ。
 姪が中学生になった。入学のお祝いを忘れていたことに気付いた。夜、思い立って静岡に向けて車を出した。東名高速を西へ。風景は闇に隠され、ヘッドランプが照らす白い車線だけがあたかも静岡行き特急列車の線路のようにフロントグラスに映える。横浜から静岡インターは二時間半の距離。インターを降りてからも、体が道を憶えている。私は車をコインパーキングに止めて実家を訪ねた。
 夜の繁華街を姪と散歩した。
 黒い、女の子らしくないジャンパーを着ている。制服みたいなもの、なんだそうだ。
「いつも着てないと、先輩がうるさいの」
「校則なのか」
「そういうんじゃないの」
 なぜ黒いジャンパーを着なければならず、それを先輩にとやかく言われなければならないのか、姪はうまく説明できない。それは語彙が足りないせいではない。理屈の通らない理不尽なこと、だからに違いない。
「やんなっちゃう」
 と姪は言った。
「あっという間さ。中学の三年間なんて」
「そうかなあ」
「そうさ。で、高校の三年間もあっという間に終わるよ」
 姪は疑わしそうにこちらを見た。
「合わせて六年間。小学校だって、あっという間だったろ」
「そうか。ヤなことも、あっという間かな」
「たぶんね。いつまでも忘れられないだろうけど」
「ヤだな。そんなの」
「早く大人になって、こんな町から飛び出しちゃえ」
「東京に行けばいいのかな」
「東京でも、ニューヨークでも、ロンドンでも、パリでも。静岡以外の、行きたいところへ」
 私は姪の向こうにいる、淋しい顔をした子供の頃の自分に向かって言った。何十年も頑なだったその子が、はにかむように笑い、夜の暗がりを遠ざかって行ったような気がした。
 翌朝早く、横浜に戻る。
 静岡インターから東名高速に乗ると、間もなく真っ正面に富士山が姿を現す。空の青に海の青を混ぜたような山肌の色。てっぺんに白い雪。銭湯のペンキ絵そのもののかたち。恥ずかしいくらい鮮やかに、手前の丘や平地に新緑が萌える。山にのぼってため息をついていた頃も、こんな富士山が視界の隅にいつもあった。小突かれながら野球をやったグランドのバックネットの先にも富士山があった。芸大をあきらめた日も。父が東京から帰って来た日も。ヤクザ者が押しかけて来た日も。集中豪雨が上がった日も。いつも落款でも押すみたいに、記憶の片隅に小さく富士山がある。
 しかし、富士山をこころから美しいと思ったのは、このときが初めてだった。こころゆくまで、単純でなだらかな姿を味わいたい。アクセルを戻し、追い越し車線から走行車線に戻る。
 こんど姪に会ったら、言い直そう。
「人はいつか帰るところが必要になる。少しずつ嫌な思い出を許せるようになる」
 と言っても、彼女は信じないかもしれないが。
 日本平パーキングエリアで買った黒はんぺんを、今夜フライに揚げた。
 静岡にしかない、イワシやサバの骨まで入った黒い武骨な練り物。観光客のため上品につくるようになったのか、それとも世の中が贅沢になって原料を厳選するようになったのか、土産物の黒はんぺんは昔とだいぶ味が違った。ぺらぺらで、舌触りがざらざらして、

汚れた消しゴムみたいな

黒いはんぺんをまた食べたい。
 いまとなっては、まずいところがうまいのだ。

 
 
Copyright 2004 by Bun Katou, Boiled Eggs Ltd. All rights reserved.