新人作家の新・食エッセイ
11月
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 #91 十四年めの贅沢

 

 妻が実家に行き、帰ってくるなり驚いた様子で言った。たまたまいつもと違う道で実家に向かって歩いていると、中学、高校と同じ学校だった女性の家が昔のままの姿であった。そこに、表札が二つ出ていた。同窓生の彼女は一人娘だったので、結婚して姓が変わり、いまなおこの家で暮らしているようだ。もしかすると学生時代にひとり暮らしをしたのかもしれないが、そうだとしても生まれてから通算三十数年も同じ家で生活をしている。ずっと親元にいたとしたら、四十年を越える。そんな人もいるのね、と。
 妻は大学に入学すると親元を離れ、一時は日本を出てアメリカ、香港で生活しと、引っ越しを繰り返している。
 私だって似たようなものだ。
 猫の額ほどの庭がある郊外の家に住んで十四年になるが、ここがいちばん長い。三十年、四十年に比べたらたいしたことないかもしれないが、私としては信じられないくらいの月日だ。親元にいる間は転勤族だったので一箇所に数年しか留まらず、父が会社を辞めたあと静岡に移ったが私は十年弱ほどしか暮らしていない。
 この十四年間、家とともに

一本の木が

私の暮らしのそばにあった。
 私は家を買うと玄関先にザクロを植えた。ザクロは六月になると炎のように赤い花をいっせいに咲かせるが、この色合いが以前から好きだったのだ。しかも実も食べられる。
 園芸店で買ってきた腰ほどの高さの苗木は、数年で六メートルくらいのこんもりした立派な木に育った。花の数は年ごとに多くなり、ご近所でそう呼ばれているかどうかわからないけれど、我が家は赤い花が目印の家になった。でも実はピンポン球を一回り大きくしたくらいにしかならなかった。食べられもしない。
 異変は今年の真夏に起こった。
 いつもなら花が散ったあとに、まだ赤ん坊の実がぽろぽろと落ちるのだが、しっかりと踏ん張った。しかも、どんどん成長して行く。やがて、枝が垂れ下がるほど大きな実がいっぱいつき、秋が深まってくると皮が弾け、無数のガーネット色の果実が目に眩しいまでになった。
 桃栗三年柿八年と言うけれど、ザクロは十四年なのかもしれない。
 試しに食べてみると、種ばかりなのだが、甘さと酸味がとても上品な味だった。
 妻がジュースをつくろうと提案した。
 ザクロの搾り汁は砂糖の入っていないグレナデンシロップだが、店でグレナデンシロップを買おうとするとコップ半分くらいの小瓶で四百円はする。ボトル入りだと数千円。ちょっと手が出ない高級品だ。
 心を躍らせながら収穫をした。硬式野球のボールくらいの実が小さな段ボールいっぱいになった。
 ここから一苦労だった。ミカンなら皮を剥けばすぐ食べられる。しかしザクロは厚いなめし革でできているような実を割り、まるで意地悪をしているみたいにいくつかの部屋に別れている中から果実の粒を取り出さなければならない。
 でも妻が期待に目を輝かせ待っている。夫として一働きせねばなるまい。
 延々と実を割り、果実をつぶさないように細心の注意を払いながら作業をする。黙々とやるつもりがなくても、自然と無口になり気が付くと眉間にしわが寄っていた。
 果実を取り出すのに、一時間はゆうにかかった。ザル三つぶん、2.1キロの果実は、宝石の山のようで、見ただけで苦労がむくわれた気持ちになる。こんなにきれいなものが、玄関先で実ったとは驚きだ。
 輝くガーネット色の小粒をガーゼに包んでは絞り、包んでは絞る。果汁は家でいちばん大きなコップに溜めて行ったのだけれど、それでは足りなくなりボールに集めることにした。計1.2リットルにもなった。
 思ったよりもジュースが採れたけれど、山盛りの実から果実を取り出した労力を思うとけっして多いとは言えない。でも、妻と甘く香り高いザクロジュースを分け合って飲んでいるとき、私は幸福だった。ウォッカでも割ってみた。酒が飲めない妻は三ツ矢サイダーで割った。それでもまだなくならないから、大切に冷凍して保存することにした。
 ジュースの値段なんてもうどうだってよい。ザクロが豊作だった喜び。人の手ではつくり得ない、自然の美しさを楽しんだうれしさ。品のよい爽やかな味わい。これらは十四年の月日を経てたどり着いた贅沢だ。
 十四年の間にいろいろなことがあった。前の妻と不和になり、離婚し、男やもめとなり、今の妻と出会って再婚し、会社を辞めた。楽しいことばかりではなかったし、むしろ面白くない日々のほうが長かった気がするのだけれど、

1.2リットルぶんの喜び

がちゃんとあったことに、やっと気付いた。
「十四年間をさかのぼってみて、どんな思いがする?」
 と妻に聞いてみた。
 妻はサイダー割りのザクロジュースを口に含み、「ふふっ」と笑った。
「あなたはどうなの?」
「このザクロジュースの味だよ」と答えるのは気障な気がして、片頬で微笑んで答えとした。
 次の十四年、またさらに次の十四年と、私たち夫婦はこの家でどんな思いを積み重ねて行くのだろう。
 コップに残った澱まで愛おしい。そんなふうになりたいものだ。

 
 
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