新人作家の新・食エッセイ
11月
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 #92 謝り癖

 

「堂々としてくださいよ」
 と行きつけのバーでバーテンダーに言われたことがある。
「どういうこと?」
「だって、頭を下げるんですもの」
 そう言われても何のことかわからなかった。
 話を聞いてみると、バーテンダーが酒を差し出すたび、私は一礼しているらしいのだ。
 さらに、

注文するとき「ごめんね」と

言うのも気になるそうだ。たしかに、「ごめんね。ターキーの12年をロックで」などと口にしている。
「お客さんなんですから、謝ることなんてないですよ」
「そうなんだけど……」
 特別な意味があって謝っているわけではない。つい、なのだ。
 でも、よくよく考えてみると遠慮でなく、だからといってもちろん謝罪の意味でもなく、なんとなく互いの関係の高低差を縮めようとする意図がなくもない。
 それからというもの、自分の謝り癖が気になってしかたない。
 喫茶店で「すみません。コーヒーを一つ」と言い、ケーキ店で「申し訳ありませんが、シュークリームを」などと言っていた。妻には「わるいけど」とものを頼む。
 欧米人はそう簡単に謝らないという。謝るのは、とことん非があるときだけ。交通事故を起こしても、その場で「すみません」とは言わない。謝ったが最後、責任をすべて被らなければならなくなる。この理屈なのだろう、日本でも最近は交通事故の現場では謝るなと言われるようになった。
「事故は警察と保険屋に任せましょう」
 そう言って黙っているべきらしい。
 海外旅行に出て、ホテルのフロントに頼み事をするときなど、日本語の「すみません」の調子で「Sorry」と口をついて出そうになるけれど、これはぐっと堪える。レストランでグラスを倒したりフォークを落としたときは「I’m sorry」ではなく、片付けをするのは給仕の当然の仕事なのだから、「Thank you」であると肝に銘じて行く。
 山口瞳さんもエッセイの中で、謝りすぎるのはおかしいと強い調子で書いている。バーの止まり木の横に山口さんがいたら、きっと私は叱られていたに違いない。
 山口さんは礼儀の人であった。旅に出れば宿でチップをいつの段階で、いくら渡すか悩みに悩むほどだったらしい。つまり、関係性と意味において筋が通らない謝りの言葉は不適切で、不用意で、礼儀でも何でもないと考えていたのだろう。
 つい先日のこと、ベビーカーを押している若いお母さんが三人、歩道を塞いでいた。押していると書いたが、ほとんど前に進まない。私は急いでいた。
「すみません。道を空けてください」
 と言ってから、「すみません」は余計だったことに気付いた。
 お母さんたちが一斉に私を見た。その目は、厳しいものだった。そして、誰も道を空けようとしない。「車道に降りれば追い越して行けるでしょ」と言わんばかりだった。
 この勢いに気圧され、私は悪いことを頼んでしまったような気になった。
 そのうち、一人のお母さんが「ああ、たいへん」といった様子でベビーカーを後退させ、一台分の幅の通り道をつくった。
 ここを通り抜けるとき、「ごめんなさい」と言っていた。
 自分で謝っておきながら、釈然としない気持ちが残った。釈然としない気持ちは、やがて自己嫌悪に変わっていた。
 なぜ、私が下手に出なければならなかったのか。どうして謝ったりしたのだろう。あんなときは、「並んでいるのは迷惑ですよ」くらい言ったってよかったんだ。
 だがこの場合、お母さんたちの態度がよくなかったとしても、山口瞳さんが指摘するように適切な言葉を選べなかった私がいちばん悪い。謝れば円滑にことが運ぶと思い込んでいる。安易である。そして

謝り癖が体に染みこんで

しまっていることには、不誠実さもある。人と真っ正面から対峙しようとする気持ちが欠けているのだ。
 それにしても、だ。自分のことを棚に上げるわけではないが、日本語において謝罪の言葉があたかも接頭語や呼び掛けの言葉のようにきわめて普通に使えるのも変と言えば変だ。
 私ほどの謝り癖の持ち主ではないとしても、人気のない店で「すみません、すみません」と声を掛けたり、なかなか振り返らない居酒屋の店員を呼び止めて「ごめんね。ビールおかわり」などとやっている人をよく見掛ける。論理的に考えれば謝る状況ではない。
 日本人がこうして知らず知らずのうちに謝るのは、安易で、人と真っ正面から対峙しようとする気持ちに欠けているということになりそうだが、どうなんだろう。
 針小棒大に考えすぎかな。
 でも謝るという行為は、英語がそうであるように、本来はとても厳しい状況が背景にあるのだ。交通事故の例は、いささかことを有利に運ぼうとする意図があるが、それにしても謝ったら全責任を負う覚悟があると見なされるというのは正しいことかもしれない。
 謝るのは、覚悟が必要で、とてもつらいことなのだ。
「ごめんなさい、と言いなさい」と幼いとき親に言われ、くやしいような、悲しいような気持ちになって唇を噛んだことを思い出す。
 先日、妻の父が我が家を訪ねてきた。私を含めて三人で、義父が行きたいという近所の公園に出掛けた。義父は膝の調子がよくないので、私と妻でかばうようにしてゆっくり歩いた。倍の時間がかかったろうか。帰り道、三叉路で義父が家とは違う方角へ向かおうとして、妻に止められた。
「そっちじゃなくて、こっちよ」
「そうか、そうか。悪かったね」
 義父は妻に頭を下げた。
 何気ない動作だったが、老いた父が子に頭を下げるのを見て、複雑な気持ちになった。義父に謝り癖はない。

 
 
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