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#96 カレンダーと白い団地
新しいカレンダーをなかなか決められなかった。カレンダーと一口に言っても使い勝手は千差万別だから、選択はどうしても慎重にならざるを得ない。
私はひと月が一枚ずつになっている、絵や写真が入っていない大判のカレンダーを使うことにしているのだが、これでさえ罫線で日付を囲ってあるもの、ないものなどいろいろある。昨年は曜日の並びが月曜日から始まるものを買い、この並びかたが体に馴染んだ一週間の感覚とずれていたので不便があった。今年はあれこれ悩んだ末に、日付を囲む罫線がなく、一週間が日曜日から始まるものにした。
古いカレンダーをはずして新しいものに掛け替えるとき、感慨と言うと大袈裟かもしれないが、やはり
芯だけになったトイレットペーパー
を取り換えるのとは気持ちがだいぶ違う。どうしてもしんみりした気持ちになって、手つきもすこしばかり丁寧になる。しかも毎年、用済みになったものをすぐゴミ箱に捨てられない。
掛け替えてはずした去年のカレンダーだが、やはりポイと捨てられなかった。鉛筆やボールペンで書き込みのある十二カ月を、一枚一枚めくらずにはいられない。具体的に予定を言葉で書いている日もあるけれど、相当の分量で○とか→とかの記号だけの書き込みがある。それだけでも、「ああ、あんなこともあった」と瞬時に思い出せる日が稀にある。
記号すらなく、白い紙の地の色だけの、なんでもない日も当然ある。誰からも連絡がなく、誰とも会わず、特別なことが起こらず、ぼんやり一日を過ごしたのだろうか。今となっては何があったか思い出せないけれど、確実にその日は存在していて、その日を欠いたら一年三百六十五日はなりたたない。だから思い出せないことがもどかしくて妙に落ち着かず、古いカレンダーを捨てるに捨てられないのだった。
池波正太郎さんは亡くなる直前まで食日記を付けていた。三度の食事を、第一食、第二食、第三食と呼び、さらに深夜の夜食まで詳細に記録していた。日記ではあっても、日付と献立だけの羅列である。
これは奥さんが食事のたびに何をつくったらよいか困るので、その参考のために付けはじめた。三年前は何々、一昨年は何々、去年は何々を食べたと教えてあげることで、実際に献立を決めるのに役だった。でも、それだけでなく池波さん自身も年月日と献立だけを見ることで、その日、その日の出来事を思い出せたそうだ。膨大な数十年間に渡る献立から。
これはなかなかすごいことだと思う。自分で台所に立った日の献立さえすぐ忘れてしまう私には、カレンダーの空白の日から記憶を呼び戻すなんて、やはり無理なのだろうか。それでも空白の日々が気になり、しばらく去年のカレンダーを手元に置いて眺め続けた。
そうこうしているうちに、使い終えたカレンダーは団地に似ていると思うようになった。カレンダーも団地も四角くて、十二カ月ごとに別れているところは十二の棟のようで、日付の並びは一家族、一家族の部屋のドアのようだ。私は子供のときずっと社宅暮らしをしていたから、団地を思い浮かべるのかもしれない。
カレンダーの日付をドアに見立ててノックしてみる。小さなことでも、たったひとつのできごとでも心に叶うことがあった日は、気が置けない家のようにすっとドアが開き、部屋に招き入れられる。だが空白の日は、繰り返し呼び鈴を押しても返事がなく、ドアは開かない。しかし、何かがそこで息を潜めている気配がする。
空白の日といっても予定や出来事を書いていないだけで、まったく個人的なことではあるが、それぞれの日にそれぞれの気持ちを抱いたはずだ。くすりと何かに笑ったかもしれず、あるいは指先のささくれのような小さな不快を味わったのかもしれないが、忘れてしまった日なのだ。もしかしたら、こういうとても微かな気配の積み重ねが一年の気分を左右した重要な部分ではなかったかと思えてきた。
こんなことを考えていたら、携帯電話が突然鳴った。液晶のディスプレーに東京の市外局番から始まる見知らぬ電話番号が表示された。いったい誰からだろうと思って出ると、友人のA君からだった。
去年の春先、A君が勤務していた会社が倒産した。私もA君との関わりから、すくなからずその会社と関係を持ったので、それなりの損害を被った。しかしA君を恨む筋合いではなかったので、彼とは付き合いを続けたかったのだが、いくら連絡を取ろうとしても消息が掴めなかったのだ。A君は倒産の責任を感じ、これまで私に声を掛けにくかったようだ。ちょっとおどおどしながら探るように「こんにちは」と言う声で、彼の思いが伝わった。
このとき、閉ざされていた
空白の日のドア
のいくつかが一斉に開いた。悲しさとか諦めが通り過ぎたあとに、希望や期待の余韻が残った。
私とA君は近いうちに食事をしようと笑い合って電話を終えた。そして、私は用済みになった古いカレンダーをゴミ箱に捨てることにした。
今、目の前に新しいカレンダーが下がっている。これからの一日、一日をどんな気分で過ごすことになるのだろうか。十一カ月を背景に一月を表にしたカレンダーは、手付かずの時間を豊かに感じさせるから不思議だ。
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