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#99 立ってする男の誇りの難しさ
新宿にしばしば立ち寄る喫茶店がある。特にコーヒーが旨いわけでも雰囲気がよいわけでもないのだが、よそより安いのと店員が気取っていないのが気に入っている。
ところが一点、気に入らないことがある。トイレだ。
壁が鏡張り
なのだ。似たつくりのところはほかにもあるが、この店は洋便器の向こう側も床まで鏡で、私は男だから立って小便をするので、下半身のあそこが鏡に映るのである。
これは自分のあそこを直視するのとは違い、客観化された肉体そのものを見るみたいで、それは他人のものを見せられているみたいな感じがし、ものがものだけになんとも落ち着かない。目を逸らそうと横を見ても、そこも鏡だから横向きのあそこが映っている。逃げ場を求めて視線を上げると、そこには小便をしている自分の顔がある。朝、顔を洗うとき鏡を見るだけでもうんざりするというのに、小便をしている自分の表情なんて見たくもない。
あまりに落ち着かないというか、異常な感じがするので、やりたくはなかったが便座に腰掛けて小便をしてみた。便座に腰掛けると目の前は鍵の掛かるドアで、これは木目だ。自分のあそこも、小便をしている表情も見ることはない。だけど、これはこれで納得がいかない放尿であった。
ものごころ着いてからずっと、私は男として、立って小便をしてきた。座ってするのは、体のつくりから立って放尿できない女の行為だ。このトイレの内装を設計したのは女ではないかと疑う。もし男なら、小便をするとき自分のあそこや表情を鏡に映さなければならない構造にするとは思えない。
最近はトイレが汚れるからと、男も便座に座ってするようにと命じる奥さんが多いらしい。知人のXさんも奥さんから厳命が下って以来、座って小便をするようになった。
「はいそうですか、と従ったのですか」
「しかたないよ女房に言われちゃ」
「だけど、座るとやりにくいでしょう」
「なんだか妙な感じで落ち着かない。だけどたかが小便のことで揉めるよりいい、と自分に言い聞かせているんだ」
そんなに男だけがトイレを汚しているのか。たしかに男のあそこは自由に動くノズル型で、しかもかなりの高さから便器に向かって放尿するから、命中度は低くなり、飛び散りかたが女より激しいかもしれない。でも男が小便を立ってするのは太古からの習わしであり、それは肉体的に理に適っているからだ。私は男尊主義者ではないが、自然か不自然かという観点から、女の理屈によって座って放尿するのは男の沽券に関わる問題だと思う。
あの喫茶店は鏡の力によって、男にも便座に座れと遠回しに命じているのかもしれない。こうすることでトイレ掃除に余計な手間を掛けずに済み、その結果コーヒーが安くなっていると勘ぐるのは考え過ぎかもしれないが、もし喫茶店側が男も座ってするのが標準と決めているようなら、残念だが別の店を探したほうがよいかもしれない。
このように、いつも自然の摂理と習慣に従い立ってしている私だが、容易にそうできない状況に追い込まれたのだった。
この文章を書く直前だが、体調を崩し入院を余儀なくされた。かなり朦朧となる注射を打たれ、これではトイレに自力でいけないだろうからとシビンを渡された。昔はガラスでできていたが、今のシビンはプラスチック製でかなり軽いのには驚いた。
なぜ昔のシビンを知っているかというと、小学生のとき高熱を発し入院したからである。
そのときは、小便をしたくなってもどうしてもシビンに放尿できなかった。ベッドで小便をすることが、恥ずかしい気持ちとはまた違う、自尊心を傷つけられるような感じがしたのだ。病人なのだから自尊心などと言っていられない状況なのだが。
それでも我慢できないほど小便はしたい。泣く泣くシビンを使ったがすこしずつしか小便が出ない。小便は重力で落下するものではなく、膀胱の力で出るもので、気持ちが整わなければ膀胱は言うことを聞かないのだと私は知った。子供であっても、放尿とそのしかたは精神と深く関わっているのだ。
こんな思い出があるから、プラスチックになってものものしさはなくなったとはいえシビンには警戒した。どうか尿意をもよおさないように、と祈るばかりだった。
しかし泌尿器に病気の原因があるわけではないので、出るものは出る。
なんとしてもシビンにだけは頼らない、とベッドから抜け出し、酔っぱらいの千鳥足以下の足取りで壁に手をつきながらトイレに向かった。やっとのことで辿り着いた
トイレに郷愁
を覚えたのは新鮮な体験だった。というか変哲もない男性用小便器が誇張ではなく輝いて見えた。そしてふらふらしながらも、立って小便をしていることに幸せを感じた。
今回の入院で私は考えさせられた。
あと何年、何十年、健康な体で自分の力で立って小便ができるのだろうかと不安になったのだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは男の、二本脚で大地に立つホモサピエンスの雄としての尊厳に深く関わる問題ではないか。
退院してからというもの、トイレに行き便座を上げるたび、これはおろそかにできないことをしているのだと考えるようになった。そして慎重に、いままで以上にトイレを汚さないよう放尿する。妻に、これからは座ってするようになどと言われないためにだ。家庭では男の沽券や尊厳より、Xさんではないがトラブル回避のほうを優先せざるを得なくなりがちだ。そして一度失った権利は、二度と取り戻せない。
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