「だだいまー……」
シゲ子は、力なく玄関の戸を開けた。すると、その音に気づいた武が、シゲ子を出迎えにやってきた。
「おう、シゲ子、お前今までどこ行ってたんだ? あれぐらいのことで、カーッとなりやがって。まぁ、明日からちゃんとしたメシ作るっていうなら、俺も『豚足』呼ばわりしたことあやまってやっても――」
「あたし、もう寝るわ……」
シゲ子は、武の顔を見ずに、よろよろと階段を上がって行った。
「あ、あいつどうしたんだ!? なんかこの世の終わりみたいな顔してたな……」
(あーぁ、あんなにいいムードだったのに、「親子」って言われるなんて……)
シゲ子は、意気消沈したまま、真っ暗闇のなか眠りに就いた。
閑静な住宅街に忍び寄る巨大な影――。
「ギャオース!」
「わーっ! 宇宙怪獣ギョロドンが現れた!」
「なんてことだ、もうこの地球はおしまいだ!」
「待ちなさいっ!!」
「おっ、怪獣がふっ飛ばされたぞ!? これはいったい?」
「おっ、あれを見ろ! あの巨大なオバサンを!!」
「あれは! 『正義の味方 シゲ子マン』だ!!」
「待ってたぜ、肝っ玉母ちゃん! そのぜい肉と、ぶっとい豚足二の腕パワーで、あんな宇宙怪獣なんか、ケチョンケチョンにしちゃってくれ!」
「まかせて! 必殺、おふくろビーム!」
「ギョーッ!」
「すごい、あっという間に怪獣をやっつけた! ありがとう、シゲ子マン!!」
「おぉ、これこそ『ウルトラな母』の成せる業。日本の宝でありますな……」
「ホントだぜ! まったく、母ちゃんにはかなわねぇなぁ!」
「これで世界も平和になる。よかったよかった!」
たたかえ! ぼくらのシゲ子マン・完。
「よくないっ! ちっともよくないわっ!!」
真夜中、シゲ子はとび起きた。背中は汗でびっしょりである。
(ゆ……夢! なんておそろしい夢だったのかしら……)
そして翌朝――。
「おい、シゲ子。朝ごはんは」
「昨日のコラボ・カレーがあるでしょ……それ食べて。あたし、具合悪いからまた寝るわ」
昨夜の気分がまったく晴れないまま、シゲ子は、ふたたび寝室へ戻っていった。
「えぇ!? またあんなモン食えっていうのか! 昨日のパンのほうが、まだかわいげがあったぞ」
「あれ、お母さんどうしたの?」
「具合が悪いんだとさ。変なモンばっかり作ってっから、腹でもこわしたんだろ。自業自得だ」
武は、テレビのスイッチを入れた。
「では次のニュースです。昨夜、○○公園に植えてある樹木のうちの一本が切断されているのを近所の住民が発見し、警察に通報しました」
「わっ、これうちの近くだよ!」
麦恵は、驚いてテレビ画面を指さした。
「現場には、頭部の破損した等身大フィギュアが棄てられており、樹木の切断との関連を調べています」
テレビには、変わり果てたリーダー鉄仮面の姿が映された。
「うわっ、なんだこれグッチャグチャだなぁ。どうやったらこんなになるんだ。よっぽどすごい力でぶっ壊されたに違いないな。犯人はプロレスラーか!?」
武は、まだ何も知らなかった。
「あぁ、気持ちが悪いわ……せめて空気を入れ換えましょ」
シゲ子が、寝室の窓を開けると、外からあたたかな春風が吹きこんできた。しかし、シゲ子の心は、依然として晴れないままで、布団に入ると、よりいっそう悲しみがこみあげてきた。
(うっうっ、美原クンのバカ、夢の中の人たちのバカ! 「強い」だの、「たくましい」だの、「肝っ玉」だの……そんなの全然ほめ言葉じゃないわ! そんなこと言われて、喜ぶ女の人がいるわけないじゃない! おまけに、「親子」とか「母ちゃん」とか……最低だわ、そんなまったく色気のない言われかた!! おみそ汁と樟脳のにおいがプンプンしてるみたい!! あたしは、いつでもスミレの香りがほのかに漂っているような女性でありたいのに!!!)
「でも……四十過ぎたら、そんなのムリなのかしら。もう、ただの『母ちゃん』でしかいられないのかしら……ショッキングピンクもパステルブルーも似合わなくなって、灰色と茶色系の服しか着ないオバサンになるのかしら……」
そう弱々しくつぶやくと、シゲ子は、布団を頭までかぶって、そのままふて寝してしまった。
暗黒闇雲団がなんだ、宇宙怪獣がなんだ。女性には、もっと手ごわく恐ろしい「敵」がいるのである。ビームやキックなどまるで歯がたたない最強の「敵」が。
「いやよぉ〜、もうこれ以上年とりたくない〜!!!」
シゲ子は、眠っていてもなお、その恐るべき「敵」の存在にうなされていた。
だが、時刻も正午をまわろうとしたそのときである。
「大丈夫! あなたは変われるわ!!」
どこからともなく聞こえてきた救世主のような言葉に、シゲ子は驚いて目を覚ました。
「えっ、誰? 誰なの!?」
シゲ子は、あたりを見まわしたが、部屋にはシゲ子以外誰もいなかった。だが、シゲ子の耳には確かに何者かの声が届いているのだ。
(やだ、これってもしかして、神さまのお告げ!?)
閉めきったカーテンの間からはあたたかな風と、日の光がきらきらとさし込み、まるでシゲ子にとっての希望の光のようである。
(もしかして、あのカーテンの向こうに神さまがいるのかもしれないわ!)
興奮と期待を胸に秘めながら、シゲ子は思いきってカーテンを開けた。
けれども、外を見た瞬間、シゲ子の喜びはたちまちしおれてしまった。
「なんだ、隣の家のテレビの音が、ここまで聞こえてきてるんだわ。またあそこのおばあさん、テレビ大音量で観てるのね。うるさいからって、この前注意しに行ったばっかりなのに」
シゲ子は、がっかりして窓を閉めようとした。しかし、
「お願いだから、自分の若さに自分でピリオドを打たないで!」
というテレビの言葉に、思わず手を止めた。
(や、やっぱりこれは神さまのお告げなのかも……!)
それからしばらくの間、シゲ子は、テレビから流れてくる「お告げ」に耳を傾けていた。
「時の流れを止めることはできないわ。でも、顔の老化は努力しだいでいくらでも防ぐことができるの。どうか『もう年だから』とか『オバサンだから』といって、毎日のスキンケアを怠らないで。美顔への興味を持ち続けることが、若返りにつながるのよ」
(美顔への興味を持ち続けることが、若返りにつながる……若返りに!)
シゲ子の心は、ときめいた。
「そう、美しさや若さは必ずしも与えられるものじゃないの。自分でつくり出していくものなのよ。そのことを胸に留めておけば、あなたも――」
(あなたも……!?)
「なに〜犯人とり逃しただぁ、何やってんだこのポンコツども!」
(やだ! おばあさん、チャンネル変えたわね!? ほんとに何やってんのよ、こうしちゃいられないわ!)
シゲ子は、パジャマ姿のまま、猛スピードで隣の家に乗りこんだ。
「あンら〜鉄野さんとこの奥さん、こりゃ〜いったいどうしたのかね」
健康サンダルで嵐のようにかけ込んで来たシゲ子を、おばあさんは目を丸くして見つめている。
「お、おばあさん、テレビッ!」
「あ〜? なんだってぇ?」
「だからテレビ! テレビよテレビ!!」
「テレビ〜? あ〜ゴメンねぇ、うるさかったかねぇ〜」
「違うのッ! て、テレビ観せてテレビ! 早く!!」
「はぁ〜? テレビぐらいあんたとこにも……」
「早くッ! 早くしないと『神さまのお告げ』が終わっちゃうの!」
「か、神さま!?」
シゲ子は、戸惑うおばあさんを振りきり、急いで茶の間へ向かった。そして、リモコンをつかむと、目にも止まらぬ早さでチャンネルのボタンを押し、やがてその手はピタリと止まった。
「神さま……!」
テレビ画面には、確かにシゲ子にとっての「神」が映っていた。その「神」の年齢は、五十代と記されているが、顔にはシミもなければ、シワも一本もなかった。「エステティシャン」という肩書きを持つその女性は、まさにアンチエイジングの「神」だったのである。
「一日では難しいけど、毎日自分に合ったケアを続けていれば、きっと効果が出てくるわ。くれぐれもあきらめないで。何度も言うけど、美しさや若さは自分でつくり出していくものなの。そのことを忘れなければ、あなたもきっと、きれいになれるわ!」
(きれいに……なれる!)
太陽がさんさんと輝く真っ昼間、シゲ子は隣の家の茶の間で、その言葉をしっかりと噛みしめていた。
暗黒闇雲団よりも何よりも手ごわい「敵」に立ち向かうことを、シゲ子は決意したのである。
次週「第三話
君は薔薇よりたくましい
」につづく■
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