翌日、武は玄関で目を覚ました。
「あれ、俺どうしてこんな所に寝てるんだ? アタタタ、身体も痛いし、頭も痛いや。二日酔いだな、こりゃ……」
「おはよ、お父さん。ウソ、もしかして玄関で寝てたの!? だらしな〜い」
「おぅ、麦恵。シゲ子は台所か?」
「うぅん。なんか今朝は勉強したいから、ずっと部屋にいるんだって」
「えっ? 勉強ってなんだよ、あいつ資格でもとるつもりなのか!?」
「詳しくは聞いてないけど……朝ごはんは冷蔵庫のものテキトーに食べてって言ってたよ」
「昨日とはエライ違いだな〜。どうしてあいつ、日によってコロコロ態度変えるんだ。このごろ、やけに気分屋になったな」
そのころシゲ子は、部屋で布団に入ったまま、女性誌を読みあさっていた。
「う〜ん、どうにかしてドラマチックに変身できないものかしら。『本当のゴージャス感が現れるのは、四十代から! 生活臭さを切り捨てて!』、『エイジレスな女になるためにはファンタスティックな魅力を身につけろ!』……ふぅん、世俗離れしたコーディネイトをすることで、本来の年齢より若々しく見られるようになるのね。『現代に舞い降りたマリー・アントワネットルック』それに『二十一世紀のマリア・カラススタイル』――これ、いいかもしれないわ!」
シゲ子は、だんだん無謀とも思えるスタイルにも目をつけ始めていた。
その夜――。
「うーっ、身体のふしぶしが痛くて眠れん。湿布薬どこやったっけ?」
昨夜、玄関で寝たのが災いしたようだ。武は、湿布薬を探しに一階へ行った。
すると、ピチャッ、ピチャッという水音とともに、
「うふっ……うふっ……」
と、例の不気味な声が聞こえてきた。
(うわっ、またこの妙な声が! こ、今夜こそ正体をつきとめてやるぞ!)
武は台所に行き、魔よけのためか食塩をひと握りつかむと、おそるおそる洗面所へ向かっていった。
(ひるむな、武! この扉を開けたら、この塩を一気に投げ入れるんだ! そうすれば、地縛霊も退散してくれるかもしれん!!)
エクソシストのような決意を胸に秘め、武は、洗面所のドアを開けようとした。しかし、
「うふっ……うふっ……なんだかお肌もだいぶ白くなってきたような気がするわ! この化粧水のおかげねぇ〜」
聞き覚えのある声に、武はピタリと手を止めた。
(シゲ子か!? こんな夜中に何やってるんだ)
武はドアに聞き耳をたてた。
「今度のフラワーアレンジメント教室までに、より美しくパワーアップした姿を美原クンに見せられるよう、がんばらなくっちゃ! でも毎日のケアってメンドくさいわね、お金もかかるし……魔法みたいに、あっという間にパーッと大変身できないかしら〜!」
(なに!? 今度のフラワーアレンジメント教室までにパワーアップ? 美原クンって誰なんだ? それに大変身って……)
「あだっ!」
シゲ子のひとりごとを聞くのに集中していた武は、突然開いた洗面所のドアに顔をぶつけた。
「あら、お父さん何やってんのこんなところで?」
シゲ子が眉をひそめた。
「い、いやその……便所に行こうと思って」
「やだー、トイレあっちよ。寝ぼけないで」
シゲ子は自分の部屋に戻っていった。
(なんだかバラの香りがするな……シゲ子はいったいここで何をしてたんだ?)
武は洗面所に入ると、ゴソゴソと洗面台を探った。棚の中には、使いかけの洗剤がいくつか並んでいたが、さらにその奥に化粧品らしきビンが二本置いてあった。武はそのうちの一本を手にとってみた。
(えっ、一本で七千五百円!? ウソだろ、なんでこんな高価な化粧品をあんなグータラ庶民のシゲ子が使ってるんだ!? そういえばあいつ、さっきフラワーアレンジメント教室がどうとかって言ってたな。それに美原クンって――もしやそいつと何か関係が!?)
武の胸に一抹の不安がよぎった。
そして、またまたフラワーアレンジメント教室の日がやってきた。
「お父さん、いってらっしゃーい」
「あぁ……」
朝、武はシゲ子に見送られ家を出た。だが、会社に着いてもシゲ子のことが気にかかり、なかなか仕事に集中できない。
(たしかシゲ子の行ってるフラワーアレンジメント教室が開かれるのは、昼過ぎだったな。あいつを疑うわけじゃないが、ちょっと様子をうかがっておいたほうがいいかもしれないぞ……)
「ごめん、ちょっと出てくる。夕方までには戻るから」
武は部下たちにそう伝えると、車で自分の家まで向かった。
「あっ!」
運転している途中、偶然にもフラワーアレンジメント教室に向かうシゲ子を目撃した。
武は、シゲ子に見つからないように車を移動させながら、彼女の姿を目で追った。
シゲ子は、どこで買ったのか、イブニングドレスのようなワインレッドのワンピースを着て、黒いショールを羽織っている。化粧は、異様に濃い。
(なんじゃありゃ! 町内主催の歌謡コンテストにでも出るつもりなのか!? 待てぇ〜シゲ子! そんなカッコで町を歩くなーっ!!)
妻を止めたい! しかし、尾行していることがバレてもいけない! 武は心の中で大いに葛藤しながら、シゲ子の後をじりじりとつけていった。
「うふふふっ! 今日はゴージャス女優スタイルよ♪ 気合入れてイメチェンしてみちゃった! あたしの変身ぶりにみんなきっとビックリするに違いないわ! 美原クンは、なんて言ってくれるかしら〜」
派手な装いの効果か、シゲ子の心は自信に満ちていた。足どりも、心なしかいつもよりもさらに浮ついている。
しかし――。
「イヤーン! どこの場末のバーのマダムが乗りこんで来たかと思ったら、シゲ子さんじゃないのォ! 今日のあなた、お化粧も何もかもケバケバしすぎるわァ! 日本海にでも飛びこんでらっしゃいよッ! サッパリするから!」
講師の名倉には、大不評だった。
「先生、そんなにひどいこと言わなくても! でもいったいどうしたのよ、シゲ子さん? 今日はいつものあなたらしくないわね。なんだかシャンソン歌手のコスプレしてるみたいだわ」
みどりの反応も芳しくない。
「そんな……あたしはただ、華麗にイメチェンしたかっただけなのに!」
シゲ子はショックのあまり、思わず教室を出て行ってしまった。
「ありゃ、もうシゲ子が外に出てきたぞ? しかもなんか泣いてるな」
武は、教室が開かれている市民会館の駐車場に車を停めて、そこからシゲ子の様子を見ていた。
「ん? 男がシゲ子の後を追っかけてきてる……誰だあいつは!?」
武は車の窓を開け、身を乗り出した。
「シゲ子さーん」
「美原クン!」
「どうしたんですか、急に教室を飛び出したりして?」
「わぁ〜ん! せっかく努力してるのに、みんなヒドイことばっかり言うんだもん〜!! きっと……いくらガンバってみても、もうダメなのね。あたしみたいなオバサン、何をやってもダメなんだわ〜!」
シゲ子は、人目もはばからず大泣きした。すると、
「大丈夫ですよ、シゲ子さん!」
と、美原がシゲ子の両肩に手を置いた。
「努力の成果は、なかなか見えてこないものですが……けれどあせらず続けていれば、きっと形になって現れるに違いありません。だから、くじけないでください」
「み、美原くん……!」
シゲ子は思わずキュンとなった。
「あんにゃろー、なに気安くヒトの女房の肩に手置いてやがんだ!」
武は車から降りて、美原をシゲ子から引き離しに行こうとした。しかし、
「ん? なんだコレ!?」
行く手を、いきなり発生した黒い霧にさえぎられた。
霧は、シゲ子たちのまわりにも広がった。
「きゃーっ! 何この黒いの? 火事!?」
まるで大きな黒いカーテンに取り囲まれているようである。
「フフフ……お話し中に申し訳ございません……」
突然シゲ子たちの目の前に、魔術師のような男が現れた。
「お前は!」
美原はシゲ子を後ろに下がらせ、男をにらみつけた。
「私は『暗黒闇雲団』の偉大なる師、ヤブレカブレ様のしもべ……闇賢者サギ……王子……あなたの命は、この私が頂戴します!!」
闇賢者サギのベールの奥のまなざしが、怪しく輝いた。
次週「第五話」につづく■
|