Q1:簡単に自己紹介をお願いします。
私はミネソタ州グッドヒュー群キャノン・フォールズ市に生まれて、農場で育ちました。デンマーク系とオーストリア系のアメリカ人です。農場で育った父は大学教授と農作業を両立し、母は父とは別の大学で会計をしていました。小さい時から読書と森の探検が好きで、今も暇があれば、実家の森で作業をしたり小説を読んだりするのが最高の楽しみです。
ミネソタ州のカールトン大学で初めて副専攻として日本語を勉強して、四年生の時に名古屋の南山大学へ留学しました。ホストをしてくれた年齢の近い独身女性(最愛の友達の一人)は、私に日本文化の手ほどきをし、珍しくて素敵な冒険をさせてくれました。私は日本に恋をしてしまいました。
次の年に夫と結婚し、日本企業に雇われた夫と二年間、調布市に滞在しました。その後、ミネソタ大学とウィスコンシン大学で日本語の勉強を続け、2003年に日本文学博士号を取りました。論文の研究のために、一年間大阪にも滞在しました。そのときは、夫はアメリカで仕事を離れられなかったので、七歳の長男と三歳の次男を連れて一人で日本に来ました。
毎日二人を保育園に預け、万博記念公園の大阪国際児童文学館(今はなくなっています)で研究を続けましたが、育児と仕事の両立がどんなに大変かを味わうことができました。特に、保育園が大変でした。アメリカの保育園なら預けるだけでよかったのに、お弁当を作ったり、連絡帳に毎日記入したりして、行事にも参加しなければなりません。お弁当のおかずをスーパーで買ってすませようとすると、「奥さん、これはスーパーで買ったでしょう?」とすぐ見破られ、頬が赤くなりました(笑)。
その後は、息子たちを育てながら、アメリカのいくつかの大学で日本語を教えたり、日本で英語を教えたりしましたが、2016年からはミネソタ大学で日本語講師をしています。ここ5年間の研究テーマは日本語の助詞で、理解を深めるために、漫画で助詞のキャラを描いています。
Q2:ミネソタ生まれで現在もミネソタにお住まいですが、ミネソタはどんな土地でしょうか。アメリカの他の州との違いや特徴はありますか。
ミネソタは、自然が豊かで、世界のどの土地とも同じく、多様な歴史が重なってできた州です。実家に行くと、私たち家族が管理している昔農場だった100エーカーの森があり、その丘に登れば、古いミネソタに出会うことができます。足元には、魚が初めて足が伸びて海から這い出てきたデボン紀に生きた、羊羹の缶詰の形をしたオウムガイ目の化石があり、開拓者が建てた丸太小屋の土台の上を歩けます。開拓時代と変わりなく、ラッパ銃で狩猟する隣人もいます。隣人が狩りをしていると、谷間に戦場みたいな銃声が響きます。
丘を下りれば実家の赤いペンキの納屋があり、中には耕運機の愛好者である父のコレクションがあります。車輪が鉄でできている蒸気時代のエンジンも二台あります。
私は平日はミネソタ大学で日本語を教えていますから、日曜日の午後にはミネアポリス、つまり、新しいミネソタに車で向かいます。途中、高速道路の両側には、70年代にカンボジアやベトナムから避難してきたモン族の小さくて効率的な畑があります。ミシシッピ川の大橋を渡ると、戦後世界の航空産業を支配した会社の一つであるノースウエスト航空(今はデルタ航空)の本社があったイーガン市に入ります。さらに北上して、ミネアポリス市に入ります。
都心に近づくと、エチオピア人のコミュニティがあり、ヒジャーブを被った女性や鮮やかなローブを着たアフリカ人の老人を見かけます。そのコミュニティに、アメリカ史上初めてのイスラム教会員議員(おまけに、女性!)のイルハン・オーマー氏が住んでいました。
ようやく大学に着きます。うちの学科はアジア言語のほかに、アラビア語やモン語の授業などもあります。多様な人種の同僚に囲まれて教えています。私は大学の近所にある「日本語図書館」にときどき寄ります。戦争花嫁で、ミネソタの屈指の不動産仲業者でもある洋子・ブレキンリッジが個人でやっている、日本語の小説やDVDでいっぱいの小さな図書館です。
仕事が終わってマンションに帰る途中には、プリンスが創造した「ミネアポリス・サウンド」が聞ける有名なクラブ「ファスト・アベニュー」があります。ミネアポリスはLGBTの文化が盛んで、マンション近くのローリン・パーク前の横断歩道はレインボーカラーになっています。
Q3:日本語に興味をもったきっかけはありますか。
大学一年生の時、彼氏(今の夫)が日本語のクラスを取ることにしたので、一緒なら楽しいだろうと思って取ってみました。「日本」がどういうところかよくわかりませんでしたが、当時は侍とロボットとトヨタの国というイメージを持っていました。
「あ」の書き方を教わったときから、日本の文字に魅せられました。「A」も「あ」も、線を三つ書けば完成しますが、実用的なAと優雅で複雑な「あ」はまったく違う文化が生み出した、まったく違う生き方を象徴する文字だとすぐわかりました。
日本語を勉強している中で、先生にスタジオジブリのアニメを紹介され、日本のテレビ・ドラマを見せられ、アメリカと何から何まで違う日本の文化にますます深入りしていきました。彼氏と一緒に楽しく過ごせそうという軽薄な動機から、人生を変えることになる道に入ったのです。