アメリカのおいしい生活
11月
19日月曜日

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  #109 テーブルに土足
 
 

 最近、日本の子育てサイトで、「スーパーのショッピングカートの物入れ部分に子供を乗せている人がいる。食べ物を入れるところに土足である。嘆かわしい」という書き込みを読んだ。
 スーパーのショッピングカートには、カートを押す手元付近に、荷物置き兼子供乗せがある。その子供乗せ部分に子供を乗せず、商品を置くためのいわばバスケット部分に子供を入れるのはよくない、ということなのである。それを読んだ私は、ひっくり返ってしまった。日本ではそんなことまで気にするのかあ、と。
 そんなのは、アメリカでは日常茶飯事なのである。実は私も、娘が二歳前後のころに何度かやったことがある。娘がどうしてもカートの子供乗せ部分に乗りたがらなかったころのことだ。周りのアメリカ人がみんなやっているとはいえ本来あるべき買い物姿ではないから、そのちょっとだらしない感のある見かけに少々気は引けた。が、

「食べ物を入れるところに土足」

という発想はまるでなかった。だから、そのサイトの書き込みを見て、「日本じゃそんなことも気にするんだ」という驚き方をした自分自身にも驚いた。知らず知らずのうちに、アメリカナイズされてしまったようである。
 そのサイトには、「お手洗いに持っていったハンドバッグなどをテーブル(食事するところ)の上に置いたりするのもマナー違反。その食べ物がテーブルに載るまでに関わったすべての人々に対して失礼」というような記述もあって、私はさらにのけぞってしまった。これって、いまの日本人の共通認識なのでしょうか……?
 これを読んでいて、最近の日本のメディアが、「食べる」の代わりに「いただく」という言葉を使う風潮を思い出した。女性誌などで、レシピの最後に「カラッと揚げて、熱いうちにレモンを絞っていただく」というふうに使われていたのが始まりだったように思うが、いまでは、そこらじゅうで「食べる」ではなくて「いただく」である。若い女性のあいだで「あいまい丁寧語」として流行っているのかと思ったら、先日は、かなり年配で高名な人のエッセイにも登場していた。エッセイの始めのほうに、「先週、栗をいただいたときには……」というふうに使われていたので、てっきりその人が誰かから栗を「もらった」のかと思って読み進んでいったら、「食べた」の意味なのだった。紛らわしい。
 レシピ末尾の「レモンを絞っていただく」などのように、自分で作った料理にまで「いただく」を使うのはどうも馴染まない、と疑問を投げかけたところ、「野菜や動物の命を『いただく』のだからいいのだ」と言った人がいた。それはもう正論中の正論なので、それに対して反対意見を述べると人非人だと思われてしまいそうだ。が、しかし、レシピを「レモンを絞っていただく」というふうに締めくくられると、そのレシピの書き手が読者にへりくだるように要求している気がしてくる。作って食べるのは、読者なのに。いったい誰にへりくだるように要求しているのだ? ――野菜や動物や、その食べ物がテーブルに載るまでに関わった人々すべてに? 
 ちなみに、十年以上まえに買った料理本をあれこれ見てみたが、「いただく」で終わるレシピはひとつもない。「カラッと揚げて、熱いうちに食べる」――潔く、小気味いいではないか。そのころの日本人が、いまの日本人よりも食べ物にまつわるもろもろに感謝の心を持っていなかったとは考えにくい。そんなことは、いちいち言葉に表さなくてもやっていたのである。
 食べ物そのものに限らず、その食べ物がテーブルに載るまでに関わった人々すべてに感謝するというのは大事なことだと思う。が、最近の「いただく」乱発には、「とりあえずなんにでも感謝して、丁寧にしておけば間違いない」という下世話な下心が透けて見えるような気がしてならない。それならいっそ使わないほうがまし、と思うのだが。
 ……というようなことをぼーっと考えていた先日。私はものすごい光景を目の当たりにしてしまった。
 ところは、マクドナルド。
 そこは小さな子供のための遊具がある店で、何組かの子供連れ客がいた。
 私のテーブルのまえに、孫を連れてきたらしい白人のおばあさんがいて、隣のテーブルの客と世間話をしていた。
 そのおばあさんのテーブルの上を見て、私の目は点になった。

スニーカーが置かれて

いたのである。
 その店の遊具は、靴を脱いで使用することになっている。カラフルなプラスチック製の遊具の脇には靴置きの棚があって、子供たちの小さなスニーカーやサンダルなどが納められている。おばあさんの孫は、脱いだスニーカーを棚に置かずに、テーブルに置いて遊びに行ってしまったのだろう。
 テーブルの上に並んだスニーカーを、おばあさんは気にするふうはない。ときおりソーダを飲みにテーブルに戻ってくる孫の男の子も、遊びに夢中でもちろん靴どころではない。
「お手洗いに持っていったバッグをテーブルに置いてはいけない」などと言っている日本の人が見たら、泡を吹いて倒れちゃうのでは、というような光景である。だいぶアメリカナイズされてしまった私も、これはいかんなあ、と思った。周りのアメリカ人客はどう思って見ていたのであろうか。
 男の子のスニーカーは、おばあさんとその子が店を出て行くまでテーブルの上に置かれたままであった。ハンバーガーを食べたあとのゴミやソーダの紙コップを片付けずにテーブルの上に残したまま、彼らは去って行った。
 食べ物にまつわるあれこれを必要以上に神聖化して、「食べる」の代わりに「いただく」を連発する日本の風潮は鬱陶しいが、テーブルに靴を置いていて平気なアメリカ人の感覚は度しがたい。
 日本から少し人を送り込んでもらって、「食べ物を置くところに土足はいかん」とアメリカ人たちを教育してもらえないものだろうか。熱意のある人、求む。

 
 
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