もうすぐ四歳になる娘が通っている学校で、週に一度ボランティアをしている。
この学校は、保育園と幼稚園を兼ねている。二歳半の子供から、キンダーと呼ばれる子供たち(日本でいえば一年生)までが通う。
ここで木曜の午後、字が読めるようになってきた五歳前後の子供たちが本を読むのを、一時間だけ手伝っているのである。
「ボランティア? えらいねえ」
と友人たちには感心されるのだが、いや、成り行き上、後に引けなくなってしまったのだ。
九月に学校で行われたオリエンテーションのときに、娘の担任の先生から、この「リーダーズ・ヘルプ」のボランティアの話が出た。その際、私は、
「ネイティブ・スピーカーでない私にはきっと無理でしょうね……」
と、「外国人カード」を出して体よく断ったつもりであった。が、先生は、
「そんなことないの、カンタンよ、ほら」
と言って、テキストをわざわざ取り出してきて見せてくれた。なるほど、カンタンだ。
なにしろ、幼稚園児用
なのだから。
こうして退路を断たれた私は、不承不承ボランティアをすることになった。校長先生が「十人は欲しい」と息巻いていたこのボランティアには、共働きの父母が多いせいか、ほかのだれの手も挙がらない。結局、私ひとりがやることになった。
木曜の一時。お昼ごはんの時間が終わって、四歳以下の子供たちはお昼寝部屋に連れて行かれる(州の法律で決められているらしい)。小さい子供らが眠っているあいだは、「午後のお勉強」の時間で、大きな子たちは、読み書きや簡単な計算を教わる。そこに私も参加して、子供と一対一になって読み方を教えるのだ。
「めぐみのお母さんと本を一緒に読みたい子はいますかー?」
先生が子供たちに向かって訊くと、小さな手がいくつか挙がる。先生に指名された子は、教室の隅のテーブルで待っている私のところにやってくる。
「字の読み方、知ってる?」
その子がどの程度まで字が読めるのかを確かめるために、まずはアルファベット表を読ませてみる。
「アー、ブッ、クッ、ドゥッ……」
子供が、読み始める。
その学校では、アルファベットを「エー、ビー、シー……」とは教えていない。アルファベットは、その字が言葉に組み込まれたときに、字の名まえが発音されるわけではないからだ。たとえば「A」は、字の名まえは「エー」だが、appleと書かれたら「ア」(「エ」の形に開いた口で「ア」と発音)である。だから、Aは「エー」ではなく、「ア」と覚えさせるようにしているのだ。
校長先生は、Aが「エー」なのか「ア」なのかで混乱するから、セサミストリートなどで安易に「エー、ビー、シー……」などと教えないでほしい、と言っている。
アルファベットの読み方がひととおりできたら、本にとりかかる。読み方を覚え始めた子供用に作られたシリーズで、一冊は二十ページほど。白黒の挿絵の下に、「Tab
is a cat. He has a pal.」というような、シンプルな文が書かれている。シリーズの最初のほうは、どの言葉も三文字の短いものばかりだ。
子供は、覚えたアルファベットの読み方をたよりに、一文字一文字読んでいく。「Tab」なら、「トゥ・アー・ブッ」という具合。
「『トゥ・アー・ブッ』ってなんだろ? 音をくっつけてごらん。トゥアーブ、トァーブ……」
ふたりで「トァーブ、トァーブ……」と言い続けていると、しばらくして、
「トァーブ……タァーブ?! タァーブ!」
という具合に、三つの音だったものが合わさって、意味のある言葉になる。子供の目が、「ひらめいた!」と輝く瞬間だ。
「『タァーブ』ってなあに?」
と訊くと、挿絵の猫を指差して、
「この猫の名まえ!」
となる。
「そう! やった、読めたね! ハイファイブ!」
そう言って出した私の手を、子供は、パチンと叩く。とてもうれしそう。私だってうれしい。ヘレン・ケラーが井戸の水を手に受けながら「ゥウォーター」と初めて言ったときの、サリバン先生の気持ちがちょっとわかったような気になる。
もちろん、こんなふうにうまくいくことばかりではない。
アルファベット表ではそれぞれの文字の音がわかっていても、言葉に文字が組み込まれると、「あれ? なんだったっけ?」となる子もいる。アルファベットの順番で覚えているのである。
それと、やはりアルファベットの名まえが邪魔をする。
「Tab」を読ませると、「トゥッ・アー」ときたあとに、「この字はなんだったっけ」としばし考え、「ビー?」と読んでしまうのだ。
また、「トゥッ・アー・ブッ」まで行き着いたとしても、その三つの音をくっつけるコツをつかむのにも時間がかかる。
さらにこれ以前の問題として、それぞれのアルファベットの大文字、小文字を覚えておかなければならないのだ。大文字でBが読めても、小文字のbになると、dと間違えて、「ドゥッ」と発音してしまう子もいる。
これまで、「アルファベットは二十六文字しかないけれど、五十音は四十六文字もあって大変だ。日本語はやっぱりむずかしいんだなあ」、と思っていたけれど、こうして考えてみると、読み方のとっかかりとしては、ひらがなは非常にシンプルである。「へ」を「え」と読んだり、「は」を「わ」と読んだりする例外はあるけれど、基本的に、「あいうえお」は常に「あいうえお」なのだから。
アルファベットの発音のむずかしさは、これにとどまらない。「アー、ブゥッ、クッ、ドゥッ……」と、それぞれの文字の発音を几帳面に覚えても、
例外が山ほどある
のだ。
たとえば、Aは、「アー」と発音するばかりではない。「エイ」と発音することだってある。apronは、「エイプロン」だ。また、不定冠詞の「a」は、「エ」の口をして「アー」と発音するのではなく、もっと地味な「ア」である。
それに、ほかの文字と組み合わさると、まったく違う発音になる場合もある。たとえば、audienceは、「オーディエンス」。AはUと組み合わさると、「オー」と発音するのである。「Aは『アー』だと教わってきたけどっ!?」という叫びが聞こえてきそうだ。英語には、こんな例外――いや、実は例外ではなくてこれも決まりごとなのだが、Aは「アー」だと教わってきた子供たちにとっては例外だといっていいだろう――が、ごまんとある。aerobicsなんて、「なんでエアロなの? なんで『ア』と『エ』が逆になるのーっ?!」という理不尽さである。
「Tab is a cat.」を「タァーブ イーズ ア キャット」と初めて自分で読むことができて目を輝かせている五歳児と共に喜びながら、私は心の隅で、「これで字が読めた気になっているだろうけど、これからまだまだ、道は遠いのよぉ」などと皮肉っぽく思っている。
しかし子供らは、私が「大変だよ、むずかしいよ」と思っているようなことを、あんがいすんなりと覚えていくのでろう。そして、外国人である私などあっという間に追い越して、素晴らしい発音でもってむずかしい本をすらすら読むことになるのだ。
そのときには、
「アンタに読み方を教えたのは私なんだからね」
と、恩着せがましく言ってやろう。
――子供相手に無償の奉仕をしながら、そんなことをドロドロと考えている木曜の午後である。
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