アメリカのおいしい生活
4月
7日月曜日

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  #118 キレやすさの処方箋
 
 

 最近、どうも身辺が穏やかでない。
 まず、詐欺にひっかかりそうになった。
 ある日の夕方、電話が鳴った。
「お宅のクルマのワランティがもうすぐ切れます。更新しませんか?」
 おお、もうそんな時期なのかあ。クルマは、ワランティ(保証)が切れた途端にあちこち不具合が起こって出費がかさむからなあ、と思い、いろいろ質問などしながら熱心に話を聞いた。
「七万五千マイルまでが四千百ドル、十万マイルまでが三千六百ドルでワランティの更新ができます。どちらも七年までという期限つきですが」
 なんだか安いのだ(しかも、なぜ十万マイルまでのほうが安いのだ?)。これから七年のあいだ同じクルマに乗り続けるなら一度や二度は必ず大きな修理があるだろうから、このワランティを買っておくのは得なような気がする。
「七年経たないうちにクルマを売ることにしたらどうするの?」
「はい、そのときにはワランティの名義もクルマと一緒に売ることができます。ワランティ付きとなれば、クルマの再販価値が上がりますよ」
 聞けば聞くほど、いいことづくめなのだ。
「で、いかがいたしましょうか?」
 あまりにもいい話なので、その場で「更新する」と言いそうになった。が、いちおう「夫と相談してから返事する。いま言っていた内容を書き物にして送ってくれないか」と答えた。
「さようでございますか。では送り先の住所を教えてください……」
 私は我が家の住所を伝え、男は、「それでは一両日中に郵便にてお送りします」と言って電話を切った。
 その夜、この電話の件を夫に伝えると、
「ウチのクルマのワランティはまだ切れないはずだ」
 と言う。
 調べてみたところ、保証期間はあと二年残っていた。男の連絡先を聞いていなかったので、慌てて*69(最後に電話をかけてきた相手の番号を追跡するサービス)を押してみたところ、

「連絡先不明」

のメッセージ。
 なんだか気持ちが悪いので、地元の警察に電話して相談したら、
「詐欺でしょうね」 
 と、軽く言われた。
「あの、住所を教えちゃったんですけど……」
「住所だけですよね? それならなにもできないはずだから大丈夫だと思いますよ。次回からは、そういう電話はすぐに切るようにね」
 はあ。私はこのテのことに関してはガードが固いほうだと自負していたのでちょっとショック。クルマがらみのことは不得手だから、ついつい受け身になってしまった。クレジットカードの番号など与えなくてよかった、とひとまず胸をなでおろした。
 詐欺は困るが、その少しまえに起こった事件は、もっと怖ろしかった。
 娘が通っている学校のすぐ裏手にある公園で、発砲事件があったのだ。
 顛末は、以下のとおり。
 水曜の午後、三人の男たちが公園にあるバスケットコートでバスケットをしていた。プレーのことが原因だったのかどうか知らないが、そのうちのふたりが言い争いを始めた。AはBの持ち物をやぶのなかに放り投げ、それに腹を立てたBは、駐車場に停めてあった自分のクルマから銃を持ち出してきてAの足を撃った。逃走したBは、三時間ほど自分のアパートに立てこもったのちに、投降した。
 幸い、事件が起こったときには、私の子供は学校にはいなかった。が、事件現場は、その学校の生徒たちがいつも遊んでいる公園の敷地内である。
 頭のおかしな輩がだれかれ構わず銃をぶっ放した……という事件ではなく、子供っぽいながらもいちおう理由があっての発砲だった、という点においては、なんとなくほっとするのである。が、やはりアメリカ人はクルマのダッシュボードなどにハンドガンを入れているものなのだなあ、と思うと、心穏やかではいられない。
 クルマを運転していてマナーの悪いドライバーに出くわすと、どうにも腹立たしさを表明したくなって腕など上げてみたりしてしまうのだが、それで相手を怒らせてダッシュボードから銃を出されたりしたら大変だ。最近はキレやすい人が多いようだし、自分の腹立ちはさておき、とにかく周りを怒らせないように運転しなければ、と心に決めたのであった。
 
 キレやすい、といえば、最近ラジオでこんなことを言っていた。
 最近の子供は、自分を規制する能力が低下している、と。
 英語でself-regulationというこの能力を備えている子供は、感情や態度を自分でコントロールしたり、突発的な衝動を抑えたりすることができるのだが、この能力がどんどん低下しているのだそうだ。
 その証拠に、こんな実験結果がある。
 三歳、五歳、七歳の子供たちに「動かないでじっと立っていなさい」と指示してみたところ、六十年まえは、三歳児はまるでじっとしていられず、五歳の子供たちは三分が限界、七歳の子たちは、いいと言われるまでいつまででもじっとしていられた。
 いま、同じ実験をすると、五歳の子が六十年まえの三歳レベル(まるでじっとしていられない)、七歳の子が六十年まえの五歳レベル(三分)に達するか達しないか――という結果が出るのだそうだ。
 このラジオのレポートでは、自己規制能力の低下は、子供のころの遊び方の変化によるところが大きいのではないか、といっていた。
 いまの子供たちは、テレビ、ゲーム、習い事などに忙しくて、自由に遊ぶ時間が少ない。幼稚園などでも、かなり早い段階から「遊び」よりも、読み書きなどのドリルを導入するケースが増えている。
 仮にフリープレイの時間があったとしても、いまの子供たちはすでに用途やテーマの与えられたおもちゃを使って遊ぶことが多く、想像力を使う遊びが少ない。
 たとえば、海賊ごっこ。昔は木の切れ端を刀に見立てたり、布切れを頭に巻いたりして海賊らしさを自分たちで工夫したものだが、いまの子供たちは、出来合いの海賊コスチュームを与えられている。海賊の衣装は、海賊遊び以外には使えない。
 想像力を使った自由な遊びが、なぜ自己規制の能力を養うことになるのか。
 刀にはほど遠いような木の切れ端を刀だと自分で決め、その遊びのあいだじゅうそれを守り通すことによって、

「自分でルールを決め、それを自分で守る」

ということの訓練になっていくのだという。
 また、大勢の子供たちが集まって「ごっこ」遊びをするときなどは、みんなでそれぞれの役割を決めることになる(たいていは、年上の子たちがみんなに役を割り振ることになるのだが)。みんなはその決めごとに従って、お母さんの役の子はお母さんに、犬の役(たいていは小さい子がこんな役回りだ)を割り振られた子は、犬に徹することになる。こういう一見たわいない「ごっこ」遊びも、「自分たちで決めたルールを守る」ことの訓練になっている。その場その場で自分の好き勝手なことをやりたい、というような衝動を抑えることに一役買っているというわけだ。
 いま、どのくらいの子供たちがこういう遊び方をしているだろうか。日本のことはよくわからないが、アメリカでは放課後に空き地で小学生が遊んでいる……という光景はまず見たことがない(誘拐や交通事故を恐れ、アメリカでは子供たちだけで外にいることはほとんどないのだ)。
 いまの小学生たちは、ゲームを持ってだれかの家に集まり、それぞれのスクリーンに向かって黙々とゲームをしている、と聞いたことがある。悲しい光景だ。
 のびのびと子供たちだけで遊ぶことができない環境を作り出してしまったのも、テレビやゲームなどというものを作り出して子供たちに与えてしまったのも、ピアノだスイミングだ、と習い事に子供たちを引っぱりまわしているのも、すべて大人たちである。その大人たちは、じっとしていられない子供やキレやすい子供に当惑している。
 子供たちを「正しく」遊ばせなければいけない、という気がする。その環境を大人が作り出してやらなければならない、と。それは、おもちゃを買い与えることではない。子供たち本来が持つ想像力を発揮して遊ぶことができる、「素」の環境を提供してやることだ。
 キレやすさの処方箋は、子供たちを本来の子供たちの姿に戻してやることなのかもしれない。
 簡単なことのようでいて、いまの世の中、これがいちばんむずかしいのだけれど。

 
 
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