先日、めでたく味噌開きの日を迎えた。
「味噌開き」とは、私が勝手に作った言葉だ。去年の秋に仕込んだ味噌のかめを、開けてみたのである。
味噌作りは初めての試みであった。ポートランドではなかなか味噌が手に入らない……というわけではない。郊外にある日系スーパーに行けば、ゆうに二十種類くらいの味噌が並んでいる。仙台味噌や大分の麦味噌だってある。
そんななか、どうしてわざわざ味噌を作る気になったのかといえば、日系スーパーの棚に乾燥麹が並んでいるのを見て、ふと「ああ、これで味噌が作れるのかあ」と、試してみたくなったのだ。レシピは、ネットで検索。
味噌作りは、やってみるとあんがいカンタンだ。
ひと晩水に漬けた一キロの大豆を、大きな鍋で五時間ほど煮る。やわらかく煮上がったら水分をよく切って、ポテトマッシャーでつぶす。ぬるま湯で戻した乾燥麹八百グラムと塩四百九十グラムを合わせ、さらにつぶした大豆も混ぜる。よく混ぜる。
粒子の粗いおからみたいになった味噌の素を、いくつも団子状にまとめる。この団子を味噌玉と呼ぶらしいが、こうしておいてからかめに詰めると空気が抜けやすくなるのだそうで(空気を多く含むとそのぶんカビが生えたり雑菌が繁殖したりしやすい)、味噌作りには欠かせぬ工程らしい。
アルコール(焼酎でもいいらしいが、手に入らなかったのでウォッカで代用)で消毒したかめに、味噌玉を詰めては上から押して空気を抜く。全部詰めたら表面を平らにし、ラップで覆って重石をする。冷暗所で、六カ月ほど置いておく(三カ月めに一度かき混ぜて天地を逆にする)。
大豆の水切りや潰し作業に四苦八苦するが、これは量が多いからであって、作業じたいは単純で、そんなに手間のかかることではない。一日仕事かと覚悟していたら思いのほか早く終わってしまい、拍子抜けしたくらいである。
いちばん苦心したのは、
かめ探し
であった。味噌を発酵させるのにちょうどいい大きさの、かめ。
気分としては、日本に昔からある、赤茶色の地にこげ茶のペイントをたらりと垂らしたような、レトロな模様の陶器のかめが欲しいところであるが、そんなものは異国の地では手に入らない。
レシピによれば、一キロの大豆から味噌を作るなら、五・四リットルの容器を用意すること、とある。とりあえず、そのくらいの容量の陶器製かめを探すことにした。
アメリカではリットルという単位は使われない。オンスやパイントやクォートやガロンだ。キッチン用品屋に出かけるまえに、五・四リットルがだいたい十二パイントだということを調べておいた。我ながら、用意周到である。
店にはいろいろな容器が売られていたが、どれもこれも小さすぎたり、口が狭すぎたり。
お、これはいいかも、と見つけたガラス製のジャーは――なんと「二ガロン」という表示があった。
二ガロン。ふむ。何リットル? 何パイント?
私は店のなかで途方に暮れた。用意周到だったはずなのに。
アメリカで採用されている測量単位はむずかしい。リットルやメートルみたいに十進法ではないので、どうもすっきりしないのだ。一パイントは十六オンス、一フットは十二インチという具合である。慣れていればさしたる混乱もないのだろうが、リットルやメートルに慣れている私にとっては、ややこしいばかりである。普通に暮らすぶんには、そんな測量単位は覚えずとも問題はなかったので、アメリカの測量単位は覚えぬままにここまできた。
「あのう、この二ガロンのジャーというのは十二パイントより大きいですかねえ?」
そばにいたエプロン姿の中年男性店員に訊いてみた。
「えーと、ちょっと待ってよ」
レジの奥に引っ込んだ彼は、大柄の女店員を連れてきた。どうやら上司らしい。
私がその女店員に同じ質問をすると、彼女は即座に、
「二ガロンは十二パイントよりも少ないわよ」
と大きな声で言い(さきほどの男性店員がそばで頷いている)、
「このジャーのなかに、なにを入れるつもりなの?」
と訊いてきた。
「えっと、味噌を作ろうと思って……。あの、知ってます? ミソスープのミソ。ビーンペースト」
私がそう言うと、彼女は「わたしゃキッチン用品屋に勤めているんだから味噌がなにかくらいわかってるわよ」というような、ちょっとした苛立ちの表情を一瞬顔に浮かべたあと、
「それならこのジャーをふたつ買ったほうがいいわよ。それか、レシピを半分にするかだわね」
と言い放った。
「はあ、そうですか……」
体格のいい女店員に自信たっぷりに言われたものの、目の前のガラスジャーは、どうにも大きいのである。猫が二匹くらいゆうに入りそうなくらい……といって、それが何ガロンなのか、何パイントなのかはわからない。わからないが、たったの大豆一キロからこの容器ふたつを満たすほどの味噌ができるとは到底思われない。でも、自分が絶対に正しいという確信も、いまひとつ持てない。
女店員は、「さあ、どうすんの」と言いたげな表情である。私は、ものの量に関する感覚が鈍い自分を呪った。
そのとき、ふと頭に浮かんだのだ。
もしかして一ガロンは三リットルちょっとではなかったろうか、と。
だとしたら、二ガロンは六リットル強ということになるから、このガラスジャーひとつで、私の味噌が必要とする五・四リットル(約十二パイント)という容量を満たすに足るわけだ。
「あの、本当にこの二ガロンのジャーは、十二パイントは入らないんでしょうかねえ?」
私がもう一度おずおずと確認すると、
「入りません」
相変わらず、女店員は自信ありげに鼻の穴を膨らまして言う。隣で、腰巾着みたいな男店員も頷く。
結局私は、それじゃあレシピを半分にする、と言って、そのジャーをひとつだけ買った。
家に帰って調べてみたら、一ガロンは八パイントであることがわかった。レシピを半分にしなくとも、このガラスジャーひとつで一キロの大豆からできる味噌がゆうゆう納まるというわけ(ちなみに、一ガロンは三・八リットル)。
なーんだ、アメリカ人(しかもいろいろな容器を扱うキッチン用品店に勤めている人たちだ!)も、ガロンだのパイントだのという単位はワケわかってないんじゃないか!
これまでに何度もあったことだからいまさら驚きもしないが、それにしてもアメリカ人というのは、どうして間違いをあたかも正しいことのように自信たっぷりに言うのであろうか。
いや、間違いだと思っていないから自信たっぷりに言えるのだな。だとしたら彼らに欠けているのは、「自分が間違っているかもしれない」という謙虚な気持ちである。
というわけで、難航を極めた味噌かめ探しであったが(そうでもないか)、なんとか無事に役目を果たせそうなものを入手。
そのかめに、大豆と塩と麹を混ぜたものを入れて寝かせておくこと六カ月。
みごと、味噌が出来上がった。一カ月まえにチェックしたときにはしょっぱさばかりが際立っていたので心配したが、この最後の一カ月で塩加減が落ち着いたというか、マイルドになったというか。春になって気温が上がったから、発酵が進んだのであろう。
キュウリにつけてみる。オーブントースターでちょっとあぶった玄米のおにぎりに塗りつけて、さらに味噌に焦げ目がつくぐらいまであぶる。いりこだしに溶かして、豆腐とワカメとネギだけのシンプル味噌汁もなかなか。刻んだネギと合わせたネギ味噌は、温かいご飯によく合う。
こういうのを
手前味噌
というのだろうが、自分で作った味噌は、思っていた以上に出来がいい。いつもと同じように作った味噌汁が、「あれ? しじみが入ってる?」というくらいの深い味わいなのだ。
問題は、コスト。四キロの味噌を作るのにかかった材料費は、五十四ドルであった。店でいつも買っていた味噌は、五百グラムちょっとで六ドル。手間ひまかけて自分で作った味噌のほうが一割ほど高いのだ。たかが数ドルに目くじらを立てることもないかなという気はするが、なんとなく納得がいかない。
日本産大豆にこだわらず、アメリカ産大豆で作ったらもう少しコストが抑えられるだろうか。麹をネットで安く売っていないだろうか。いや、麹から手作りしたら、ぐっとコストが安くなるかも(が、どこで麹菌を手に入れるかは課題)。
まだまだ工夫の余地はありそうである。
そんなことを考えていたら、次はしょうゆに挑戦してみようか、納豆作りも楽しそうだ、などと、次々に自分で作ってみたくなってきた。
これからしばらく、日本の味を求めての大豆遊びが続きそうである。
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