アメリカのおいしい生活
7月
21日月曜日

Back Number

About the Author

Mail to the Author

 

 

 

  #12  独立記念日の正しい過ごし方
 
 

 七月四日の独立記念日に、ご近所さんのパーティーに呼ばれた。その週末は夫が珍しく四連休だったので、サンフランシスコにでも遊びに行こうかと思っていた。が、一月に引っ越してきていらい挨拶をしそこねてしまって名前も知らないというご近所さんが今に至るもけっこうたくさんいる。この機会にスッキリしておこうか、としばし考えあぐねた。
 どうやらこの界隈では、このテの「ご近所パーティー」が年に何度か開かれているらしい。四月のイースターパーティーは、日本に行っていたので欠席してしまった。二度も続けて欠席したら付き合い悪いと思われるだろうな、とか、もう誘ってもらえなくなっちゃうかもしれない、とかいうような思いが頭をよぎった。結局、私たちはサンフランシスコ行きを断念して、出席を決めたのであった。
 パーティーに集まった三十人ほどは、ほとんどがご近所さんとその家族。ポロシャツにショーツ、というようなカジュアルな集まりだ。アペタイザーやサイドディッシュをゲストが持ち寄り、主催者はドリンク、バーベキュー、それにデザートを用意した。
 この日から正式に夏が始まる、といわれる独立記念日には、アメリカ人はとにかくバーベキューをする。これがなくちゃ始まらない、という感じ。主催者宅のダンナさん(ジム・キャリー似)がデッキに置かれたふたつのバーベキューグリルを駆使して、パーティーが始まるやひたすら肉を焼き続けていた。
 子供のころ、バーベキュー味のスナック菓子を食べるたびに、「バーベキューってなんだろう」と不思議に思ったものである。バーベキューという言葉は日本にいつのまにか浸透したが、私はアメリカに住んでみるまでどんなものなのかあまりよく知らなかった。だから大人になって、こうしてアメリカ人がバーベキューしているのを目の当たりにすると、距離的にも、そして時間的にも「遠くに来たなあ」という気がする。要するに、外のグリルで調理すればなんでもバーベキューなのだが。
 主催者宅のダンナさんは、デッキに座っていたゲストたちの会話にときおり加わりながら、あらかじめステーキソースで味付けしたビーフのブリスケット(胸肉)とチキンを焼いていた。そしてそのあと、ハンバーガー用のビーフのパテを焼き始めたのだが、その様子に私はちょっとビックリしてしまった。カチンコチンに凍った二センチほどの厚さのパテをビニール袋から取り出し、そのままグリルに並べていたのだ。解凍しておくのを忘れたのではなさそうだ。「遠くに来たなあ」感は、こういう瞬間にますます強くなる。ブリスケットはおいしかったが、ハンバーガーには手が出なかった。
 主催者宅の奥さんの父親が作ったというアイスクリームがデザートに振る舞われた。ウォルター・マッソーと牟田悌三を足して二で割ったような、ちょっと東洋人の血が混じっているのかという感じのじいさんはそのバニラアイスをよっぽど大量に作ったようで、ゲストたちにしきりにお代わりを勧めた。ホームメイドのアイスクリームは店で売っているのより温度が低いから、あんまり大量に食べるとこめかみが痛くなるんだよね、などと言いつつ。「もう結構」と言えなかった夫の器には、山のように盛られていた。
 そして、デザートの後は花火。
 私たちが去年の暮れまで九年半ほど住んでいたニュージャージー州では、個人の花火は禁止されていたので、オレゴンの

「独立記念日といえば花火」

は新鮮な驚きであった。しかも、「花火をやるよ」と言われて、私は子供のころに日本でやったみたいな各自が手に持つタイプを想像したのだったが、オレゴンでは打ち上げ式が主流。玄関前の芝生に椅子を並べて、ティーンエイジャーたちが次々に打ち上げる花火を眺める、というスタイルなのであった。
 花火は、三十分くらい続いただろうか。夜の空気は七月とは思えないほどの冷たさで、私は自宅からひざ掛けを持ってきて体にぐるぐる巻きにし、ミイラのような格好で音ばかりが威勢のいい花火を見た。アメリカ人たちのほとんどは、「今年の独立記念日は例外的に暖かいよ」とか言いながら、半袖、短パンのままだった。

 というわけで、オレゴンの独立記念日は「バーベキューに花火」なのだが、ポートランドには、もうひとつ欠かせないイベントがある。ブルースフェスティバルだ。ウィラメット川沿いのウォーターフロントパークで四日間に渡って行われる。
 入場料は、ひとりにつき五ドルと缶詰ふたつ。――缶詰ふたつ? 恵まれない人たちに寄付するためである。「缶詰、持ってないんですけど」と言ったら、「いいの、いいの。次回からは持ってきてね」と受付の人は言い、チケット代わりのステッカーをTシャツの胸にぺたんと貼った。
 会場の中は、大小いくつものステージに、ビールやレモネード、ホットドッグや中華風ヤキソバなどの屋台。Tシャツ、タンクトップにジーンズや短パンなどのラフな服装の観客たちが浮かれた様子でひしめき合っている。ここのところ雨が降らないせいで埃っぽく、芝生も白茶けたところが多い。
 観客用のベンチが用意されているステージもあったが、たいていは、観客が地面に敷物を敷いて自分の場所を確保するか、あるいはポータブルの折り畳み椅子を用意してくるか、であった。そういえば、六月のローズフェスティバルのパレードでも人々は折り畳み椅子やビーチタオルを沿道に置いていたし、前日のご近所パーティでの「花火大会」でも、折り畳み椅子が持ち寄られていた。ポートランドでは、敷物と折り畳み椅子の出番が多い。
 フェスティバル最終日の五時過ぎから、スーザン・テデスキという歌手のコンサートを聞いた。グラミー賞に二回ノミネートされたことがあるという彼女は、見かけは洒落たレストランで客を席に案内する品のよいお姉さんという感じなのだが、歌声はジャニス・ジョプリンを思わせるパワフルさ。長い髪をなびかせながらギターを弾く姿が勇ましい。入場料五ドル(プラス缶詰)というのが申し訳なく感じるほどの実力派であった。
 老若男女入り混じった観客は大喜び。特に、私たちのいたところはステージに近かったせいか、みんな立ち上がって体を揺らしたり、派手に踊ったりしていた。
 そんななかに、周りから完全に浮いているカップルを発見。四十代半ばくらいの白人男性に、三十前後のダークな肌の女性。ほかのだれよりも大きな敷物(しかも白地に刺繍のついたデラックスそうなヤツ。私ならぜったい地面になど敷かない)を広げ、その上にふたりで寝そべっていた。男はラルフ・ローレンの青いポロシャツにジーンズ。女は、白いリネンのシャツに白いパンツ、グッチのサングラスにバーバリーの帽子。
 足元には、籐製のバスケットに赤白ギンガムチェックの布が張られたこれまたデラックスなピクニックバスケットが置かれており、その中からときおりローストチキンだのサラダだのを取り出して、紙皿ではなく陶器の皿に盛り、銀色のナイフとフォークで食べていた。足つきのグラス(これももちろんプラスチックではない)から飲んでいたのは、緑色の葉っぱから察するに、モヒート(ミントの葉入りラムベースのキューバのカクテル)と思われた。ペットボトルに大量に作ってきてあった。
 演奏中でも観客をかき分けながら歩き回る人たちがたくさんいたのだが、そのなかには、彼らの白い敷物を踏みつけていく人もいた。デラックスなカップルは、あからさまに不満げな表情。小汚いスニーカーで彼らの敷物の上に乗っかったままステージの様子を大きなカメラで写真に撮っていたおじさん(カメラマン? 白髪混じりの長髪で、ちょっとヒッピー風)には、「踏まないでよ」とかなんとか、抗議していた。最初は何を言われているのかわからずぽかんとしていたおじさんは、やがて

「あんたら、バカじゃないの」

というような表情を浮かべて、人込みの奥に消えた。周りは、自分の用意してきたビーチタオルやブランケットの上に土足のまま立ち上がってブルースを楽しんでいる人ばかりなのだ。
 このカップルは地元の人たちじゃないだろうな、と思っていたら、案の定、男が被っていたのはロサンジェルス・ドジャースの野球帽であった。やっぱり。ステージの向こう側のウィラメット川にはたくさんのヨットが停泊していて、デッキでブルースを聞いていた人などもいた。この浮きまくりのカップルも、もしかしたらLAからヨットだかボートだかでやって来たのかもしれない。
「あ、よそ者なのね」と、やや冷たい視線を送ってしまった。こちらに移って約半年。オレゴンの独立記念日を堪能して、私にも地元意識が芽生えたらしい。いっちょまえに。

 

 

 
今週の2枚


コンサート。

 

観客。
Click for the Big Size
Photo: (c) Yoko Oishi
 
Copyright 2003 by Yoko Oishi, Boiled Eggs Ltd. All rights reserved.