アメリカのおいしい生活
5月
5日月曜日

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  #120 虚と実のイメージにギャップが
      ありすぎ
 
 

 ついに出た。
 なにが出たって、台所にネズミが出たのだ。
 流しに向かって右手にある浅くて幅広の引き出しに、お茶や豆、切干大根など、ビニール袋入りの乾物をしまっておいたのだった。先日、この引き出しから新しいほうじ茶を出して封を切り、茶筒に移し変えようとしたところ、お茶が茶筒に入るまえにさらさらと床にこぼれた。袋の真ん中、わきのあたりに、穴が開いていたのである。
 引き出しがいっぱいになったのを無理やり開け閉めしたこともあったから、そんなときに奥のほうに挟まって袋が破けたのだろうか。でもそれにしては、穴の開き方がヘン。
 ほかに穴が開いたものはあるかしら……と引き出しのなかをごそごそしてみたら、未開封の黒ゴマの袋がやはり腹のところでビリビリ。裂けたような穴ではなく、齧っては引っぱり、齧っては引っぱり、でできたような、ちょっと立体的な穴。
 ああ、ネズミだ、と思い至り、思わず身震いした。
 家にネズミが出て困っている、という友人がこれまでに何人かいたから、ネズミ出現じたいにさしたる驚きはない。が、ちょっとショックだったのは、ウチには猫がいるのに、という点である。たしか、友人のひとりが、「究極のネズミ対策は、猫を飼うこと」とネズミ退治屋から伝授されたと言っていたような。ウチの猫は十六歳、太っていて足が短く、おまけに椅子の上に上がろうとして失敗するほど運動神経が鈍い。どうやら猫ならなんでもいいというわけではないらしい。
 使いかけの小豆と、七味唐辛子の袋も齧られていた。雑食だとは聞くがさすがに唐辛子は食べないだろう。ビニール袋を齧って中身に到達したときには、ガッカリしたに違いない。あまり嗅覚は発達していないようだ。
 夫が日本出張の折にデパ地下で仕入れてきたようかんや海苔、それについこのあいだ日本からのお客さんにいただいたばかりの上等な煎茶まで齧られては大変、というわけで、慌てて引き出しの中身を移動させた。まったく、余計な仕事である。
 その晩、夕飯の後片付けをしていて、妙な音に気づいた。タンタンタン……という小さな音。
 雨が降ってきたのかな? と窓の外を見たが、雨は降っていない。耳を澄ますと、音は、先ほど空っぽにしたばかりの引き出し方面から聞こえてくる。
 テレビで野球を見ていた夫を、引っぱってきた。夫は、引き出しのそばに耳を持っていったのちに、つや消しの銀色をした取っ手を思い切り引っぱった。
「あ!」
 空っぽの引き出しの奥に、

ゴルフボールを一回り大きく

したくらいの、濃い灰色のネズミを発見。「やばい!」という感じで慌てている様子が窺える。体勢を立て直すと、すばやく引き出しの奥、上部の隙間から逃げていった。
 小さくて毛がふわふわで黒目がちの、見ようによってはかわいいヤツであった。地下鉄の駅の隅っこをふてぶてしく走っているようなドブネズミでなかったのは幸いである。
 しかし、かわいくてもウチにいられるのは困る。ネズミ駆除屋を呼ぶことにした。
「あーあ、お宅はネズミがいても不思議じゃないわ」
 さっそくやってきたケヴィンという男は、我が家の裏庭を眺めて即座に言った。
 キッチンの裏手にある庭は、地面のすぐ上に板を張りめぐらしたデッキになっている。そのデッキの下の土に穴を掘って巣を作ったネズミたちは、雨露をしのいで快適に暮らしているらしい。二センチくらいの隙間があればどこにでも潜り込める彼らは、おそらくキッチンシンクに通じる排水パイプ脇などの隙間から家のなかに侵入してきているのだろう、とのこと。ちなみにウチに出没しているような小型のネズミをmouse、大きなドブネズミをratと呼んで区別するらしい。
「あの、猫を飼っている家にはネズミは出ないって聞いたんですけど」
「猫にエサやってる?」
「はい」
「じゃあ、その猫はネズミを獲りゃしないよ。獲ったとしても、たわむれに一匹だけね」
 ケヴィンは、楽しそうに、自信たっぷりに教えてくれるのだ。
「猫がいるというだけでネズミが怯える、なんてことはないんですか?」
「いや、ない。ネズミはね、猫がいることに慣れるんだよね」
 彼は、キッチンシンクの下と裏庭のデッキの下数箇所に、毒エサの入った黒いプラスチック容器をセットした。
「お宅は小さい子がいるみたいだけど、どんなにがんばっても毒エサを取り出すことはできないから大丈夫。猫だって無理。この容器は複雑な構造で、なかに入ったネズミしかエサに到達できないようになってるからね。この毒を食べても、ネズミはすぐには死なないよ。七日間ぐらいかかる。ヤツらはけっこう頭がいいからね、こういうものを設置した直後に仲間が死んだりすると、この毒エサとすぐに関連づけて考えて、以降近寄らないようになるんだ」
「へえー、ネズミも考えてるんですね」
「彼らなりにね」
 ケヴィンは、敵のことは知り尽くしている、というふうである。
「いまウチに出入りしているネズミを退治できたら、もう問題解決ですかね?」
「うーん、どうかな。ネズミはね、通ったところを尿でマーキングしていくんだよ。それをたどっていくと食べ物にありつける、とほかのネズミもわかるから、いったんマーキングされたところは、ネズミの通り道になるんだよね」
「そのマーキングはどのくらいのあいだ残るんでしょうかねえ?」
「よく知らないけど、かなり長いこと残ると思うよ。アリも同じようにマーキングするけど、それなんか七年くらい残るみたいだから」
 結局のところ、裏庭にネズミ天国であるデッキがある限り、いたちごっこになるらしい。それで、ケヴィンと年間契約をすることにした。彼は三カ月に一度やってきて、エサの減り具合などからネズミの活動状況を把握し、必要に応じて対策を立てるという。
「ネズミだけじゃなく、アリも退治するよ。巣から根こそぎいくよ」
 あれこれ退治したくて仕方がない、といったふうのケヴィンは、自信たっぷりの笑顔を残して帰っていった。年間契約を獲得するための誇張も多少はあったのかもしれないけれど、なんであれ専門家から話を聞くのは楽しいものだ。
 というわけで、我が家のネズミ騒動はいちおう一段落したのだが、ふと気づけば、娘の持っている絵本にネズミがなんだかやたらと登場するではないか。それも、実生活で遭遇すればゴキブリ同然の毒虫扱いをされるネズミが、絵本のなかではかわいいひょうきんものという位置づけだ。
 気になったので数えてみた。日英取り混ぜ我が家に百六十三冊あるおはなしの絵本のなかで、ネズミが登場するのは十八冊。十一パーセントの登場率だ。しかも、そのうち半数以上が主役を張っている。
 たとえば、いまや日本の絵本界の重鎮的存在であり、幼い子のいる家庭に必ず一冊はあると見られる「ぐりとぐら」シリーズは、ネズミである。また、細部まで丁寧に描かれた絵が見事な「十四ひき」シリーズも、ネズミの家族が主人公(あまりに綿密にリアルに描かれているので、ホンモノのネズミに遭遇したあとは、ちょっと開く気にならないくらい)。
 もちろん、アメリカの絵本にもネズミが主役の本がある。「If You Give a Mouse a Cookie」は、ネズミにクッキーをあげると牛乳を飲みたがり、牛乳を飲んだあとには口を拭くナプキンを欲しがって、口を拭くには鏡を見たがり……と、話が思わぬ方向にどんどん転がっていく。このネズミのぬいぐるみが売られているほどの人気作品だ。
「Dr. De Soto」は、ネズミの歯医者が主人公。ある日、虫歯に悩まされるキツネがこの歯医者のオフィスを訪れる。腕利きの先生のおかげで歯の痛みが消えてみると、あらら、ネズミの歯医者はなんともうまそう……。ドクター・デソトはキツネに食われずにすむのでしょうか、というおはなし。一九八三年、ニューベリー賞銀賞に輝いた作品である。
 また、アメリカで子供に人気のネズミといえば、なにはさておき、ミッキーマウスであろう。キャラクター界の草分け、大御所である。
 日本の「ぐりとぐら」といい、アメリカのミッキーといい、子供の世界における

圧倒的ともいえるネズミ人気

はいったいなぜなのだろう。見た目がかわいくて身近な生き物だから……? いや、そんな動物はほかにもたくさんいる。毒虫扱いされることのない犬や猫のほうが、よっぽど身近でかわいらしいではないか。
 まったく、絵本作家の枕元にこっそり付け届けでもしているのではないかと疑いたくなるほどの、ネズミ人気である。子供から洗脳していって、世界制服を目論んでいるのでは……というのは、ちと考えすぎか。
 ケヴィンが毒エサを仕掛けていって、ほぼ一週間。そろそろ、我が家の裏庭のネズミたちは、「なーんか最近、カラダがだるいなあ……」などとぼやきつつ、寝込んでいるころであろう。絵本のせいかどうか、擬人化されたネズミが布団敷いて寝ているイメージが、頭のなかに浮かぶのである。
 ゴメンよ、と心のなかで手を合わせつつ、ネズミが主人公の絵本を、日々、娘に読んで聞かせてやっている。

 
 
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