アメリカのおいしい生活
6月
9日月曜日

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  #121 シュールなニッポン
 
 

 寒い。
 このところポートランドでは、最高気温が十五度くらいで、おまけに雨という陰気な日が続いている。朝晩は暖房が必要だ。もう六月だというのに。
 先月、二週間ほど日本に行ったときに半袖の日々を過ごしてしまったので、いまさら厚着に戻るのがためらわれる。
 が、寒い。やせ我慢していられないくらいに寒い。ニットのセーターが再登場だ。まったく、六月だっていうのに!
 いまごろあちらはすっかり夏の装いなのだろうなあ……と、思いを馳せながら、日本での日々を振り返ってみる。
 
某月某日
 人間ドックを受けた。池袋にあるクリニックの半日コース。
 私は日本の健康保険証を持たないから実費を支払わねばならず、懐が痛む。が、血液検査に始まり、心電図、胃カメラ、肺のレントゲンに腹部超音波……などなど、ここまで網羅している健康診断サービスはアメリカにはない。
 アメリカで定期検診といえば、せいぜい血液検査くらいだそうだ(女性はそれに乳ガンと子宮ガン検診が加わる)。日本の人間ドックのメニューすべてをアメリカで受けようと思ったら、ケタ違いの金額になるだろう。そう思えば安いもの。そう考えて、毎年、日本で検診を受けている。
 二時間ほどで全部の検査を終え、三十分ほど待っていると、あらかたの結果が出る。診察室に呼ばれて、医師から説明を受ける。
 数年まえまでは、なんの不安もなく診察室に入ったものだ。が、四十を過ぎたいま、そろそろどこかにガタがきているかも……と結果発表にはやや神経質になる。お酒が好きなので、肝臓方面が特に心配だ。
 びくびくしながら聞いた結果であったが、幸いなことに、今回も特に大きな問題はなし。ほっと胸をなでおろす。
 しかし、ひとつだけ気になることが。それは、身体計測の項目。
 去年の検診から、腹囲というのを測るようになった。メタボリックシンドローム対策だ。
 この腹囲が、去年測ったものに比べて、今年は四センチも多いのである。
 ちなみに体重は、一キロ増。
 一キロの肉が、すべて腹回りについたのだろうか。もとからある肉もたるんで重力に抗えなくなってきているから、それもずるずると下がって腹回りに落ち着いてしまったのだろうか。それとも、肉がたるんでかさが増えている……?
 たしかにお腹のあたりは見るからに年相応に立派になってきているので、腹囲が増えていても不思議ではない。でも、四センチも……? なんだか解せない。だって、去年穿いていたジーンズが、今年も無理なく穿けているのだし。
 同じく検診を受けた夫の腹回りはといえば、なんと去年に比べ五・五センチ増。彼の場合は体重も三キロ増えているので仕方ないか、という気もする。が、彼もやはり去年のジーンズを去年と同じように穿いている。
 私たちはいろいろと考え、「腹囲を測る位置を変えたのだろう」という結論に達した。数値が多めに出る位置で計測し、少しでも多くの人をメタボ(および予備軍)にして注意を喚起しようという魂胆なのだろう、と。
 やれやれ、中年になって、ようやく少しくらいお腹が出ていたっていいトシになったなと気を抜いていたら、思わぬところに伏兵がいて、腹の肉を減らせと迫るのだ。このトシで体重を減らすと、腹ではなくて顔の肉が落ちる。だれか、体重を減らさずにお腹だけが細くなる方法を教えて欲しい。
 どうでもいいが、日本の基準でいったら、アメリカ人はほとんどがメタボである。
 日本では、四十歳から七十四歳の健康保険加入者にメタボ検診を受けることが義務付けられたそうだが、健康管理にまで「義務」などという言葉が使われて、国じゅう騒然としているのが、なんだかちょっと奇異に映るのだ。
 
某月某日
 アメリカに住む日本人の女友だちに「日本に行ったときに必ず買うものは何?」と訊くと、必ず上位に上がるもの。それは、ブラジャー。
 私も、ブラジャーは日本で買うことにしている。私に合う「ネズミのブラジャー」みたいなのは、アメリカにはあまり数多く置いていないので。
 銀座のデパートの下着売り場。
「今日は何をお探しですか?」
 物腰柔らかな中年の店員が声を掛けてくる。
「ブラジャーください。透けにくくて、レースとかあまりついていないヤツ」
 若いときにはかわいい下着を見せたい相手もいたが、いまはだれに見せるでもない下着である。実用一辺倒。
 店員はポケットからメジャーを出して私のサイズを測ると、てきぱきとブラの山からシンプルなものをいくつか選び、私に合うサイズのものを抜き出す。それから試着室に私を案内して、カーテンを閉める。
 服を脱いだ私がブラを着け終わるや、まるでどこかで見ていたかのように、絶妙のタイミングで、
「いかがですかー」
 とカーテンの向こうから声がかかる。
「はい、着けました」
 と答えると、「失礼いたします」と言いながら店員がすすっと試着室に入ってくる。
「あ、いいみたいですね。どうですか? ほら、このあたりが浮いてないでしょ、すっきりして、いいじゃないですか」
 とか言いつつ、手早く両方の肩ひもの長さを調整。
 そして、
「はい、それでは失礼して。寄せさせていただきますー」
 おもむろにブラのなかに手を突っ込んだ店員は、私のおっぱいをぐいと中央に寄せる。最初に右、次に左。私のお粗末な乳にも、わずかながら谷間ができる。
「あ、いいですね、ぴったりです。どうですか? じゃ、次、いきましょうか」
 店員は、次に試着するブラをいま着けているブラの上に重ねて紐に腕を通させ、
「ちょっとここ、押さえていてくださいね」
 とかなんとか言うが早いか、私の背中のほうに手を回して、あっという間に最初のブラのホックを外したかと思うと次のブラのホックを嵌めている。私の胸には、いつの間にか、次のブラが着いている。歌舞伎の早変わりとか、そんな感じである。
 熟達した技に感心しつつも、ちょっと笑ってしまうのであった。店員は、私のおっぱいがぽろりとならないようにとあれこれ工夫してくれているわけだが、ふたりしかいない試着室のことである。ぽろりとなったところで、店員の目に触れるだけのこと。それに、その店員はといえば、つい先ほど、目どころか手ですでに私のおっぱいに触れ済みなのである。
 ちょっと脇を向いていてもらえば自分で脱ぎ着するのになあ、そのほうがよっぽど簡単なのになあ、と私は思いつつ、彼女の指示のひとつひとつに従っていくつものブラを試着したあと、そのうちのふたつを買うことに決めたのであった。
 
某月某日
 東京から飛行機に乗って松山へ。夫の実家に向かう。
 瀬戸内海に浮かぶ小島がぐんぐん近くなっていったと思ったら、飛行機は松山空港に着陸した。まだシートベルト着用のサインは消えず、飛行機はゆっくりとゲートへ向かって走っている。
 そのうちに飛行機は止まり、そしてしばらくしてポン、という電子音と共にシートベルトのサインが消えた。ベルトを外して立ち上がった乗客たちが、頭上の荷物を取り出し始めた。用意のできた人から通路に立ち、ドアが開くのを待っている。
 すると、私たちより少し後ろのほうにいた、三十歳になるかならないかというスーツ姿の男が、通路に並ぶ人たちの間をぐいぐいと抜けてドアのほうに歩き始めた。「すみません」のひと言もない。押しのけられた周りの客も、迷惑そうな表情を浮かべながらも無言である。
「自分の順番を待ちなさい。非常識だな」
 夫が、その男をたしなめた。男は、バツの悪そうな顔をして、私たちの後ろで足を止めた。
 日本人は毎日の通勤電車などで公共機関に乗り慣れているから、こういう場面ではスマートに振舞えるのかと思いきや、我先にとほかの人を押しのけていく人が多いのだ。いいトシをした大人もやるし、若い人もやる。性別も関係ない。
 そういう人を見ると、急いでいるのかな、とか、腹具合が悪いのかな、などと思うことにしているが、それならせめてそう言ってくれれば、押しのけられたほうの受け止め方も少しは違ってくるのに、という気がする。
 だいたい、日本の人は群集のなかで寡黙なのだ。口を開かなければいけないときでさえ、みんな押し黙ったままだ。すれ違いざまにうっかりぶつかったときくらい、「すみません」と言わなければいけないのに。
 過ぎ行く人たちは寡黙だが、それとは対照的に、いたるところの壁が饒舌に語りかけてくる。
「携帯をマナーモードに」「足元に気をつけて」「タバコは吸わないで(吸うんだったら所定の位置で)」「○○駅まではあと×メートル」――ひとつひとつはもう覚えていないが、過保護な母親みたいに注意、指導する貼り紙が、やたらと多いのである。
 ひとは、直接言葉を交わして意思疎通するのをやめてしまったのだろうか。
 そんなSF的な空想をしては軽く身震いする、今回の日本滞在であった。

 
 
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