先々週の金曜、ポリスのコンサートに行った。
ポートランドのダウンタウンから北にクルマで二十分。コロンビア川を渡り、ワシントン州に入ってすぐの小さな町にある、こじんまりした半屋外の会場だ。
どうしてポートランドのアリーナで開催しなかったのか?
スティングが大きな会場をあまり好まないと聞いたことがあるから、そのせいだろうか。あるいは、全米の主だった街をあらかた回った後にバタバタと決まった追加公演(田舎回り)だったから、その日はアリーナが空いていなかったのかもしれない。
いずれにせよ、我が家からは四十分とちょっと遠いけれど、ファンとしては小さい会場でのコンサートはありがたい。いちばん後ろのほうは芝生席というのんびり具合であった。
チケットによれば、開始時刻は七時半。前座はエルヴィス・コステロと大物であったが、これは見ないことにして納豆スパゲティをゆっくり食べ、七時半に家を出た。
途中、高速道路で渋滞があり、また、駐車場から会場まで徒歩で二十分もかかったので、到着したのは九時少しまえであった。前座が終わって、ポリスのためにステージをセットしているところらしく、音楽はなにも聞こえない。まだ外は明るい。暗くなってからでないとポリスは登場しないだろう。
トイレに行こうかなあ、それともビールを買っちゃうか、あ、Tシャツ売ってるのか、ちょっと覗いてみようかな……あれこれ考えたが、まずは自分の席に行ってみることにした。
セクション206、Hの16。通路からだいぶ入っていかなければならない。すでに座っている人たちに立ってもらい、すみません、を連発しながら自分の席に着いた。お、奮発した甲斐あって、あんがい悪くない。
よっこらしょ。
ひとまず座るや否や、なんの前触れもなくいきなりステージにポリス登場。てっきり、暗くなってからビカビカのライトで賑々しく出てくるのだと思っていたので、不意を突かれた。明るいうちにひょこひょこ出てくると、なんだか前座のバンドみたいだ。
それにしても、私が席に着いた途端に出てくるなんて。
「キミが来るのを待っていたんだよ」
「Message in a Bottle」を歌うスティングにそう言われている気がして、思わず胸がきゅーんとなってしまった。我ながらバカだなあ、と思いつつ、しかし、いくつになってもファン心理というのは楽しい。
ポリスのコンサートを見る、というのは、私にとって悲願であった。
さかのぼること二十五年。一九八三年の四月に彼らは来日公演をすることになっていた。私はいち早く整理券(いまもあるんだろうか? 音楽事務所発行の整理券)を手に入れて、チケットの発売を心待ちにしていたのだ。
が、突然、コンサートは延期と伝えられ、そしてそのまま翌年にポリスは解散してしまった。
その後、ソロ活動を始めたスティングのコンサートには何度となく足を運び、ポリス時代の曲を聞くことはあった。それはそれでうれしかったけれど、でも、それはあくまでもスティングが「よそんちの人たち」と一緒にやっているものであった。アンディ・サマーズのチャカチャカしたギターの響きと、スチュアート・コープランドがコツコツ刻むドラムのリズムがなければ、ポリスの曲は完成しないのだ。
七十年代、八十年代に活躍して解散したバンドが、次々に同窓会のように再結成してツアーを行っていたが、ポリスの三人が再び同じステージに上がることはなかろう、というのが大方の予想であった。なにしろ、個性の強い三人はぶつかりあって、なかば喧嘩別れしたと伝えられていたから。
だから、昨年、ポリス再結成のニュースに接したときには、耳を疑った。
ポリスは再結成ツアーなどして老醜をさらさないのさ――などと、この二十数年のあいだ、強がりをこめて思っていたふしもあったから、拍子抜けした感がないではなかった。が、やはり、生涯見ることはなかろうと諦めていたポリスのコンサートが実現したのである。感無量のひと言に尽きる。
気がつけば、スティングは今年で五十七歳。相変わらず筋肉ムキムキで、しかもそれを誇示するようなピタピタの服装が照れくさかったが、さすがにアブラが抜けてきた感じがする。白髪交じりのヒゲをたくわえて、ショーン・コネリー方面に向かっているようである。白人男性の年の取り方としてはベストといってよかろう。
スティングと同い年のスチュアートは、ヘアバンド(というのか、テニスの選手が頭につけるような汗止め)をつけているせいか少し若く見えた。銀縁の眼鏡がインテリ風であった。
竹脇無我似のアンディは、なんと今年で六十六歳。ウチの母と三つ違うだけ。一時間半のあいだ立ってギターを弾きっぱなし、というのを、この一年間、三日に一度くらいのペースで続けているのである。しかも、世界中を旅しながら。口を開けばあっちが痛い、こっちが痛いとカラダの不調を述べるウチの母に、アンディの爪の垢を煎じて飲ませたい。
ほぼ四半世紀ぶりの再結成コンサートはさぞや華々しく……と思っていたら、登場の仕方が地味だったばかりか、大がかりな仕掛けも一切なく、演奏も三人だけのシンプルなもの。妙なひとりよがりのアレンジもなく、昔の曲をオリジナルに忠実に演奏していた。
ソロコンサートのときにはいつも、「どうだ!」と見えを切っているふうのあるスティングは、今回は肩の力が抜けてリラックスしているように見えた。
こんな田舎町に来たから気が抜けていたのかな、と思ったが、二月に東京公演を見た友人も、「スティングがいつもみたいに大人ぶっていなかったのがよかった」と言っていた。六十に近いオジさんをつかまえて「大人ぶる」というのも変なのだが、しかし、いつものスティングの気負った様子をうまく言い当てた表現なのであった。
翌週の地元紙のコンサートレビューには、「昔のような緊張感、ハングリー感がなかった」という評が載っていた。これも同じことを表現しているわけだ。
「長い年月を経て、すっかりお友だちっぽくなってしまったポリスの三人だったが、再結成コンサートとしてはまあまあよかったんでないの」
レビューはだいたいこんな感じで、ポリスが昔のようでないことを(あるいは、彼らがいまや昔のようにはなり得ないことを)嘆きつつもまあ仕方ないか、という調子であった。
たしかに嘆きたくなる気持ちはわかるのだが、私はいまの彼らをもう少し肯定的にとらえた。
「あー、なんだかんだいいながらも、この人たちも昔の仲間と一緒にいるのが心地いいんだなあ」
と。
ソロになったスティングが、「よそんちの人たち」とステージに立ったときに見せる気負いやてらいは、新しいメンバーと作った新しい曲を披露しているからではないだろうか。新しい自分。発展していく俺。ロック・ポップス界で不動の地位を確立してはいるが、これからもファンがついてくるかどうかはわからない。そんな先行きの不透明さに、かのスティングも知らぬ間に身構えてしまっているのではないだろうか。
その点、古巣であるポリスのメンバーとでは、もうこれから発展していくことはない。古くからの音楽、古くからのメンバー。発展のないところに、安らぎを感じているのだろう。
なんとなく、雲の上の大スターであるスティングが、ガード下の焼き鳥屋で昔の仲間と
「ふー、やっぱりこのメンバーが落ち着くね」
とか言いながらコップ酒飲んでいる、というような図が浮かんで、ぐぐっと親近感を覚えたのである。
デビュー当時のものを持ち出してきたのか、スティングのベースとアンディのギターがボロボロだったのが象徴的であった。
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