オリンピックが閉幕した。
終わってしまって寂しいけれど、でも二週間寝不足が続いてツラかったので、ホッとしていたりもする。
アメリカのオリンピック放送は相も変わらずNBCの独占で、アメリカ人選手が活躍する種目をダイジェストで見せるばかりだからフラストレーションがたまった。でも今回、ひとつよかったのは、選手にまつわるお涙頂戴エピソードに延々時間を費やさなくなったこと。
以前は、家族に不幸があった、とか、過去につらい目にあった、とかいうようなエピソード(アメリカ人選手に限らず)を紹介するビデオをゲームまえによく流していたのだ。
そういう情報を与えられると、どうしてもその選手を応援したくなってしまうわけで、そんな形でインスタントな同情心をかきたてられるのが、非常に不愉快であった。また単純に、ただでさえダイジェストでゲームが見られる時間が短いのだからそんなことはいいからゲームを見せてくれ、という気持ちもあった。
だから、そのテのお涙頂戴ビデオがなくなった今回は、比較的心穏やかにオリンピックを見ることができたのであった。
今回のオリンピックでは印象に残る場面は数々あったが、私にとっていちばん強烈だったのは、アメリカ女子水泳のダラ・トーレスだ。
プールの水面から出ている顔がなんかシワっぽいなあ、と思っていたら、四十一歳だという。私と同世代である。周りの若い選手たちのぱちんぱちんの肌とは全然違うなあ、やっぱり四十過ぎてるとこんなにシワシワなんだなあ……などと、自分に照らし合わせてしゅんとなったのだったが、トーレスの泳ぎは、
シワシワどころか、銀メダル
なのであった。
聞けば、五回目のオリンピックだそうである。途中に二回引退したので、初めて参加したオリンピックは二十四年まえのロサンジェルスとのこと。こんなに長いあいだ水泳選手を続けていられるというのもすごいが、さらに私が仰天したのは、彼女が二年まえに出産した、という事実だ。ただでさえ妊娠、出産は体へのダメージが大きいのに、ましてや高齢出産である。あちこちにガタがきたり、筋力が衰えたり、体形が崩れて戻らなかったりしなかったのだろうか。トーレスの真平らなお腹を見て、思わず、「卵で産んだのか?」などという考えが浮かんだ。
日本では、四十歳前後の女性たちがアラフォーと呼ばれ、脚光を浴びていると聞くが、トーレスは、アラフォーの輝ける星であろう。この夏、またひとつ年を重ねた私は、「トシ取っちゃってヤダなあ」とちんまりしていたのだが、トーレスの活躍を見たら、背筋がしゃんと伸びた。
四十過ぎだって、まだまだイケるじゃないの。
もちろん彼女の成功の影には血のにじむような努力があることを忘れてはいけないのだ。私はなんだかいてもたってもいられなくなり、いきなりテレビの前で腹筋運動を始めてみたのであった(トーレスに触発されたのは、体形だけに限らないのだが、とりあえず)。
今回のオリンピックでもうひとつ気になったのは、NBC総合司会のボブ・コスタスである。どうもカツラをつけているらしい。
コスタスは、有名なスポーツキャスターで、いまやアメリカのオリンピック放送の顔である。小柄で童顔な見かけからは少々意外な、ややドスの利いた、それでいて流れるような声で、キレのいいコメントをぽんぽんと小気味よく発する。小動物みたいなかわいらしい顔なのでもっと若いのかと思っていたら、五十六歳だと知って驚いた。
二年前の冬のオリンピック放送では、彼の髪について不自然な感じは見受けられなかったので(私たち夫婦はそこらへん敏感だから、見逃すとは思えない)、カツラ着用は、ごく最近始まったことなのかもしれない。あるいは、北京五輪に備えて誂えたのか?
とにかく、カツラだということが一目瞭然なのだ。向かって左側(彼の分け目は右側なので、髪の量が多いほう)が特にいけない。耳の周りの地毛と思われる白髪の上に、いかにも人工的な髪が少し浮いている。
画面の右側に座っている人のほうを向いて話したりすると、もう、本当にいけない。耳の上の髪が、かたまりになっている。
気になっていたのは私だけではなかったらしい。いまやアメリカのヤフー検索に彼の名まえを入れると、
「Bob Costas toupee(プチカツラ)」
とか「Bob Costas hairpiece」というような項目が自動的に出てくる。やはり、だれが見ても一目瞭然なのだ。
売れっ子キャスターだから薄給でもあるまいに、どうしてこんなにお粗末なカツラを被っているか不思議なのである(あるネット掲示板では、そのお粗末さがroad kill――クルマに轢かれてつぶれた動物の死体――と表されていた)。それとも、二十一世紀のカツラ技術はまだまだこの程度ということなのだろうか。
私は、アンチエイジングには反対ではない。いや、反対どころか、私だってシミを隠そうとしたり、増えるばかりの白髪と戦ったり、顔の肉のたるみを改善すべくものすごい形相で顔エクササイズなるものを試みたりして、なんとかトシに抗おうとしているのである。
だから、加齢による頭部の変化をどうにかして隠したいコスタスの気持ちは痛いほどよくわかる。数あるエイジングに抗う手段のなかで、カツラを被るという行為にだけ、滑稽さがつきまとってしまうのも理不尽で不公平で、気の毒だと思う。
しかし、やはり滑稽なものは滑稽なのだ。
皮肉なことに、コスタスがズバッと的を射た発言をしたり、また、足など組んで余裕のあるところを演出しながら金メダリストにインタビューなどしたりするたびに――つまり、キレモノであることをアピールしようとすればするほど――その滑稽さはますます際立ってしまうのである。
ちょっと酷だとは思うが、彼が、選手たちのドーピングだの年齢詐称疑惑だのを云々するたびに、「アンタだって髪の毛偽物じゃないのさ」と言いたくなる。
だれか、コスタスに「カツラはみっともないからやめろ」と言ってやれる人はいないのだろうか。一度被ってしまったカツラを脱ぐのは、並大抵のことではないとは思うのだが。
そんなわけで、私は北京オリンピックを見ながら、年を重ねていくことについて思いをいたしていたのである。四十一歳のトーレスと五十六歳のコスタス。そのふたりを見ながら、年齢に抗うことと受け入れることについて考えさせられた。
美しく、カッコよく年を取っていくのは、なかなか難しい。
トーレスの超人的な活躍ぶりに、ドーピングではないかという疑惑が持ち上がっているらしい。私は、そうでないことを心から祈っている。
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