アメリカのおいしい生活
9月
29日月曜日

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  #128 さよならヤンキースタジアム
 
 

 九月後半から、めっきり寒くなった。もうすでにウールのセーターも着ているし、冬用の上掛け布団も登場。
 夏の終わりはいつも寂しいが、先週末は、ひときわその感が強かった。ヤンキースタジアムで、最後のゲームが行われたからだ。
 思えば、私が初めてヤンキースタジアムに足を踏み入れたのは、伊良部が入団してすぐだから、一九九七年の七月のこと。
 別に伊良部が好きというわけでも、ヤンキースが好きというわけでもなく、単に物珍しさでチケットを取ったのだ。まだ日本人メジャーリーガーの数が少なかったころのことである。
 六回と少しを投げて、二失点。打たれたヒットは五本。四フォアボールに九奪三振。仲間の援護もあって、初登板で初勝利――などと、まるで昨日のことのように覚えているみたいな口ぶりだが、実はいまネットで調べてみてわかったことである。実は伊良部のピッチングも、その日の試合展開も、まるで記憶にない。
 覚えているのは、球場の大きな電光掲示板に次々映るヤンキースの選手たちの顔に、

「あら」と胸ときめいた

ことである。いい人そうな顔をした選手が多いなあと思ったのだ。
 まず、先頭バッターのジーターが文句なしにかわいらしかった。続くソーホーはハンサムではないが、すこぶる気がよさそう。三番のバーニー(ウィリアムス)は草食の恐竜みたいな穏やかな顔立ちだし、ティノ(マルティネス)は正統派のハンサムだ。
 彼らの顔がまた見たいなあとテレビでヤンキース戦を見るうちに、いつのまにかヤンキースファンになった。選手の見かけが理由とは邪道だと、笑わば笑え。その昔には真弓がハンサムだからと阪神ファンを自称していたのだ。いちおう私なりに筋は通っているのである。
 ヤンキースタジアムにはそれから何度となく足を運ぶこととなったが、いちばんの思い出は、二〇〇〇年十月、プレーオフ地区シリーズ、オークランド・アスレティクスとの対戦を見に行ったときだ。チケットがないのに試合開始間際に球場に行き、駐車場の薄暗がりのなか、ダフ屋からチケットを買ったのだった。
 ダフ屋は私のことをしきりに「警察か?」と警戒していた。こんなに英語がたどたどしい警察官がいるかね、と私は思ったものだが、彼としては、それも演技かもしれないと疑っていたのだろう。
 私がポリスでないことを確かめたダフ屋の兄ちゃんは、
「歩きながら話そうや」
 と言って埃っぽい駐車場のアスファルトの上をゆっくり歩き出し、そして、おもむろに
「一枚百ドル」
 と切り出した。
 チケット二枚を百ドルで買おうとしていた私は、予算の倍のオファーにおののいた。私の驚きように、彼は少し値を下げたが、それでもまだかなりの予算オーバーであった。
「いったいいくらなら出せるんだよ」
「えーと、恥ずかしくて言えない」
 などと攻防が続き、結局五十五ドルまで値切って交渉成立。
 アメリカ人ダフ屋と渡り合って、半額近くまで値を下げさせた手柄に我がことながら興奮したものだが、兄ちゃんが「いい席だぜ」と言っていた席は、実は外野の上も上、後ろから五番目で、高所恐怖症気味の私は、座っているのも怖いほどであった。しかも、試合は十一対一で、ヤンキースがボロ負け。私が見に行くと、なぜかいつもヤンキースは負けてしまうのであった。
 ヤンキースタジアムの歴史を振り返る特別番組を見ながら、スタジアム周辺のボロさ加減とか、外野席からの眺めなどを懐かしく思い出していた。
 それにしても、皮肉なものである。九五年から昨年まで、ヤンキースは十三年のあいだ毎年続けてプレーオフに進出していたのだ。それが、ヤンキースタジアム最後の年という今年は、九月に入って早々にプレーオフ進出の可能性が消えた。七月にはオールスターゲームが開催されて賑々しいフィナーレのお膳立てがされており、あとはワールドシリーズ優勝で由緒あるヤンキースタジアムの幕切れを飾るかね、というシナリオだったのに、こういう大事なシーズンに限ってワールドシリーズどころかプレーオフにさえ出られないとは。これを皮肉といわずになんといおう。
 特別番組ではそこらへんにはまるで触れられず、ヤンキースタジアムでの数々の栄光が映し出されるのみであった。ちょっと皇室扱いというか、「悪いことを言ってはいかん」というような空気を感じた。
 番組に出てくるヤンキース関係者や、元あるいは現役選手たちは、「この球場には伝統があり、伝説があり、歴史があり……」と口を揃えるのであった。その口調は一様に、ヤンキースタジアムが今年限りで幕を閉じるのを残念がっているふうである。
 それを見ていると、「なんでそんなにすばらしい伝統をここで途切れさせて新しいスタジアムに移る必要があるのだ?」と思えてならないのであった。球場周辺はほんとうにボロだったから少し整備してキレイにする必要があったと思うが、スタジアムの建物はまだまだ使えるのだし、改修するだけでよかったのではなかろうか。
 今後は、「ここでベーブ・ルースやディマジオがプレーした」と言えなくなってしまうけれど、それでいいのだろうか。なんでも新しくすればいいというもんではないと思うのだが……。ま、いまさら言っても仕方のないことである。
 ちなみに新しいスタジアムは、収容人数が四千人ほど減るらしい。一席あたりのスペースを広くするからである(年々体格がよくなっているアメリカ人観客たちへの配慮だな)。わざわざ新しいスタジアムを作って、売上げが減る? と驚くなかれ。席の半数以上は値上げされるそうである。また、ヤンキースグッズを販売する店の面積が二倍近くに広げられる。ずいぶん前から、野球を家族四人で観にいこうとしたらちょっとした散財をすることになり、もはや野球観戦は気楽な娯楽ではなくなってしまった、という批判があったが、その傾向は増すばかりというわけだ。
 ところで、皮肉といえば、もうひとつこんな話がある。
 一九二三年四月十八日にオープンしたヤンキースタジアムで、初めてホームランを打ったのはベーブ・ルースであった。試合前に、
「新しい球場での記念すべき最初のホームランを打つことができるなら、俺の人生の一年を引き換えにやってもいい」
 と言っていたそうだ。
 望みが叶ったベーブはゲーム終了後に、
「この球場での最初のホームランが打ててうれしいよ。

最後にだれが打つか

は、神のみぞ知る、だな」
 と発言した。
 そして、八十五年後。ヤンキースタジアムでの最後の試合である。
 だれが最後のホームランを打つんだろうか、やっぱりホームランバッターのA・ロッドが打つのがふさわしいかね。いやいや、キャプテンのジーター君がパカーンと一発、というほうがいいかもな――あれこれ思い描いていたら、なんとヤンキースタジアムでの締めの一本を打ったのは、キャッチャーのホゼ・モリーナであった。今季三本目。九九年のデビューから数えても、十九本目だそうだ。
 A・ロッドもジアンビも、その日バッターボックスに立った選手はみんな心ひそかに狙っていたであろうに、ふたを開けてみたら、まったくホームランバッターではない縁の下の力持ちみたいなモリーナが最後の一発を打ったのである。なんとも皮肉。ベーブ・ルースの最初の一発に比べ、なんとも華のない(なんて言ったらモリーナがかわいそうだけれど)。まあ、本人がいちばんビックリしたに違いない。
 最後の試合は、ヤンキースが勝ったのでホッとした。負け試合での幕切れなど、カッコ悪くて仕方ないから。
 試合終了後、キャプテンのジーター君がマイクを持って挨拶をした。ちゃんと間違えずにできるか、まるで母のような心境でハラハラしながら見守った。
「球場が変わっても、ヤンキースには変わらずプライドと伝統があり、そして最高のファンがいます」
 ヤンキースタジアムの最後はしょぼかったが、新スタジアムは、ぜひともひさしぶりのワールドシリーズ優勝でスタートしていただきたい。

 
 
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