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「アンタの妻は天気のことでまた文句言ってんのか」
夫がアメリカ人部下に言われたらしい。上司に向かってそんなこと言うかなあとも思うがそれはともかく、たしかに私はここのところの天気に不満である。雨が降らないのが、どうにも我慢ができない。
しとしとと雨が降り続いた冬に文句を言い、雨の降らない夏にも文句ですか、と皮肉たっぷりに言われたそうだ。いつも不満たらたらの文句ったれ女と思われているようで心外だが、私にいわせれば、「中庸」を知らんのかね、である。もちろん、夫の部下にそんなことを言っても仕方がない。ポートランドの空に向かって言いたいのだ。
七月の降雨量はゼロ。冬から春にかけてどっさり雨が降ったから水不足になる心配がないとはいえ、気持ちの問題として、五日に一度くらい雨が欲しい。常緑樹が多いせいか、ここまで晴天が続いても景色が白茶けて見えることはないが、五日に一度が贅沢というのなら一週間、いや十日に一度でいいから、雨に濡れて生き生きとした緑が見たいのである。
おまけに、ここのところ暑い。冷え性で寒がりで冷房嫌いの私が、自らクーラーをつける暑さ。今、外の温度計は華氏百度ちょうど。摂氏に直すと三十七度くらいだ。
これが夕方四時の気温で、ここからさらに上がる。ポートランドでは、
夕方五時が暑さのピーク
だ。それから八時くらいまで暑くて、日が翳ると、すとんと涼しくなる。湿気がないせいか、太陽が沈むと気温が一気に下がるのだ。
夕方から晩ご飯にかけての間だけ冷房をかけておき、寝るときには窓を開ければいいはずなのだが、そういうわけにいかないので困っている。私がいま住んでいる家はどうにも気がきかない家で、嵌め殺しの窓が多いのだ。特にベッドルームがいけない。ベッドの横にある大きな窓はふたつとも開かない。ベッドの足元の位置から少し離れたところに左右に小さな窓があるのだが、それを両方開けたところで、足の先を風が通っていく気配がするだけ。私たちが横たわっているあたりは、生暖かい空気がいつまでも澱んでいる。
ベッドを置く位置が間違っているのかな、と思ったりするのだが、部屋の構造上、どう考えてもそこに置くしかない。寝室は二階だから防犯上も問題なさそうだし、なんでベッド脇の窓が嵌め殺しなのか、理解に苦しむのである。
暑くて我慢ができない晩は仕方なく冷房をつけて寝ることになるが、これがまた問題ありなので頭にくる。我が家のセントラルエアコンは、二階の効きが非常に悪い。修理屋にいわせると、この家が建てられたときの冷暖房の設置の仕方からしてすでにいけないらしい。この問題を解決するには、家を一から建て直すほかなさそうで、結局のところウチの寝室は、冬は寒く、夏は暑い。
そんなわけで、窓を開けたり、効きの悪いエアコンをかけたり、九ドルで買った小さな扇風機を回してみたり、と毎晩あの手この手で安眠を模索している。暑がりの夫は枕を片手に、少しでも涼しい場所を求めて家の中を徘徊する。これが、ひとたび外に出れば三十分で洟水も出ようという涼しさなのだからやり切れない。冬用の厚い布団を被って裏庭で寝る、というのがいちばん手っ取り早い解決法かもしれない。
連日暑いとこうして不満のひとつやふたつがすぐに口をついて出るわけだが、最近の私がちょっと怒りっぽいのは、暑さのせいばかりではない。ウチから北東に約二時間ほどのところにあるセント・ヘレンズ山という火山を見に行って、「あんまりいろいろ溜め込んでおいて一気に爆発させるのはよくないなあ」と思ったからである。
カリフォルニア州北部からオレゴン、ワシントンを経てカナダのブリティッシュ・コロンビアまで繋がるカスケイド山脈には、マウントレーニエやマウントフッドなど先のつんと尖った姿の美しい山が連なっている。が、そのふたつの山の間にあるセント・ヘレンズ山だけは、ゆるすぎるプリンがどろーんと広がってしまったような台形だ。以前はほかの山と同じく円錐形だったのが、一九八〇年五月の大噴火で頂上部分がなくなったのだ。
どーんと爆発してアタマがぽーんと飛び、北東三十マイルの位置に着地して小山ができた――というのはもちろんウソで、頂上から千三百フィート(三百九十メートル)ほどの部分は、記録的な地滑りとなって山の北側に流れていった。また、噴火の熱で雪や氷河が溶け、濁流が木々や家屋や橋を呑み込んだ。二万二千平方マイルに渡って火山灰が降り、噴火直後は、真昼だというのに夜のように真っ暗になったという。五十七人の犠牲者が出た。
噴火から二十年以上経った今も、セント・ヘレンズ山に行くのは交戦地帯を訪れるようなものだ、と旅行ガイドに書いてあった。たしかに、山の周りは荒涼としている。なぎ倒されて風化しつつある木がそのへんに転がっていたり、立ち枯れた木が林立していたり。大きな虫歯のようにぼっかり穴が開いた灰色の噴火口が不気味だ。
百二十三年ぶりの噴火だったと聞いて、「そんなに溜め込んでちゃダメだよ」と思った。もちろん、頻繁に小噴火を繰り返されても近隣の住民は困るだろうけれど、それにしても溜めに溜めておいていきなり大爆発というのは、はた迷惑なんじゃなかろうか。
私が火山を見ていてそんなことを思ったのは、セント・へレンズ山に到着する前にランチに寄った店で、ちょっと「溜めて」きてしまったからであった。
とにかくひどい店だった。山と湖しかないようなところだからスタンダードを下げたつもりだったが、それにしても。
湖が見える屋外のデッキに座った。飲み物の注文を取りに来たのでアイスティーを頼んだら、
「ありません(アイスティーなんてなに気取ってんの、という表情)」
「じゃ、ジンジャーエール」
「ありません。ソフトドリンクはセブンアップとペプシ」
セブンアップを頼んだはいいが、それから先、食べ物のオーダーを取りに来るまでに十分以上。この時点で「この店、どうなのよ」と思い始めてはいたが、それでもとりあえずバッファローウィングと九インチのピザ(ハラペーニョ、ペパロニ、オニオン載せ)を注文。
そこからさらに二十分ほど経ってイライラし始めたころ、ウェイトレスがやってきて、
「ごめんなさい、今日は九インチのピザがないんです。十二インチのを半分にするんでもいいかしら?」
てっきり食べ物を持ってきたと思った夫と私はちょっとムッとした。すると彼女は、
「あ、もちろんお代は九インチのと同じにしてあげるから大丈夫よ」
と明るく言って店の中へと消えた。なーにが大丈夫だ。それより、そんなことを言いに来るのに二十分もかかったのはなぜ?
ここで、「まだ作ってないならいらない」と言い放ち、飲み物の代金だけを払って店を出るべきだった。が、気まずくなるのを避けたかった私たちは、腹の中が少々煮えくり返っていたにもかかわらず、物分りのいい顔をして座っていた。
愚図なレストランにも自分たち自身にも腹を立てていたので、テーブルの雰囲気は最悪。仏頂面でセブンアップを飲んでいたのだが、ふと十二インチのピザの半分は本当に九インチのピザと同じくらいなのかが気になりだした。
円の面積は半径かける半径かけるπ。夫と二人で計算にかかった。九インチのほうの面積は、20.25π平方インチ。十二インチの半分のほうは、18π。ややっ、九インチのピザと同じ代金でいいです、なんて調子のいいことを言ってたが、2.25π平方インチ(45.58平方センチ。計算合ってる?)も小さいではないか!
ピザとバッファローウィングは、結局オーダーから五十分ほど経ったころにやってきた。しかもこのピザときたら、上のチーズは若干とろっとなっていたもののほかのところはぬるくて火が通った気配がない。解凍したピザの生地にハラペーニョとペパロニ、それに赤タマネギの刻んだのとチーズを載せて、一分くらいオーブンに入れただけのようなのだった。
さすがに腹に据えかねた。夫はウェイトレスに、ピザの大きさの問題を指摘した。恐縮した彼女は「ピザのお代は結構です」と言ったが、お金が問題ではない、ということが伝わったのかどうか。
もうこれ以上待ちたくないからすぐに勘定書きも持ってきてくれ、という夫の言葉に慌てて持ってきたチェックには、たしかにピザの代金は含まれていなかった。が、こともあろうに
「Pissed off.
Took too long」
と書かれていた。訳せば、「時間がかかって(客は)イラついた」となるわけだが、pissed offというのはスラング中のスラング。pissは「小便」の意味だ。一日の終わりの売上計算のときのために、私たちがピザの代金を払わなかった理由をメモっておきたかったのはわかるが、なんでこんな汚らしい言葉をわざわざ私たちの目に触れるように書いたのか。
テーブルに座ってから食べ物が出てくるまでに小一時間かかったこと、小さいサイズのピザを同じ代金でいいです、などと恩着せがましく言ったこと、出てきた食べ物がやたらとまずかったこと、そして言うに事欠いて「pissed
off」なんて書いたこと――店のオーナーを呼んで怒鳴りつけたかった。が、もちろん私たちがそんなことをするはずがない。10.24ドルのチェックにご丁寧にチップまで付けてその場を去ったのだった。
セント・ヘレンズの噴火口を見ていたら、やっぱりあのとき私たちも噴火しておくべきだった、と思った。マグマの溜め込み過ぎはよくない。
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