アメリカのおいしい生活
10月
27日月曜日

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  #130 食欲ばかりの秋
 
 

 某月某日
 お向かいのジョンと立ち話をしていて、「Helvetia Tavernに行ったことがあるかい?」と言われた。ハンバーガーについて話していたときのことだ。
「ない」と答えると、「ぜひ行ってみるといいよ」と言って、行き方を教えてくれた。高速二六号線を西に行って、Shute Roadで降りて……。
「行ってみな」などと軽く言うから近いところにある店なのかと思ったら、やたらと遠いのだ。ウチから二十分以上はかかるだろう。
「遠いねえ」
 と言ったら、ハスキー犬のような目つきのジョンは、
「それだけかけても行く価値がある店だよ」
 得意げな顔をした。
 そこまで言われたら、行ってみないわけにはいかない。ある日曜の昼、ジョンおすすめのハンバーガー屋に行ってみた。
 Helvetia Tavernは、だだっぴろい牧草地にぽつんと立つ店なのだった。駐車場は、車とバイクでぎっしり。
 店は、四十人ほど座ればいっぱいという小ささだ。客たちはバーガーを食べ、店員たちはくるくると忙しそうに立ち働く。店内には飾り気というものがほとんどないが、天井からは無数のベースボールキャップがこうもりみたいにぶら下がっている。
 正直なところ、驚いた。この店を教えてくれたジョンは弁護士で、ついこの間も家族四人で十日間のハワイ旅行を楽しんだという羽振りのよさなのである。彼が勧めるレストランだから、ハンバーガー屋といえどももう少しファンシーなのかと思っていたのだ。オシャレしてきて損した。
 学食かファストフード店かというようなプラスチックのトレーに、ぺらぺらの紙皿で出てきたハンバーガーは、しかしながら、たしかに高速道路を飛ばしてくる価値はあるな、という味であった。ダウンタウンあたりのちょっとすかした店で出てくるような、肉の塊がごろりとしているグルメなバーガーではない。ゴマつきパンに、薄いビーフパティ、レタス、トマトというシンプル極まりないハンバーガーだ。自家製というマヨネーズベースのソースが、おいしさの決め手なのかもしれない。
 なんのてらいも気負いもない、どこにでもありそうなバーガーである。材料の出どころもすべてわかるし、どうやって作っているのかもすっかりわかる、という感じ。でも、不思議なことに、こういう当たり前のおいしさには、なかなかお目にかかれるものではない。
 回転の速いバーガー屋には、客がひっきりなしに出入りしていた。きびきびと働くTシャツ姿の店員たちは、そばを通りかかりながら「どう? おいしい?」と訊いてくる。「おいしい」と答えると、「そうだろ」と言わんばかりの満足そうな笑みを残して行く。
 いまどきのアメリカで、クレジットカードを受け付けないというのにも、好感を持つのである。いや、カードにすっかり慣れてしまった身には少々不便なのだが、そんな不便を客に強いても大丈夫、という自信があるのだろう。「うまいバーガーさえ作っていれば、必ず客は来てくれる」という非常にベーシックな信念が見える気がして、頼もしく感じるのである。
 
 某月某日 
 毎年十月半ばを過ぎると、必ず訪れる場所がある。我が家から二時間ほどのところにある、キヨカワ・オーチャードだ。
 ポートランドからコロンビア川沿いに五十マイルほど東に行くと、Hood Riverという街がある。その街から南に十五マイルくらいの地域はHood River Fruit Loopと呼ばれ、果樹園が点在する。六月のイチゴに始まり、ラズベリー、ブルーベリーなどのベリー類、夏のチェリーにピーチ、アプリコットなどなど、さまざまな果物を自分で採ることができるのだ。さらに南には、Mt. Hoodという富士山に劣らず姿のいい山がそびえ立っている。
 秋は、ナシとリンゴの季節だ。私たちは、果樹園地域のいちばん南端に位置するキヨカワ・オーチャードに、リンゴ狩りに出かけた。
 日系人家族が経営するこの果樹園には、八十種類ものリンゴとナシが植えてあるという。道路沿いに構える店の後ろには、たわわに実をつけた木々が、几帳面に並んでいる。
 リンゴ狩りに来たんですが、と店の人(何世代めなのだろうか。見かけは日本人と変わらないが、日本語は話さない)に言うと、果樹園のどこになんの種類が植わっているのかを印刷した紙を渡される。いまが採りどき、という種類にはマーカーで印がしてある。
 小さな段ボール箱を載せたカートを引っぱって、果樹園に入って行く。木の背丈はどれも低く、はしごなど使わなくてもリンゴが採れる。今年は二週間ほどリンゴの生育が遅いそうで、私たちが去年気に入って段ボール箱いっぱいに採ったカメオという種類はまだ熟れていないとのことだった。だから、今年はジョナゴールドとゴールデンデリシャスを少しずつ。
 店には、八十種類とは言わないが、かなりの種類のリンゴとナシが山のように売られている。どの種類にもサンプルが用意されており、買うまえに味見ができるのがありがたい。子供の頭ほどの大きさの巨大リンゴがあるかと思うと、チェリーかと見まごうような小さなものも。日本のムツやツガル、オウリンなども売られている。いろいろ食べてみたが、やはりフジがいちばん口に合った。温度の低いガレージに置いておけば十二月半ばくらいまで持つから、フジも買うことにした。
 電球みたいな形のいわゆる洋ナシだけでなく、アジアのナシも十二種類ほど扱っているという。ニジュウセイキやチョウジュウロウ、コウスイにホウスイなどの、馴染みの名まえが並ぶ。私は、ナシの産地である千葉の松戸で育ったので、ナシには格別の思い入れがある。子供のころ、九月になると、近所の選果場と呼ばれる場所に母とよく行ったものだ。ナイフを使って果物の剥き方を教わったのも、思えばナシが最初だった。
 コウスイが欲しかったが粒が小さくて貧相だったので、ホウスイを六個。大きめなのを選んだ。
 その週末は、フィエスタと呼ばれるメキシコ風のお祭りが催されていた。いや、お祭りといったって、生バンドの演奏に、タコスの屋台、それにときおり、子供たちを集めては、ピニャータ(人形などをかたどった紙の箱にお菓子が入っていて、それを子供たちが順番に棒で叩いて壊す)が始まるくらいの、のどかなものだ。日系の果樹園でなぜメキシコ風のお祭りなのだ? と気になるのだが、まあ、そんなことを気にしているのはきっと私たちくらいのものだ。

 某月某日
 我が家から車で十分もかからないところに、アート・カレッジがある。日本でいうところの、美大である。
 ここのカフェがなかなかおいしいらしい、と小耳に挟んだのだ。特に日曜のブランチが評判なのだそうである。
 学校のカフェねえ……とあまり期待せずに行ったら、ぶっ飛んだ。四種類ほどあるブランチメニューのなかから、ラムのトマトシチューを頼んだのだが、これが、もうビックリするほどにおいしいのだ。
「うぅ……ん」
 思わず唸りながら食べていたら、
「ひと口ごとに目を剥いて食べるのやめてくれないか」
 と夫に注意されてしまった。
 ピンク色のラム肉は、ソテーしたほうれん草の小山の上に載っている。付け合わせは、タブーリ、それとキュウリのヨーグルトサラダ。タブーリというのは、トルコやギリシャあたりで作られる、パセリとトマト、タマネギにクスクスをドレッシングで和えた、さっぱりした味わいのサラダである。すべてを単独で食べてもおいしいのだが、トマトシチューにタブーリが混ざったり、キュウリのヨーグルト和えが混ざったりしても、また違った味が生まれて新鮮なのだ。複雑な味が口の中で絡み合って、なんともいえないのである。最後のひと口を食べるときには、最愛の恋人とのお別れ、というくらいに切ない気持ちになった。
 家から近いし、この店ひいきにするぞ、と心に決めた。大学のカフェ、などと侮っていて申し訳なかった。
 思えばこの店も、クレジットカードを受け付けない。現金主義の食べ物屋には、ハズレが少ないのであった。

 
 
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