アメリカのおいしい生活
1月
6日火曜日

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  #135 ハナコの話
 
 

 去年の秋も終わりのころ、ふと思い立って、我が家の猫、ハナコを久しぶりに獣医に連れて行った。健康にはとりたてて問題はなかった。ただ、ずいぶんと長いこと定期健診を受けさせていないということに気がついたから。
 ずっと同じ医者に診てもらっていれば、「次の健診はいつです」という知らせが来るのだが、私たちはこの五年ほど毎年のように引っ越しており、あっちの医者に行き、こっちの医者に行き、とやっているうちに、かかりつけの獣医がいなくなってしまっていたのだ。
「不整脈がみられますね。ごく軽度ですが」
 軽い気持ちで健診に連れて行ったらそんなことを言われたので、ビックリしてしまった。ま、しかし、もうすぐ十七歳――人間でいったら八十過ぎ――だから、不整脈ぐらいあっても仕方ないか、と思ったら、
「心臓の専門医を受診して、心電図と超音波検査を受けるように」
 と言われて、さらに驚いた。

猫の心臓専門医

という人がいるのだ、世の中には。もちろん猫だけではなくて犬の心臓も診るのかもしれないが、いずれにせよ、そのくらいに細かい分野を専門とする人が存在するのである。いつも心臓ばかり診ているわけではなく、一般診療もやりながら心臓も専門的に診ますよ、ということなのだろうと推察するけれど、それにしても。
「その検査はいくらぐらいするんでしょうかねえ」
 と訊いてみたところ、
「五百ドルから八百ドルくらい」
 という答えが返ってきた。
 うーん……。
 悪人みたいに聞こえるかもしれないが、このとき、ほんの思いつきで久しぶりに猫を健診に連れて行った自分を呪った。猫の健康に問題があることがわかった以上、対処しなければならないわけだが、しかし、猫の検査に五百ドルから八百ドルとは……。
 これが例えば猫ではなく、夫の心臓に不具合があってすぐに専門医にかかるよう言われたのなら、一も二もなく専門医の予約を取るに決まっている。長いこと共に暮らした猫だって家族なのだから、お金のことはさておいてまずは専門医に駆け込まなければ――と思う一方で、いや、そうは言っても猫だし、などと考える冷めた自分がいる。
 同じく年取った猫を飼っているクリスティーナに、どうしたもんかねえ、と話したところ、
「ね、だから私はもうウチの猫は医者に診せないのよ。あちこち問題が見つかるのはわかっていて、対処しようとすると膨大なお金がかかるから」
 という答えが返ってきた。
 大枚はたいて検査して治療しても、せいぜいあと一、二年の命。あくまでもペットはペットで人間とは違うのだから、いよいよ別れの時が来たのだと思って静かに見送ってやる、というのである。明快だ。
 そういう考え方もあるかねえ、それでもいいかねえ、とぐずぐず迷っていたら、獣医から電話がかかってきた。
「ハナコはどうしているかと思って」
「えーっと、あの、その……。まだ心臓専門医に診てもらってないのですが」
「予約は取ったけどまだ診てもらってないってこと? それとも予約を取っていないの?」
「あの、予約を取ってないんです」
「あら……」
 医者は、私に罪悪感を持たせまいと気遣いつつ、明らかに呆れた様子であった。私がウチの猫を心臓専門医に連れて行ったところでこの医者の懐が潤うわけではない。だから、彼女は純粋に(まあ、多少のビジネスも含まれてはいるだろうが)ハナコのその後を心配して電話をしてきたのであった。そして、そのくらいに患者(というか動物)を思いやる彼女には、私のような薄情な飼い主は「信じられない」と映るらしかった。
 トーンを押さえつつも依然として心臓専門医をすすめる彼女がうっとうしくなって、私は適当な返事をして電話を切った。
 私は猫が好きで、猫なしの生活など考えられないのだが、実のところ、猫との距離の置き方がいまひとつよくわからない。普段は意識していないが、こうして猫の健康に問題が発見されると、途端に距離感がわからなくなる。「家族同然」なのか、それとも「所詮は動物」なのか。その軸のどこらへんに身を置いていいのだか、わからなくなるのだ。
 十年ほどまえだったか、まだハナコが若かったころに腎臓が悪いことがわかって、腎臓移植を勧められたことがあった。猫にそこまでするかなあ、と驚いたものだ。
 また、二年ほどまえには、尿管に石が詰まった。
「今晩このまま石が出なかったら、明日、開腹手術か腹腔鏡手術で石を取り除きます。ハナコの年齢を考えると、腹腔鏡のほうが体への負担が少ないでしょうね」
 そう言われ、そのときにも「猫の腹腔鏡手術! この世にそんなものがあるのか!」とビックリし、

猫にそこまでするか?

 と思ったものだ。
 獣医はまるで当たり前のように「腎臓移植」だの「腹腔鏡手術」だの「心臓専門医」だのと言うから、こちらとしては戸惑うのである。こういう場合、飼い主たちはペットを助けたい一心で一も二もなく医者の指示に従うものなのかなあ(あるいは、従うべきなのか)、と。
 クリスティーナのように「年取った猫は医者に連れて行かない」という人もいる。また、妻が猫好きで常に家に五匹だか六匹だかの猫がいるジムは、「必死に病気を治療してやったところで、犬や猫は人間と違ってなんのために辛い思いをしているのかわからない。それなら手術だのなんだのわずらわしいことをせずに、早い段階で楽にしてやったほうが彼らのためだ」と言っていた。
 また、別の友人ブリジットは、
「ウチの年寄り猫が珍しく外に行きたがったから外に出してやったのよ。ほら、猫はそのときが来ると死に場所を求めて姿を消すって言うじゃない? だから、このまま帰ってこないといいなーと期待しながら外に出したの。残念ながらしばらくして戻ってきちゃったけどね」
 と言っていた。
 私もそこまでさばけた考え方ができたらいいのになあ、と思うのだが。
 
 悶々としているうちに、年明け早々、ハナコがひきつけを起こした。それまでのんびり寝そべっていたかと思ったらいきなりだーっと走り出し、そしてキッチンの床にひっくり返って四本の足を痙攣させ始めたのだ。
 私がひたすら慌てる横で、たまたまウチに来ていたクリスティーナが、ハナコの心臓のあたりに手をやりながら冷静に
「大丈夫。心臓も動いてるし、呼吸もしている」
 と様子を見ていてくれたので助かった。彼女は小児科の看護婦なのだ。
 獣医に血液と尿の検査をしてもらったところ、いまや心臓より腎臓のほうが問題だということがわかった。もともと腎臓が弱かった上に年を取ってさらに腎機能が低下し、尿と一緒に排出されるべき尿毒素が体内にたまってしまっているらしい。
 一日に一度、乳糖加リンゲル溶液という透明の液体を百ccほど背中から注入して、毒素を排出する手助けをしてやることになった。以前、腎臓移植をパスしたときにはこの治療法で乗り切ることができたけれど、十七歳という年齢を考えると、今回は厳しいかもしれない。
 もはや「猫にそこまでするかなあ」というような大それた切り札もなく、そういう意味では心穏やかにいられるわけだが、この先私にできるのは、どの段階で猫を楽にしてやるかを決断することだけなのかもしれないなと思うと、腎臓移植やら心臓専門医やらで気を揉んでいたころが懐かしいのである。

 
 
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