アメリカのおいしい生活
2月
23日月曜日

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  #138 レシピのニュース
 
 

 毎日、郵便受けに郵便を取りに行き、斜め向かいのリサの家を目にするたびに、
「ああ、パンのレシピ」
 とため息をついている。
 去年の暮れ、大雪で数日間身動きがとれなくなったとき、ご近所さんが集まって持ち寄りパーティーをした。そのときに私が作って持っていったパンが、意外にもアメリカ人奥さんたちに好評だったのだ。
 小麦粉とベーキングソーダ、プレーンヨーグルトと牛乳に砂糖、塩というのがベースのシンプルなパンで、そこにレーズンとくるみをどっさり入れる。イーストを使わない分、発酵させたり寝かせたりという手間がない。イースト特有の、ちょっと酒蒸しまんじゅうみたいな甘い香りはないが、スコーンのようなずっしりとした食べごたえがある。アイルランドのソーダブレッドにヒントを得たレシピらしい。ずいぶんまえに日本の雑誌から切り抜いてそれっきりになっていたのだったが、つい最近ふと作ってみたら簡単でおいしいので、頻繁に作るようになった。
「これ、おいしいわねー。どうやって作るの? あ、プレーンヨーグルト?! それでこんなにしっとりしてるのかしらね。レシピ教えて」
 何人かの奥さんたちにそんなふうに言われた。
 持ち寄りパーティーでは、互いの料理を話題にし、あれこれ質問し、褒め合うのが礼儀だ。「レシピ教えて」は最上級の褒め言葉であり、言われるとうれしいものだが、真に受けるのは危険である。あくまでも儀礼的に用いられた場合も多く、うっかり有頂天になって後日律儀にレシピを渡すと、「あれ? なんだったっけ? 頼んだっけ?」というような冷めた反応が返ってきたりするから要注意なのだ。
 が、向かいの家のリサは、私のパンが本当に気に入ったらしい。パーティーから一カ月以上経ったある日、ふと顔を合わせて立ち話を始めたとき、
「あのパンのレシピ! あれ、ちょうだいね」
 詰め寄らんばかりに言ってきたのである。
 そこまで言われたら、あげないわけにはいかない。家に帰ってレシピを取り出し、英語に翻訳しようと机に向かったのだが、材料の一覧を見ただけで、すっかり面倒くさくなってしまった。
 日本のレシピは、粉はグラム、液体はccで表示されているが、アメリカのレシピはたいてい粉も液体もカップでの計量なのだ。液体はともかく、粉類はカップで量ると必ずといっていいほど周りが粉だらけになるし、表面をまっすぐにするのがむずかしくて正確に量れないからやめればいいのに、と思うのだが、アメリカのレシピは、頑なにカップでの計量なのである。
 そんなわけで、アメリカ人にレシピをあげるには、主だった材料の量をカップに換算しないといけないのだが、これがなんとも面倒くさいのだ。

小麦粉200グラムは、いったい何カップ

なのだ? ヨーグルト70ccは? 
 牛乳170ccは、アメリカンサイズ(250cc)のカップに換算すると10分の7カップになるわけだが、こんなややこしい数字が出てくるレシピ、試してみたいと思うだろうか。
 というわけで、リサにパンのレシピをあげないままなのである。そして郵便を取りに行ったときに彼女の家を見てレシピのことを思い出しては、ちくりと罪悪感に苛まれる日々が続いている。
 
 レシピといえば、つい先日、面白い記事を新聞で読んだ。アメリカの料理本に載っているレシピの「盛り」が大きくなっていて、一人前のカロリーが増えているというのである。
 一九三〇年代に出版されて以来、いまやアメリカのキッチンのバイブル的な存在になっている『Joy of Cooking』という料理本のレシピが主に調査の対象となった。それによると、過去七十年のあいだに、同じ料理のレシピの一人前カロリーが四十パーセントほど増えているのだそうだ。
 同じレシピでなぜこんなことになるかというと、ひとり分の「盛り」が大きくなっているから。
 一九三六年版では十四人分(ひとり分は228カロリー)として紹介されていたチキンガンボスープは、二〇〇六年版では十人前に変わっており、ひとり当たりのカロリーは576カロリーになっていたそうだ。
 Portion distortion(歪められた一人前の分量)と呼ばれるこのトレンドは、ほかの料理本のレシピでも見られる。六〇年代、七〇年代には三十個分として紹介されていたブラウニー(チョコレートたっぷりの一口ケーキ)のレシピが、材料の分量など一切変わらないのに、いまや十五個分となっていたり、その昔には百個分だったクッキーのレシピが、いまでは六十個分になっていたり。
 現在、アメリカでは大人の六割が、太り過ぎ、あるいは肥満といわれており、大きな社会問題になっている。これまではファストフードなどの外食産業がアメリカの肥満問題の槍玉にあげられていたのだが、実際は自衛策として家で作って食べたところで、知らないうちにたくさんの量を食べることになっていたというわけだ。
 レシピはあくまでも本に紹介されているだけのものであり、実際に人々が口にした量を反映しているかどうかはわからない。もしかしたらもっと多く食べているかもしれないし、あるいはもっと少なく食べているかもしれない。
 でも、七〇年代に撮られたニュースフィルムやコンサートの風景などを見ていると、アメリカ人の群衆のなかに、肥満はおろか太り過ぎの人さえもほとんど見かけないことに気づいて驚くのである。この三、四十年のあいだのアメリカ人の目方の増え方は、ブラウニーやクッキーの一個当たりの量の増加分にぴったり重なっている感がある。
 新聞の記事は、レシピの調査をした大学教授の言葉で締めくくられていた。
「その昔にはほぼ倍の人数をもてなすことができたレシピなのです。作ったらすぐに、半分は食べずにしまっておくように」
 時を同じくして、日本の新聞でも料理レシピに関する興味深い記事を読んだ。
 NHK教育テレビの長寿番組「きょうの料理」で紹介している「目安となる材料の量」が、これまでの四人分から二人分に変更になる、というのだ。
 一九五七年に始まった同番組は、当初五人分が「目安」だったが、核家族化の進行にともなって、六五年から四人分に減ったそうだ。
 が、いまや一世帯当たりの平均人数は二・五五人に落ち込んでいるばかりか、今後も減少傾向が予想されるという。また、番組テキストの読者アンケートでも二人分を希望する声が多かったことから、変更に踏み切ったとのことである。
 核家族化に加え、少子化、そして晩婚傾向なども世帯人数の減少の理由だろうか。いきなり四人から二人というのも極端な気がするから、せめて三人ではどうなのだろうか、と思うのだが、しかしまあ実際のところは、二人分を基本にしておけば、ほかの人数分に展開するのが簡単だからということなのかもしれない。三人家族なら一・五倍にすればいいし、四人家族なら二倍にすればいい。三人分を基本にしたら、そこから他の人数分を割り出すのは厄介だ。
 そういうわけで「二人分」なのだな、と納得しようと努めてみているものの、やはりなんともいえない寂しさが胸に残る。二人分の炒め物の作り方などをちんまりと紹介している図を想像すると、その鍋の中身の少なさに、

日本という国が縮んでいっている

イメージが重なるのである。
 アメリカのレシピと日本のレシピ――料理のレシピの話題から、それぞれの国が抱える問題が見えてきたのであった。

 
 
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