つい先日、千九百ドルの請求書が来た。夫が二年前に大腸内視鏡検査を受けたクリニックからだ。
お腹のなかを完全に空っぽにしなければいけないから絶食に下剤で、あの時は大変そうだったなあ……と思い起こしたが、それはともかく、千九百ドルとは尋常でない。
慌てて医療関係の書類やら請求書やらを引っ張り出し、検査が行われた病院に問い合わせたりして調べてみたところ、この検査の費用は三千四百ドルで、保険から八割ほど払われ、私たちは残り二割の七百四十ドルをすでに負担していたことがわかった。
「ということは、費用はすべて支払われた、ということですよね?」
「そういうことになりますね」
電話の向こうで、病院の会計係と思われる若い男性が答える。
「それじゃあどうしてクリニックからいまごろ千九百ドルなんて請求が来るんでしょうねえ……?」
私が独り言のように言うと、彼は、
「たぶん医者の費用でしょうね」
と答え、以下のように説明してくれた。
すでに支払いが済んでいる三千四百ドルというのは検査が行われた病院の施設費用であり、医者の費用は含んでいない。その医者はその病院には属していないから、費用の請求が医者から患者に直接行っても不思議ではない。
医者の費用に千九百ドル! 技術を要する検査だとは思うが、検査じたいは三十分ほどだったと聞いている。
二年まえの検査の費用請求がなぜ今ごろになって来るのか、千九百ドルのうち保険からどのくらいカバーされるのか、ウチは一年まえに保険会社を替えているが、二年まえの時点で加入していた保険会社に今から請求して受け付けてもらえるものなのか……。
これからクリニックやら保険会社やらに電話して話をしなければならない。面倒である。
それにつけても思うのは、この国の医療保険の崩壊ぶりである。月々千二百ドルもの保険料を払っているというのに、なにかちょっと検査や治療を受けただけで、何百ドル、何千ドルという単位で自分の懐から出さなければならないのは、いったいどういうわけなのだ。
大腸内視鏡検査が日本でいくらするのか調べてみたら、なんと自己負担三割で九千円だそう。ということは、検査すべての費用じたいも三万円しかかかっていないという計算だ。
アメリカでは、この検査の総費用は六千四百ドルということになる。日本に比べたらなんと二十倍以上。患者の負担ということになると、その差はさらに広がる。
先月、友人の娘さんが通う体操教室の女性コーチが亡くなった。旧ソ連出身で、その昔に体操の世界チャンピオンになった人だという。五年前に乳ガンの治療を行ったが、昨年末に胃、それから肝臓に転移。最後にホスピスに入った彼女の治療費は総額四十万ドルにも上り、家族は家を失うことになったそうである。
遊んでいたわけではない、真面目に働いてきた人たちが、家族が病気になったからという理由だけでこんな仕打ちを受けるのはなんとも不条理だ。安心して病気になれない社会は、結局のところ弱者切り捨ての社会ということだ。
お金の話題をもうひとつ。
四月初めに、娘が通う私立校のオークションが開かれた。
この学校は幼稚園から高校まで、生徒数七百人ほどの小さな所帯。政府、宗教団体、その他のいかなる団体からも経済的な援助を受けておらず、費用は主に学費でまかなわれる。が、それだけでは生徒一人当たりにつき二千百ドルほど足りない。それで、そのギャップを埋めるべく、さまざまな資金集め活動が行われる。春のオークションも、そのひとつ。
私はその日にたまたま用事があったのでオークションには行かなかったのだが、ポートランド美術館のホールを借りて、賑々しく行われたそうだ。写真を見ると、アカデミー賞授賞式と見まごうようなロングドレスで参加した人たちもちらほら。
オークションに出されたものは、バケーションパッケージが多いが、なかには有名人とのゴルフとか子犬などというのもある。参考までにと記された元の値段は、どれも数千ドルという単位だ。また、クラスプロジェクトと称して、子供らが共同で作ったアートも学年ごとにオークションに出品されている。
ちなみにこの手のオークションというのは、公立校でも寄付集め目的で行われている。我が家のご近所さんも、ついこの間、一年生の娘が通う公立小学校のオークションでクラスプロジェクトの「アート」を競り落としてきたという。四枚の木製のパネルにちょっとした彫刻がほどこされており、クラスの子供たちひとりひとりがちょっとずつ色を塗ったのだそうで。いくらで競り落としたのかと尋ねたら、「二千ドル」という答えが返ってきたのでギョッとした。
オークションの翌日、娘のクラスメイトのお母さん、リサから一斉メールが来た。
「昨日のオークションで、先生たちによるカクテルパーティーというイベントを競り落としました。先生たちが我が家に来て、パーティーをホストしてくれるのです。開催は×月×日。ぜひいらしてくださいね」
この学校では、プリスクールとキンダーガーデン(日本でいうところの幼稚園年中と年長)をまとめてビギニングスクールと呼んでいるのだが、その先生たち七人が、リサの家にパーティーのケータリングにくるというわけだ。
リサからのメールのさらに翌日。別のお母さんから電話がかかってきた。
「リサが競り落とした先生たちのパーティー、行く?」
「たぶん行くけど……どうして?」
「リサの家族だけに費用を負担させるのも悪いから、少しみんなで手伝おうかって話になったんだけど、あなたも少しどう? もちろん、強制はしないわ。プレッシャーは一切なしよ」
プレッシャーがない、というときに、本当になかった試しはない。行き掛かり上、私もひと口乗らねばなるまい。百ドルくらいでいいかな、と思いつつ、
「みんないくらぐらい出してるの?」
と訊いてみたところ、
「みんなそれぞれよ。えーと、五百ドルの人が三人かな、あと二百五十とか、二百とか……」
私の見込みよりもずっと高いじゃないか、と驚いたが、もう引っ込みはつかない。訊かなければよかったと(いや、この電話を取らなければよかったとさえ)思いながら、
「じゃあ……ウチも……二百五十でお願いします」
平静を装ってそう言うのがやっとであった。
それにしても、五百ドル出す人が三人いて、二百やら二百五十やらという人も数人いたら、リサたちが競り落とした値段を超えて儲けが出ちゃうんじゃないのかね……などと考えていたら、オークションに参加したというお母さんと話す機会があった。
「ね、先生たちのパーティーって、リサはいったいいくらで競り落としたの?」
私が訊いたら、そのお母さんは眉を吊り上げ、小声で
「八千ドル」
と答えた。
はっせんどる!
たったひと晩の(それも料理のプロでもない人たちが用意する)パーティーに、八千ドル! しかも、自分の家が開催場所なのに……八千ドル!
パーティーが競り落とされた現場にいた人たちによれば、リサの旦那さんと、学年がひとつ上の子供のお父さんとがムキになり競り合って、どんどん値が上がっていったのだそうだ。相当負けん気が強い人たちとみえて、どちらも引っ込みがつかなくなったらしい。
八千ドルともなると、確かに少し手助けしてやろうかという気持ちになる一方、オークションという雰囲気に呑み込まれて常軌を逸した行動に出てしまった人のために、ウチが二百五十ドル払うというのもなんだかバカバカしい気がするのだ。しかも、「プレッシャーなしよ」なんてプレッシャーをかけられながら。
こうなったらパーティーで大いに飲み食いして元を取るしかないな、と考えて気持ちを切り替えようとしている(二百五十ドルもあったらスシが二回食べられる、などと考えてはいけない)。
子供の学校の寄付金集めオークションでぽーんと数千ドル単位でお金を使う人々がいる一方、家族の病気の治療費で家を手放さざるを得ない人がいる。これが世の中、といってしまえばそれなのだが、どうにも自分のなかで納まりがつかないのである。
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