アメリカのおいしい生活
6月
1日月曜日

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  #144 楽しい日本人学校
 
 

 この四月から、娘がポートランド日本人学校に通い始めた。地元の商工会によって一九七一年に設立され、日本政府の補助を受けているという学校だ。
 現在の生徒数は三三八名(幼稚園から高校)。以前住んでいたニュージャージー州には日系企業が多く、したがってたくさんの日本人がいたので、普通の学校のように月曜から金曜まで授業をする日本人学校があったが、ここでは毎週土曜のみ。地元の中学校の校舎を借りて開かれている。
 アメリカに住む日本人の子供(海外駐在員の子供)が日本に戻った時に勉強で困らないように、日本の教育にレベルを合わせるのが目的である。だから、「ただの語学学校ではありませんよ」と再三釘をさされる。授業は国語と算数(数学)だけだが、日本で週五日かけてやっているものを土曜だけでカバーしようとするので、宿題が山のように出ることで知られている。
 とはいえ、ウチの娘が入ったのは幼稚部だ。ひらがなの練習はさせられるが、勉強らしきものはそのぐらいで、あとは歌を歌ったり工作したりのお遊びが主。九時から三時までという長丁場にもかかわらず、本人はけっこう楽しんでいるらしい。
 私はアメリカに住んで十六年になるが、つい最近まで、日本人社会との接点があまりなかった。娘が五年前に生まれて、日本人母さんたちによるプレイグループに参加し始めてから少しずつネットワークが広がり始めたが、今回の日本人学校のような公的な組織(それも日本政府の肝いり)に属するのは初めて。久しぶりに接する「日本」に驚いたり慌てたり、なかなか新鮮である。
 入園に当たってはいろいろと準備があったが、なにがいちばん驚いたかといえば、

「記名」

である。持ち物にはすべて記名。当たり前といえば当たり前なのだが、色鉛筆の一本一本にも、はさみにも、スティックのり本体のみならず、フタにもすべて記名。
 アメリカの幼稚園だって「持ち物には名まえを書いて下さい」とは言うけれど、鉛筆やマーカーなどは教室に置いてあるものをみんなで使うので記名の必要はない。自前の校舎を持たない日本人学校の幼稚園は道具を置いておくことができないから、すべて各自持ってこなければならない、というのは頷けるし、それぞれの持ち物に名まえを書いておかなければいけないというのもよくわかる。でも、色鉛筆一本一本にも? のりやマーカーのフタにもぉぉ……? 
「なくなっちゃったらなくなっちゃったでいいじゃん。子供も次から気をつけるようになるし」
 などと考えてしまったのは、私がずぼらなせいなのだろう。
 鉛筆に名まえを書くなど私には到底できない作業のように思われたので(最近、老眼になってきたし)、ラベルを買うことを思いついた。ちょうど夫が日本に出張するタイミングだったので日本のラベル屋に注文したらいいな、とウェブで探してみて、仰天した。
 ありとあらゆるものに貼れるようにといろいろなサイズが取り揃えてあるのだが、四ミリ×十七ミリ、六ミリ×六ミリなどというミニミニサイズまであるのだ。もうほとんど米粒に字が書いてあるみたいな、ピンセットの世界である。
 なんのために……と思いきや、「さんすうセット」のためなのだ。
「おおお、あったねえ、さんすうセット!」
 私はPC相手に思わず叫んでしまった。
 その昔、小学校一年のときに、学校から配られたのだ。三角や丸や四角形の厚紙や、プラスチック製のおはじきや数え棒など一式が入った箱が。中身はどれも、折り紙の赤や緑や黄みたいな鮮やかな色だった。図形の基礎や、ちょっとした計算を学ぶための教材だったと記憶している。
 思えば、そのひとつひとつに名まえを貼るための白いシールも入っていたのだった。一円玉くらいの大きさのおはじきや、焼き鳥の串を若干太くしたくらいの数え棒に貼るためのシール。それこそ、ミリ単位、ピンセットが必要なくらいの小さなシールだ。
 名まえラベル屋など身近ではなく、ましてや自宅でラベルを印刷するなど考えられなかった時代である(学校ではわら半紙にガリ版刷りだったころだ)。母が書いているのを見た記憶がないから、私が寝た後に作業したのだろうか。黒のボールペンで「ふじわらようこ」と書かれた小さなシールが、おはじきや数え棒のひとつひとつに貼られていたのを覚えている。
 母も、今の私のように「うわー、こんな小さいものにもいちいち名まえ書かないとダメ?」などとため息つきながら作業したのだろうか。何十も私の名まえを書いて、終わりのほうには字が乱れてきただろうか。字があまりキレイでないことを必要以上にコンプレックスに感じている母のことだから、あまり楽しい作業でなかったに違いない。今訊いてみたところで、きっと「忘れちゃったなあ」と言うだけだと思うけれど。
 それにしても、三十五年以上まえに私が使っていたさんすうセットが、今の日本でも使われているというのは驚きであった。色とりどりのものがこまごま入っているのが楽しかったからもっと頻繁に使いたかったのに、授業ではあまり使われなかったような記憶がある。ひとつひとつ名まえをつけるのは大変な作業だし(共働きの家では本当に大変だろう)、それにどうせ一年生のときにしか使わないのだし、学校で必要数用意しておいて、毎年同じものを使い回すということでいいのではないか、などと思ってしまうのだが。
 
 先日は、日本人学校の参観日であった。
 教室でグループごとに座っている子供たちの様子は、幼稚部というよりは小学校のようだった。借りているのが中学校の校舎だから椅子も机も高すぎて、どの子も

足が椅子からぶらぶらしている

のが微笑ましい。午後で子供たちは疲れているであろう時間だったが、みんな思いのほか先生たちの言うことをよく聞いて、辛抱強く座っていた。
 ここでの驚きは、親たちであった。
 自分の子供に手を振るのだ。もちろん子供もにこやかに手を振り返す。
 教室にお邪魔させてもらいますが、どうぞ私たちはいないものと思って、いつもどおりに授業を進めてください……という感じでひたすら子供たちの注意をこちらに向けないようにと努めていた私にとっては、意外な行動であった。
 ビデオ撮りにも驚かされた。これはアメリカ人の父親だったが、工作をしている自分の子供のすぐ横まで行って、携帯電話で写真を撮っている人もいた。
 最近の参観風景はどこでもこんなものなのだろうか。先生たちも慣れているのか、あまりネガティブに捉えているふうもない。
 私は、「参観日」という言葉にはもう少し重みというか、ある種の冒しがたい感じを覚えて背筋が伸びるのだが。
 参観後には、懇談会が行われた。親たちが簡単に自己紹介をした際には、幼稚部の二人の先生たちは、「アメリカにどのくらい滞在しているか、家では日本語がどのくらい使われているか、日本に戻る予定があるか」というようなことを知りたがった。ふたを開けてみたら、ポートランド駐在の家庭が半分、アメリカ永住組が半分、というところであった。
 質疑応答では、宿題に質問が集中した。幼稚部では、基本的には宿題は出ないことになっているが、「教室でやり残したひらがなのドリルを家でやってきて提出したら、先生が見て丸をつけてあげますよ」ということになっている。
「あのう、それはやらなければいけないということですか?」
 あるお母さんが切り出した。
「いえ、やらなければいけないということではなく、やってきたら見てあげます、ということです」
「じゃ、やらなくてもいいんですか?」
「まあ、そういうことになります。家ではできるだけやっていただきたいんですけれどもねぇ」
「じゃあ、やっぱりやらないといけない?」
「いえ、そういうわけではなく、やってきたら見てあげますよ、ということなんですけれども……」
 うーむ。学校としては、幼稚園生にまで宿題を強要することはできないから、親ががんばって家でやらせてくれ、というところだろうか。
 上にも書いたが、通常任期が三年から五年くらいの駐在員の子供が日本に帰ったときに困らないようにと設立された学校である。宿題が多いのは致し方ないのだが、どうやら幼稚園からじんわりと始まっているようなのだった。
 この春に日本人学校の高校を卒業した子の親が、こんなことを言っていたそうだ。
「日本人学校に行かせてなかったら、もう少し親子関係が良好に保てたかも」
 ゴールが見えてきた最後のほうは、あと少しだからと本人もがんばる気になったけれど、それまでは
「宿題やりなさい」
「日本人学校辞めたい」
 というような言葉が日常的に飛び交っていたらしい。
 ひらがなドリルのやり残しをやらせるだけで、すでに我が家には険悪なムードが漂っている。前途多難である。

 
 
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