三年ぶりくらいで会った友人に、出し抜けに
「マイケル・ジャクソン、好きだったよねえ?」
と訊かれたので面食らった。
「違う、違う。私が好きなのはスティングだってば」
すぐさま否定した。
そんなに大慌てで否定しなくてもよかったかな、と心の中で思ったが、しかし、奇行ばかりが取り沙汰されていたマイケルは、もはや「好き」と公言しにくい存在ではなかったか。
彼が死んでからというもの、ロックスターの去り際ということについて考えている。
スターは、存在自体が商品である。そしてスターがファンの前から去るとき、その商品価値に少なからず影響を与える。
スターが去るとき、というのは、平たく言えばたいていの場合が「死」であり、その死が衝撃的でミステリアスであればあるほど、スターはより偉大な伝説となる。しかも、それが人気絶頂のときならなおのこと。
ジミ・ヘンドリクスとかジャニス・ジョプリンなどは、こう言っては酷だが、伝説となるには最高の死に方をしたといってよかろう。どちらも27歳でこの世を去っている。原因は、ドラッグや酒。
27歳というのはロックスターにとっては鬼門なのだろうか。その年齢で死んだロックスターは、他にもいる。ローリングストーンズのオリジナルメンバーだったブラ・モリソン。
一九六九年から七一年のほんの二年の間に相次いで27歳で亡くなったこの四人は、しばしば
The 27 ClubとかThe Forever 27 Club
などと称されるそうだ。九四年に自殺したニルヴァーナのカート・コヴェインもやはり享年27歳。このクラブに仲間入りした。
七七年に亡くなったエルヴィス・プレスリーは、42歳であった。五十年代に大人気だった彼は、六十年代にビートルズやローリングストーンズに取って代わられたものの、七十年にジャンプスーツ姿で登場し、復活した。それ以降、おびただしい数のコンサートをこなすうちに体調を崩し、また薬物を乱用した結果、七七年八月十六日、自宅バスルームで倒れているところを発見された。
ジョン・レノンの死も、衝撃的であった。八十年十二月八日の晩、ニューヨークの自宅アパート前で、ファンを装った男に撃たれた。ダブル・ファンタジーというアルバムが発売されてから間もないころのこと。五年間の休止期間を終えて音楽活動を再開した年で、エルヴィス同様、復活後の不慮の死であった。
ほかに衝撃的な死を遂げたミュージシャンはといえば、摂食障害と長年闘ったすえに急性心不全で亡くなったカーペンターズのカレン・カーペンター(32歳)、父親に撃ち殺されたマーヴィン・ゲイ(44歳)など。
こうして考えてみると、ロックスターにはまともに天寿を全うした人がいないじゃないか、という気がしてくる。まあ、ロックミュージック自体がまだ歴史が浅く、最初の世代がようやく高齢になってきたというところなのだ。肺ガンで亡くなったジョージ・ハリスン(58歳)とエイズで亡くなったフレディー・マーキュリー(45歳)はどちらも早すぎる死であったが、上記の人たちのような急死ではなかったという意味で、ロックスターとしては例外的といえるかもしれない。
若くして死んで伝説になったロックスターがいる一方で、死の数歩手前まで行って戻ってきたスターたちもいる。エリック・クラプトン、ミック・ジャガーやキース・リチャーズ、エアロスミスのメンバーなどなど。彼らにはドラッグに溺れた時期があり、一歩間違えばジミヘンやジャニス・ジョプリンのようになっていても不思議ではなかったわけだ。
好き勝手をやっていた彼らも、次第に「ロックスターも健康第一」ということに気づいていく。いまやエアロスミスの面々などは健康そのもので、エクササイズなどに日夜励んでいるらしい。
時代性もあるのだろうが、彼らのように死の淵まで行かずとも比較的早い段階から「健康第一」と気づいていたのはスティングやマドンナであろう。彼らは食べ物に気を遣い、カラダを鍛え、ドラッグによるスキャンダルとは無縁である。
私はいつも思うのだが、ロックは不健康だからこそカッコいいのであって、ロックスターが健康に気を遣いだした時点で、アーチストとして大事ななにかを失ったような気がして仕方がないのだ。自分たちの商業的な価値を見出したスターたちの、ビジネスマンとしての計算が透けて見える、といってもいいかもしれない。
そういう意味では、計算など一切なしでドラッグに溺れて命を落としてしまったジミヘンやジョプリンのほうにアーチストとしてよりいっそうの魅力を感じるわけなのだが、まあこれは結果論であり、かなり勝手な言い種でもある。
というわけで、
スターのベストな去り際とは
なんぞや、と考えていて出た結論は、
「人気絶頂期に、劇的にファンの前から姿を消す」
ということ。
しかも、命を落とさずしてこれができたら――つまり生きながらにして伝説になったら――最高である。
が、スターという稼業をスパッと辞めるなど、なかなかできることではない。強い意思が必要だ。
それをやりおおせたのは、私が知る限り、山口百恵だけである。
マイケル・ジャクソンは、再起を賭けたコンサートツアーの直前に死んだ。エルヴィスが復活を果たした際には、その模様がThat's the Way it isという題名のフィルムにまとめられたが、マイケルの復活コンサートはThis is itツアーと命名されていた。うまく訳せないけれど、どちらも「コレできまり」みたいな意味で、非常に似ている。エルヴィスを意識していたのだろうか。
マイケルの追悼式をテレビで見たが、なんだか寂しかった。もっとたくさんの有名人が我も我もと押しかけてきているのかと思っていたのだ。いや、有名人の知り合いが多ければいいというわけではないが。
復活なんか目論まなければよかったのに、と思う。そもそも、人気絶頂のときにすぱっと「やーめた」と百恵みたいに辞めていればよかったのに。周りが許さなかったかもしれないけれど。
追悼式では、若いころのマイケルの映像が流された。まだあどけなさが残っている彼の、歌ったり踊ったりすることが楽しくて仕方がないという表情が、晩年近くの無表情とあまりにも対照的なので胸を突かれた。
彼の死が、早すぎたのか遅すぎたのか、私にはわからない。
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