ダンスのコンテスト番組をテレビで見ていたら、隣に座っていた夫がぽつっと、
「コレって、世が世なら大問題だよなあ」
とつぶやいた。
画面では、男女のダンサーが身体をピッタリと重ね合わせるようにして踊っている。女性のほうはビキニの腰にちょっと布を巻きつけたみたいないでたちで、かなりの露出。
「大正時代の日本人に見せたら、ぶっ飛ぶね」
私が答えると、夫は、
「ああ、それもそうなんだけど――ほら、人種が」
ダンサーの
男のほうは黒人、女のほうは白人
だった。ああ、たしかに、と私は頷いた。つい最近見た映画のことを思い出したのだ。
それは、Mr. Rock'n Roll: The Alan Freed Storyという古いテレビ映画。このアラン・フリードという人は一九五〇年代に活躍したラジオのDJで、「ロックンロール」という言葉の生みの親といわれている。当時、「ニグロ」の音楽だとされていたリズム&ブルースにいち早く注目し、彼のラジオ番組で次から次へと流した。R&Bの人気は白人にも広まっていった。
クリーブランドの小さなラジオ局から始まったR&B熱は、徐々に全米に広がりを見せた。フリードは世界で初といわれるロックコンサート開催に尽力したり、ロックンロールを主題にした映画に出演したり、ニューヨークのラジオ局に引き抜かれたりして、大忙し。
ついにはテレビでも番組を持つまでになるが、ある日突然、彼の番組はキャンセルされてしまう。
理由は、人気歌手がファンの女の子と踊っている姿を放映したから。歌手は黒人、女の子は、白人だった。その場面は南部の系列局のお偉いさんの逆鱗に触れ、フリードの番組はすぐさま取りやめになってしまった。
これが一九五七年のこと、というのが驚きなのであった。ほんの五十年ほど前ではないか。
それがいまや、テレビで白人と黒人が踊っているのなど当たり前の光景になったし、黒人のことを「ニグロ」なんて呼ぶ人はいなくなったし、大統領は半分黒人だし。
もちろん、これは表面的なことだ。人種による差別がどのくらいなくなったのかはわからない。つい最近も、壊れた自宅の鍵をこじ開けて入ろうとしていた黒人男性が、不法侵入者と間違われて逮捕される事件が起こったばかり。この男性はハーバード大教授で、黒人研究の第一人者。実際の逮捕の理由は、「不法侵入者とみなしたのは自分が黒人だからか」と教授が過剰に反応して騒いだためだそうで、警察が彼を最初から「黒人イコール不審人物」と決め付けていたかどうかは不明。オバマ大統領が、自分の知人であるこの教授の肩を持つようなコメントをして事態をさらにややこしくしたが、この一件などはまだまだ人々が(特に黒人が)「この国から人種差別はなくなっていない」と考えているがゆえに起こった事件である。
というわけで、人種差別の問題はアメリカからなくなってはいないし、上記の教授などは「五十年経ってもこの程度」と憤っているのかもしれない。でも、ほんの五十年前には白人と黒人の男女が踊る姿を全国ネットで放映できなかった――というか、そういう場面に対する嫌悪感をあらわにすることにだれも異を唱えなかった――という事実を考えると、私の目には一足飛びにここまで来たように映るのである。
奇しくも、同じようなことを、ショーン・ペンが今年のアカデミー賞主演男優賞を授賞した映画『Milk』を観たときにも感じた。
この映画は、ハーヴィー・ミルクというアメリカ初のゲイの政治家の話である。サンフランシスコの市議会議員に四度目のトライで当選した。「アメリカ初のゲイの政治家」というのは実は正確ではなく、「ゲイであることを公にしていながら政治家になった最初の人」というのが正しい。
晴れて市議会議員になった彼が力を注いだ問題は、「ゲイであることが発覚した教師は解雇できる」という条例についての住民投票。
ミルクはもちろん、「そんなの冗談じゃない」と条例成立を阻止すべく運動を起こす。一方の賛成派は、「自分たちでは子孫を増やすことができないゲイどもは、私たちの子供たちをリクルートしてゲイにするべく教師になっている。子供たちを守れ!」と主張するのであった。
これが、一九七八年のこと……って、ほんの三十年前じゃないですか! 最もリベラルといわれる街サンフランシスコでも、ほんの三十年前にはゲイに対するこんな無茶苦茶な発言がまかり通っていたばかりか、今から考えればまるで魔女狩りのような、不条理で差別的な条例が大真面目に提案されていたのである。
隔世の感がある――などと、七十年代のサンフランシスコに住んでいなかった私が言っていいものかどうかわからないが、現市長がゲイであるポートランドの街に住んでいる私にとっては、「たったの三十年で国というのはこうも変われるものなのか」とひたすら驚きなのである。ポートランドは、全米トップ30に入る大都市のなかで、
初めてゲイの市長を選出した
街だ。
一九八六年からポートランド市政に関わってきたサム・アダムスがゲイであることを公にしたのは、九三年。二〇〇八年の市長選に立候補したとき、彼が同性愛者であるという事実が問題視あるいは特別視されることはなかった。
今年の初めに彼が市長になった直後、スキャンダルが発覚した。数年前に知り合った若い男性インターンとの性的関係について。以前、市長選の始めのころにこの疑惑が持ち上がった時、彼はこのインターンとの関係を全面的に否定していたのだが、実は性的関係を持っていたことが今年になって発覚したのであった。
「インターンが法的に認められた年齢(十八歳)になるまで性的な関係はなかったけれど、そんなことを言ってもだれも信じてくれないだろうと思ったので嘘をついてしまった」
アダムスはこう言って謝罪した。すぐに淫行の疑いで検察による捜査が始まったが、証拠不十分で起訴はされなかった。
彼に辞職を求める声は、少数派だがいまだにある。が、焦点はあくまでも彼が嘘をついていたことであり、ゲイだから辞めろということではない。
実のところ、たいていの人は、ゲイだろうがなんだろうが、政治家のこのテのセックススキャンダルにすっかり辟易していて、「インターンとの性的関係について嘘をついたクリントンだって辞職しなかったんだから、アダムスだって辞めなくてもいいんじゃないの」というムードが漂っている。
というわけで、最近たまたま観たふたつの映画により、アメリカの差別について考えさせられた。進歩的、革新的と思っていたアメリカが、ほんの五十年、三十年前にはガチガチの差別社会だったことに驚かされた。これらの映画が描いていた時代から比べると、アメリカ人の差別に関する意識は飛躍的に改善されたように見える。
が、まだまだ人種や性的志向のみならず、性別や年齢などによる差別はなくなっていない。つい先日も、新聞の悩み相談みたいなコ−ナーに、ゲイのカップルが「近所の男性が自分たちに侮蔑的な言葉を投げかけた」と投稿していたのを読んだばかりだ。社会としては差別なしの方向にかなりのスピードで向かっているように見えるが、個人レベルとなると、まだまだということなのかもしれない。この三十年、五十年の間に、「差別はいけない」という考えが急速に広がったために、「嫌悪感を隠すのが上手になっただけ」ということでなければいいのだが。
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