六月初めに娘の学校の夏休みが始まった時には、その長さに恐れおののいたけれども、気がつけばもう九月。長かったような、短かったような。
我が家の夏休みのハイライトは、なんといっても日本行きであった。いままでは五月の暑くもなく寒くもなくという時期に里帰りしていたが、娘が毎日学校に通い出した今年からは、夏休みが唯一のチャンスとなった。
八月の日本はすごく暑いんだろうな、と覚悟のうえで旅立ったが、今年は猛暑ではなかったらしい。愛媛にある夫の実家では、夜中に親子三人で上掛けの取り合いをするくらいに涼しかったので拍子抜けした。
アメリカに住み始めて十六年。毎年、日本に一時帰国していて、その度になにかしらカルチャーショックがある。今回は
「アームカバー」
に目を奪われた。女性たちが腕の日焼けを防止するために着けている、筒状に縫われた布製カバーである。ただの筒だけでなく、中指を通す小さな輪がついていて、カバーが腕の上部にずれていくのを防止する工夫が凝らされたものもあるらしい。服装によっては、舞踏会に行くお姫様のように見えたり、茶摘みの人のように見えたり。
かねてより日本女性の美白信仰には引き気味だった私(色黒)であるが、彼女らの紫外線防止対策もついにここまで来たか、という感じがして、大いにのけぞった。絶対に日に当たりたくないもんね、という鉄のような意思が、白くなっちゃってからのマイケル・ジャクソンに通じるような気がしたのだ(彼の場合は病気だったらしいが)。
アームカバーは、日焼けだけではなく冷房対策も兼ねているという。外でも内でも着けるなら、いっそ長袖を着たらどうじゃろか、と思ったりするわけだが、いや、やはりそうはいっても蒸し暑い日本のこと、簡単に着脱できるというところがミソなのだろう。皮膚ガンのリスクを知りつつもせっせと日光浴にいそしむ人が多いアメリカでは、まず売れない商品とみた。
二週間の日本滞在のあいだには毎回必ずといっていいほど、アクシデントが発生したり、困った事態に陥ったりするものなのだが、今回、それは旅の終盤にやってきた。私たちは突然、蚊帳を求めて奔走したのである。
なぜいまどき蚊帳などというものが必要になったかというと、娘の猫アレルギーのせいだ。
去年、茨城にある私の母の家に泊まったとき、娘はゲホゲホ咳き込んで眠れぬ夜を過ごした。そのときは、旅の疲れか風邪かなと思って咳止めを飲ませていたのだったが、この夏の初めに友人の家に泊めてもらったときにも、同じくゲホゲホになった。それで、病院で血液検査を受けたところ、娘は猫とダニのアレルギーだということが明らかになった。母は一匹、友人宅は二匹、猫を飼っている。
我が家にも猫が一匹いるのだが、不思議なことに、自宅ではアレルギーの症状が出ない。猫の種類によるのかも、と医者は言っていた。やはり猫アレルギーである友人によれば、家のなかだけで飼われている猫よりも、外に出されている猫がいる家でのほうが具合が悪くなるそうだから、ウチの娘のアレルギーも同じパターンなのかもしれない。
母には、家のなかを念入りに掃除しておくように頼んだ。七十歳を超え、しかももともと夏が苦手なたちの母にそんな余計な労を強いるのはおおいに気が引けたが、仕方がない。私たちはアレルギーの薬を用意し、戦々恐々という感じで母の家に行った。
皮肉なことに無類の猫好きである娘は、猫を見つけると、寄っていって頬ずりせんばかり。自分がアレルギーということが――というか、アレルギーがどういうことなのかが――あまりよくわかっていないのだ。大人たちはひやひやもので、「猫は放っときなさい!」と目をつり上げた。
最初の晩、祈るような気持ちで食事を終え、今回は大丈夫かねえ、と安堵しかけていたところ、風呂から上がって寝かせようという段になって、娘は喉の奥をヒュウヒュウいわせ、やがて激しく咳き込むようになった。家のなかではどうにも眠りにつくことができず、クルマに乗せて夜の闇のなかを走った。ひとたび母の家を出ると、娘の咳は静まって、やがて八割がた収まる。ようやく寝入った娘を家に運び込んで布団に寝かせたが、ひと晩じゅう咳をして、眠りは浅かった。
母は、困ったような、ちょっとふてくされたような顔で
「喘息なんじゃないの?」
と何度も言った。
「だから、猫アレルギーなんだってば」
私が答えると、
「あ、そうか」
と、わかったような口ぶりだったが、実はどこか納得いかないようなのだった。母自身も毎年春先には花粉症というアレルギーに悩まされており、その理不尽さや辛さはよく知っているはずなのに。
母の家には四泊する予定だった。残りの三泊をどうしようかと、夫と私は思案に暮れた。娘のことだけを考えたら、どこかに宿を取るのが最善の策だ。が、一年ぶりにようやく会えた孫を家に泊めてやれない私の母のことを考えると心が痛む。それに、三泊の宿泊代も、ばかにならない出費だ。
「お義母さん、蚊帳、ありませんかねえ?」
不意に、夫が母に訊いた。
「蚊帳? 昔はあったけど……。どうしてまた?」
「いや、娘と僕が一緒に外に寝ようかと思って」
母の寝室から庭に出るところに、三畳ぐらいの広さのデッキというか物干し場がある。屋根もあって、いちおう胸くらいの高さの柵もついているから、まったくの屋外という感じではない。そのスペースに布団を敷いて、蚊帳を吊って寝てはどうか、という提案だ。
「外で寝れば涼しいし、猫の影響はないだろうし、キャンプみたいで楽しいかな、と」
そういうわけで、私たちは蚊帳を買い求めることにした。
電話帳でホームセンターを探し、手当たり次第に電話を掛けた。
「あの、そちらに蚊帳は置いてますか?」
「は? カヤ?」
電話に出た案内係は、たいてい一瞬沈黙し、「カヤって、あのカヤ?」と考えているふうだった。
ちょっとまえ、日本では湯たんぽがブームだったと聞いたし、それにいまどきは七輪なんかも手軽に買えるらしいから、同じくらいにレトロな蚊帳を手に入れるのはそう難しくないのではないか、とたかをくくっていた。
が、いざ探してみると、なかなか見つからない。
しらみつぶしに当たって、ここもきっとダメだろうなとなかば諦めながら電話した最後の一軒に、「ひとつだけ残っている」と言われたときにはうれしかった。しかも、元値が一万二千円のところ、シーズン終わりだから一万一千円に値下げしたばかり、と。
私たちは、そのホームセンターに急行した。
取り置いてもらっていた蚊帳を見て、母も夫も私も、思わず
「懐かしい!」
と唸った。
水色のナイロン製。大学ノートくらいに畳まれたのが透明ビニール袋に入っていて、白いツルツルの紙に朱色の毛筆書きみたいな字で生真面目に「蚊帳」とだけ。いまどきの商品につきものの、バカ丁寧すぎるほどの説明書きを嘲笑うかのような潔さである。
母の家に戻って物干し場に布団を敷き、買ってきたばかりの蚊帳を吊った。
私自身は、子供のころ日常的に蚊帳を使っていたという記憶はない。けれど、実際に蚊帳を目の前にすると、口をついて出るのは、「懐かしい」という言葉だ。手触りや、上部についている紐の感じ、それに「素早くしないと蚊が入っちゃうよ」と言いながら慌てて出入りする感覚が、記憶の奥底のほうにある。私が覚えていないだけで、蚊帳を使って寝ていた時期があったのかもしれない。母に訊いても、「どうだったかしらねえ」と言うばかり。母はむしろ、蚊帳を日常的に使っていた自分の子供のころを懐かしんでいるように見えた。
大人たちの興奮が伝染したみたいに喜んで蚊帳の中に寝転がった娘は、しかしながらやはり激しく咳き込んで眠れなかった。外に寝るというのは素晴らしいアイデアのように思われたが、よく考えてみれば、寝具もいけなかったのだ。母の猫は、普段、客用の布団がしまってある押入れのなかに丸くなって寝たりしている。布団の綿の奥の奥にまで、アレルギーの人が反応してしまうような「猫物質」がしみこんでいたらしかった。
結局、その晩、私たち親子三人は蚊帳を諦め、母の家から三十分ほどのところにあるホテルに移った。夜の九時も回ったころにバタバタと慌てて荷造りする私たちを、母は恨めしそうに見ていた。年を取ってなにかと傷つきやすくなっている母に、
「お母さんのせいじゃないからね」
と声を掛けてみたが、
「うん」
というその顔は、もちろん冴えない。母とケンカでもして家を飛び出すほうが、ずっと楽だっただろう。
翌日、母の家に行って、母と夫と私、三人がかりで蚊帳を畳んだ。前日の、蚊帳を広げたときの興奮はすっかりどこかに消えていた。
「ま、仕方ない。もう少し大きくなったらアレルギーもよくなるかもしれないしね」
と母は言った。
血液検査をした医者から、「成長するにしたがって悪化するかも」と言われたとは、とても言い出せなかった。
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