アメリカのおいしい生活
11月
16日月曜日

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  #153 国際人を育てるには
 
 

 遅ればせながら、「国家の品格」という本を読んだ。だいぶまえに日本で流行り、その後しばらく「品格」という言葉があちこちで使われるきっかけになった本だ。娘が通っている日本人学校の図書コーナーから夫が借りてきたのを、私も読んでみたのだ。
 数学者である藤原正彦という人はこの本のなかで、論理ばかりが幅を利かせるアメリカ的な世界に疑問を抱き、論理よりも情緒が大切なのだと説く。
 アメリカに暮らしたこともあるという筆者の説には説得力があり、頷きながら読むところが多かった。なかでも大きく頷いたのは、国際的に通用する人間を育てようと思うなら、英語ではなくて、「まず徹底的に国語を固めなければダメ」という箇所だ。
 いまや日本では九割以上の小学校で英語が教えられているそうだが、それは

「日本を滅ぼす最も確実な方法」

であり、そんなことをしたら「日本から国際人がいなくなる」と筆者は嘆く。
「日本を滅ぼす」などという表現はちょっと大げさに過ぎるけれど、しかし「まずは国語」とはその通りだと思う。
 アメリカに住んで十六年、日々英語と接していてつくづく思うのは、言語は道具でしかない、ということだ。よく言われるように、大事なのは、道具のよしあしではなく、その道具でなにを表現するのか、ということ。
 初めてそれを感じたのは、アメリカに住み始めて間もないころ。当時通っていたコミュニティカレッジの駐車場で、身に覚えのない駐車違反のチケットを切られたときだ。しかるべき部署に行って、身の潔白を訴えたのである。
 たどたどしい英語ではあったが、一生懸命、身に覚えがないことを説明した。そしてこのとき、
「言いたいことがあるときがいちばん英語がしゃべれる」
 と気づいた。裏を返せば、英語をしゃべれるようになりたいなら、表現したいことを自分のなかに持たないといけないということだ。
 日本で会社員をしていたころ、英会話のクラスを取っていたが、あまり上達しなかった。テキストブックを見ながら、
「郵便局はどこですか?」
「一つ目の角を右に曲がって二ブロック行き……」
 などとやっていたわけだが、思えばそんなのいくらやっても身につくはずがない。テキストのなかの地図にはなんの思い入れもないし、ましてやその郵便局に行きたいわけでもない。本当に言いたいことを言おうとしているのではないから、頭のなかから「一つ目の角」とか「右に曲がる」という表現を取り出すことに一生懸命になるだけで、その作業が終わるとその表現はまたもとのところにしまわれることになる。
 だから、英語を話せるようになるには、まず話したい内容を自分のなかに持っていないといけない。
 アメリカ人に日々接していて、自分に問われているな、と思うのは、英語力よりも「私は面白いかどうか」ということだ。面白いといっても、コメディアンみたいに周りを笑わせるようなfunnyという意味での面白いということではない。話題が豊富で、会話をしていて楽しいかどうか、つまりinterestingという意味で面白いかどうかを常に問われている、と思うのだ。
 そういう意味で面白くあるためには、知識がなければいけないし、経験も必要だ。いろいろなことを深く考え、それを筋道たてて人に伝える術も身につけていないといけない。
 これは英語に限らず、人と人とのコミュニケーションにおける基本中の基本なのだが、こと英会話ということになると、そこはすっ飛ばして「とにかく話せるように」となってしまいがち。
 藤原正彦は、小さい子供に英語という「表現の手段」を教えるよりも、「表現する内容を整える」ことのほうがずっと重要だ、と言っている。まずは国語を固める、つまり日本語で考える能力をきちんとつけるのが先決だ、と。
 彼は、英語はたどたどしくてもいい、なまりがあってもいい、とも言っている。私もその通りだと思う。発音の仕方は知っていなければいけないけれど、アメリカ人みたいに話そうとする必要はまるでない。むしろ、発音がネイティブみたいなのに内容がお粗末、というほうが恥ずかしいだろう。
 ずいぶんまえに、村上春樹の事務所で働いている、という若い女の子と話す機会があったことを思い出した。彼女は幼い頃にアメリカで過ごした期間が長く、いわゆるバイリンガルだった。村上春樹が海外のメディアと話をする場面に居合わせることもあったらしい彼女は、
「村上さんの英語はもちろんなまりもあるし、ゆっくりだけれど、伝えたいことをきっちり伝えるし、内容に重みがある。私もああいう風に英語をしゃべれるようになりたい」
 と言っていた。ネイティブみたいに英語を話すバイリンガルが、である。
 小さいころに国語を固めるにはどうしたらいいかといえば、藤原正彦が言うように、

とにかく「本を読む」

ということに尽きるだろう。
 本を読むというのは地道な作業だし、子供を本好きにする、というのは今日思い立って明日できる、ということではない。英語の発音を教えたほうがよっぽど目に見えて進歩がわかるから、どうしてもそちらの方向に行きたくなる気持ちはわからなくもない。が、海外の人と対等に渡り合えるような国際人を育てるには、小さいころから日本語で本をたくさん読ませるのが、遠回りのように見えて、早道なのだ。英語を習うのは、表現したい内容がたくさん蓄積されてからでも、ちっとも遅くはない。
 というわけで、「国家の品格」を遅ればせで読んで、やっぱり本は大切だななどと考えていた折、日本の小学生が図書館で借りた本の数が三十五・九冊と過去最高だった、というニュースに触れて、うれしくなった。十日に一冊、読んでいる計算だそうだ。意外に多い。
 これは、図書館に利用登録している小学生の一人当たりの平均。どのくらいの割合の子供が図書館に登録しているのか、その数は増えているのか減っているのかというあたりも気になるところだが、それにしてもいちおう明るいニュースである。
 子供を本好きにするには、まずは親が本を読んでいる姿を見せること、とはよく言われることだ。
 ちょうど季節は秋だし、私も、本を読もう。
(ちなみに、次に控えているのは「バカの壁」。こちらもちょっと遅ればせである。早く今の日本に追いつかねば。)

 
 
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