アメリカのおいしい生活
11月
30日月曜日

Back Number

About the Author

Mail to the Author

 

 

 

  #154 足にハチミツ
 
 

 来月十八歳になる我が家の猫が、ある日突然、エサを口にしなくなった。とにかく食いしん坊な猫だから、食欲がないということは相当具合が悪いということだ。水もろくすっぽ飲まず、一日じゅう寝てばかり。寝ぐせがついてボサボサの毛にはツヤがない。たまに起きてよたよたと弱々しい足どりでトイレに行くが、食べたり飲んだりしていないので、ほとんどなにも出ない。
 ついに来たか、と覚悟を決めた。二十歳まではがんばってほしいと思っていたのだが。
 寂しい気持ちで猫を見守っていたところ、三日ほど経って少しずつエサを食べ始めた。足どりも徐々にしっかりしてきた。五日めを過ぎたころにはほぼ完全に復活した。
 なんだかわからないけどよかったよ……と胸をなでおろしていたところ、ラジオで聞いて思わず膝を打った。

「猫も豚インフルにかかる」

 と。
 そういえば私が数週間まえにインフルエンザで寝込んだときも、まさに猫と似たような状態だった。食欲ゼロで、歩くのがやっと。復活するまでに五日かかったのも同じ。
 娘からうつされたインフルを、私は猫にうつしてしまったのだった。周りにだれもいないからとあまり注意を払わずに咳やくしゃみをしたときに、足元に猫がいたのだろうか。悪いことをした。
 今思えばさらにかわいそうだったのは、猫がもっとも具合が悪かったときに、水を体内に注入してしまったことだ。
 いや、水といってもただの水ではない。乳糖加リンゲル溶液という透明の液体である。ウチの猫の腎臓はきちんと機能していないので、この液体をときどき百ccほど背中から注入して、毒素を排出する手助けをしてやらなければならない。猫の具合が悪かったときにはインフルなどとは思いも寄らなかったから、てっきりまた腎臓がいけないのだと思って、この液体を注入してやったのだ。が、考えてみればあのとき猫は熱で寒気がしていただろうから、冷たい液体を入れられて、相当辛かったに違いない。
 
 我が家の病気自慢というわけではないのだけれど、先日、低温やけどをしてしまった。
 これも、もとはといえばインフルエンザに端を発している。インフルで具合が悪かったときに、とにかく足が冷たくて眠れなかった。
「湯たんぽがあればなあ」
 熱でぼうっとした頭で、よくなったら湯たんぽを買おう、とぐるぐる考えた。
 日本にいるだれかに送ってもらわないとダメだろうかと思っていたところ、yutanpoで検索したらロサンジェルスにある日系スーパーのオンラインショップに発見した。
 カバーも合わせ、送料も含めて四十五ドルほど。
 箱を開けたら、昔ながらの湯たんぽが出てきた。銀色のトタン製。蛇腹。思わず「懐かし〜」と声が出た。
 湯たんぽ、子どものころによく使っていたのだ。もちろん、トタン製である。カバーは母の手作りで、表地が薄いピンクに子犬の模様のフランネル、裏地は古タオルだった。四歳上の姉は電気毛布を愛用していたが、私は湯たんぽのほうが好きだった。
 冬の夕方、母が灯油ストーブをつけるや、
「湯たんぽ載せといてよ」
 と言う。私は自分のベッドから冷えた湯たんぽを出してきて、ストーブの上に載せる。
「フタ、取ったでしょうね」
 必ず母は訊くのだった。
 冷静に考えると、灯油ストーブの上に湯たんぽ、という光景はすごい。私たち姉妹が何歳のころからそんなことをしていたのかはっきりとは覚えていないが、私が小学校中学年くらいのころには、そんなふうにして湯たんぽをストーブで温める習慣があったと思う。まったくの小さな子供というわけではないが、まだまだ油断は禁物という年ごろだろう。姉とストーブの周りでふざけたりしなかったのだろうか。時には、ストーブの上には湯たんぽだけでなく、やかんとかその日の夕飯のおかずの煮物なども一緒に載っており、微妙な均衡を保っていた。よくだれもやけどしなかったものだ。
 思い出話はさておき、ロサンジェルスから届いた湯たんぽを、さっそく使ってみたのである。ウチには灯油ストーブはないので、ヤカンで沸かした湯を入れた。
 ベッドに入って、足先が湯たんぽで温まった布団に達するや、「おおー、これこれ」と、またしても思わず声が出た。じんわりとした温かさには、押し付けがましい感じがひとつもない。ぬいぐるみのように起毛されたカバーの素材は化繊だから、足先に当たる感触が昔に私が使っていたフランネルのそれとは少し違うが、カバーを通して伝わってくる温かさや蛇腹のでこぼこは懐かしい。
 冷え性の私は子供のころからいつも足の先が冷たくて、そこが温まるまで眠れないのだが、湯たんぽを使うと、寝付くまでの時間が格段に短くなるのだ。
 もっと早く買えばよかったよ……そう思いながら調子に乗って愛用していたところ、入手から一カ月ほど経ったころに、低温やけどをしてしまった。
 朝起きたら、左足首のぐりぐりした骨のすぐ上のところの皮膚が、約五センチ四方に渡り赤く盛り上がっていたのだ。
 一箇所、皮膚が少し破けていた。その上下にも、破けそうな気配のところが二箇所あったので、合計三箇所にバンドエイドを貼っておいた。この時点では、痛みはあまりなかった。
 翌日、シャワーを浴びる前にバンドエイドをはがそうとして、前日の自分の愚かさに気がついた。低温やけどを甘く見ていた、と言ってもよかろう。
 赤くなっていた箇所の皮膚は、いわば

茹でたジャガイモの皮

のようだったのだ。ちょっとの刺激でも、ずるっと剥ける。バンドエイドの粘着テープをはがそうとしたら、テープと一緒に皮膚がついてきた。
 放っておけばそのうちよくなるさ、とガーゼだけ当てておいたら、よくなるどころか悪化していくようだった。五センチ四方の赤みはやや黒っぽくなり、皮が破れた傷はジクジクと膿んでいる。患部から下がむくんで、紐靴以外の靴が履けない。
 最初はちっとも痛みを感じなかったのに、日を追うごとに痛みが増した。やけど特有のジンジンした痛みが赤み部分全面にあり、傷部分にはときおり皮膚の奥というか肉の深部に向けて鋭い痛みが走る。横方向と縦方向、ダブルである。しかもその痛さときたら、いつまで経っても生傷みたいなのだ。低温やけどか、などと小バカにしていたが、長い時間かけてじっくり焼けて、相当深いところまでダメージを受けたらしい。
 こんなになっても気づかず眠っていられるものだろうか、と我ながら不思議でならない。 
 友人たちは、
「気がつかないうちにやけどしちゃうから低温やけどは怖い、って言うんじゃない」
 と慰めようとしてくれるのだが、どうもなんというのか、自分の動物としての防衛本能みたいなものが弱っているような気がしてショックなのだ。
 それに、寝返りも打たずに長いこと同じ格好で寝ていたというのも、情けない。最近、この低温やけどした日に限らず、寝入ったときとほぼ同じ格好で朝目覚めることがあり、自分で「よっぽど疲れていて、ぐっすり眠ったんだな」などと言い訳してみるのだけれど、心の隅では、「私、もしかして年取ってきて、寝てるときでさえ動きが不活発になっている?」と不安になっているのだ。子供のころ、毎晩のように湯たんぽして寝ていたが、低温やけどなどなったことがなかったし、五歳の娘などは、一晩中もぞもぞ動きながら活発に寝ているし。
 かかりつけの自然療法医師のところに駆け込んだ。
「私の足、腐ってきてませんか?」
 私よりひとつ年上の日本人女性ドクターは、くすっと笑いながら、
「大丈夫ですよ」
 と言ってくれた。そして、
「やけどにはハチミツが効くんです。傷からの膿みも吸い取る効果がありますし」
 そう言いながら、自宅から持ってきたというハチミツを私のやけどの上にたっぷりと塗ってくれた。
 長い時間かかってなる低温やけどは、治るにも長期間かかるらしい。傷がよくなったらハチミツからアロエ軟膏に移るそうだが、それまでにはまだずいぶん時間がかかりそうだ。

 
 
Copyright 2009 by Yoko Oishi, Boiled Eggs Ltd. All rights reserved.