アメリカのおいしい生活
12月
15日火曜日

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  #155 ポケット英単語帳 6
 
 

CliffsNotes(名)アンチョコ
 なにが困るといって、人から本を勧められることほど困ることはない。いま、人から借りてしまった本が二冊、「面白いから」と勧められてしまった本が二冊あり、向こう一年ぐらい自分の読みたい本を読むことができないのではないかと思っているのだ。
 面白いと思う本があったら、人に勧めたくなる気持ちはわかる。だから、押し付けがましくならないなら、勧めるのはいいと思う。相手が本当に興味を持ったようなら、貸してやるのもいいだろう。ただ、大人のルールとして、勧めたり貸したりしたあとに、
「読んだ?」
 と訊くべきではない、と思うのだ。
 いま読んでいるのは、ある貧しい国に学校を作る男の話。ノンフィクションである。
 友人(その貧しい国出身)の家に行ったときに、コーヒーテーブルの上に置かれていたその本が話題になった。
「すっごいいい本だったよ。妹にも貸したんだけど、やっぱりよかった、って言ってた。読む? 貸してあげる」
「えーっと、私、いま読んでる本があって……(及び腰)」
「いいよ、貸してあげる」
「私、すごく読むの遅いけどいいの?(牽制球)」
「いいよ。私、もう読んじゃったから」
「じゃあ……ありがとう。ほかに読みたいって人が出てきたら、その人を優先していいから、言ってね」
 というわけで、借りることになってしまったのだが、その友人ときたら、数日後のメールで、
「あの本、読んだ? いいでしょ」
 と訊いてきた。
 だから、まだほかに読んでる本があるって言ったじゃん!
 しばらくしてようやくその本に取りかかったのだけれど、うーん、どうなんでしょうか。悪くはないのだが、おそらく自分では選ばない本だ。基本的に美談の本なので、「あまり面白くない」と大声で言えない感じである。まだ五分の一ぐらいまでしか終わっていない。
 もうひとつ借りてしまっている本は別の友人からで、借りた経緯は上記のケースに似たり寄ったり——つまり、私が積極的に借りたがったわけではない。その友人自身はその後なにも言わないのでありがたいのだが、その本を私が借りているということを知っている別の友人複数(その本をすでに読んだ人ばかり)がよってたかって、
「あの本、面白いでしょ? 私は病院の待合室で笑いが止まらなくて大変だったよ」
 などと言う。そんなに面白いのか……という期待が半分、皆に知れちゃった以上読まないわけにはいかないな、という諦めの気持ちが半分。
 その二冊のあとには、近所のオバさんからの「オススメ」の二冊が控えている。どちらも日系アメリカ人の話らしい。もちろん私が日本人だと知ってのオススメなのだが、顔を合わせるたびに「読んだ?」と訊かないでほしい……。
 というわけで、いま私が欲しいものは、CliffsNotesである。名作文学のダイジェスト版。黄色地に黒文字の表紙の薄っぺらいパンフレットのようなもので、大学の本屋にも堂々と置かれている。Cliffという人が作ったのが始まりだそうだ。
 私が読まなければいけない四冊には、残念ながらアンチョコはない。斜め読みでもいちおう読むべきか、それともアマゾンなどでレビューを読んでお茶を濁そうか、思案中である。
 
murder-suicide(名)無理心中
 友人Aの眉毛がとても格好よかったので、どこで手入れしてもらっているのか訊ねた。
「自宅でちょっとしたエステサロンをやってる友だちがいてね、その人にやってもらってるの。糸を使うのよ。今度連れてってあげようか?」
 糸を使って眉毛を整えるというのは、ずいぶんまえにテレビで見たことがあり、それ以来憧れていた。エキゾチックな感じを持ったのを覚えているが、インドが発祥と聞いて納得した。
 Aに連れられていったのは、新興住宅地のなかの一軒。どれも同じような小ぎれいな家々が、両隣の家とかなり迫りあって建てられている。次回から私ひとりで来るなら、家のナンバーをもう一度きちんと聞いておかなければ、と思った。
 ドアを開けたのは、インド系の若い女性。黒々とした髪には細かいウェーブ、浅黒い肌にはノーメーク。小柄ながら肉感的な感じがしたのは、淡いオレンジ色のネグリジェ姿だったせいか。
 Aが慌てて
「今日、九時の約束だった……よね? 具合でも悪いの?」
 と訊くと、
「そう、九時の約束。待ってたよ。ごめんなさいね、こんな格好で。具合は悪くないんだけど、なんだかなにもする気が起きなくて」
 けだるそうに言って、二階の部屋へ私たちを案内した。
 階段を上がってすぐの小さな部屋には、エステサロンにあるような細いベッドと、スチームが出るらしい装置が置かれていた。壁には、インドの女優らしい人のポスター。
 私にベッドに横たわるように言うと、Aと話しながら糸を取り出した。彼女の英語はインド訛りが強すぎて、私にはわかりにくかったが、なにやら映画俳優の話をしているらしいふたりは、まるでティーンエイジャーのようだった。
「眉毛、あまり細くしないでね」
 と言うと、わかってる、という顔つきで頷き、慣れた手つきで白い糸を操って私の眉毛にとりかかった。
「痛くない?」
 ショリ、ショリ、と糸が擦れ合う音がした。糸を鋏のように使って眉毛を切っているのか、それとも挟んで抜いているのか、目をつぶっていたのでよくわからなかったが、いずれにせよ、他のサロンでワックスを使って手入れしてもらうよりもずっと痛みはなかった。
 両方の眉毛をトリムしたあと、手鏡を渡して、
「どう?」
 と言った。
 伸び放題で収拾がつかない、という感じだった私の眉が、きちんと形作られて整然としていた。
「ありがとう」
 私がお礼を言うと、彼女は満足げな表情を見せた。
 料金は、八ドル。その辺のネイルサロンなら十ドルだから、少しお得である。十ドル札を渡し、お釣はいいから、と言うと、彼女はうれしそうにその札を財布にしまった。
「また来てね」
 なにもする気が起きない、という言葉が信じがたいくらいの生き生きとした笑顔で言った。ノーメークの頬のはじけそうな張り、同性でも思わずドキリとするネグリジェの胸元——彼女が全身から発する若さに圧倒されて、私はその家を後にした。
 Aが興奮気味に無理心中のことを私に話したのは、それから一カ月後のことだ。周りにたくさんの人がいて、なにを言っているのか、うまく聞きとれない。
「——だれが死んだって?」
 静かな場所に移動して訊くと、Aは、
「彼女、あなたの眉毛をこのあいだ手入れした彼女——」
 ごく近くで、無理心中事件があったのは知っていた。が、まさかあのネグリジェ姿の彼女が犠牲者だったとは知らなかった。
「ダンナさんが失業中で、うつ病を患ってたんだって。九歳の息子も——」
 夫が、銃で妻と息子を撃って、そのあと自分も死んだのだそうだ。
 私は、エステの装置の上に男の子の写真が置かれていたのを思い出した。そして、彼女の匂い立つような圧倒的な若さに思いを致し、なんともやりきれない気持ちになった。

 
 
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