オリンピック終了。終わると寂しいけれど、この二週間というもの、寝不足の日が続いていたので、このへんで終わってもらったほうが健康のためにはよさそうだ。
今回の冬季五輪が開かれたカナダのバンクーバーという街は、ポートランドの我が家からクルマで六時間ほど北に行ったところにある。同じ時間帯の地域で行われている、いわば地元でのオリンピックだったにもかかわらず、今回も生放送で見られるゲームは少なかった。人気のある競技の放映はすべて八時からのプライムタイムに回されて、結局ハイライトを見られるのは夜十二時近く。理不尽極まりない。
私が住むオレゴン州のすぐ上、シアトルがある
ワシントン州にもバンクーバー
という街がある。人口十六万人ほどのこの小さな街は、紛らわしいことに、カナダのバンクーバーからわずかに二百五十マイルほど南に離れているだけ。
オリンピックが始まる少しまえ、地元紙に「どのくらいの人が間違えてこっちのバンクーバーに来てしまうだろうか」という記事が載っていた。実際、ワシントン州バンクーバーの観光案内事務所やホテルには、オリンピックに関する問い合わせ、宿泊の予約や、「そちらのホテルはオリンピック競技場からどのくらい離れていますか」という電話があったそうだ。
本当にオリンピック開催地と間違えてワシントン州のバンクーバーに来ちゃった人がいたかどうかは知らないが、こっちのバンクーバーの住人たちは、自分たちの街が有名なカナダのバンクーバーに間違われるのには慣れっこなのだそうだ。それで、自嘲気味にこんな文句が書かれたTシャツが売られているという。
Vancouver
not B.C.
Washington
not D.C
Clark County
not Nevada
Near Portland, Or.
not Maine
(バンクーバー――といってもブリティッシュ・コロンビアではなく。ワシントン――とはいってもワシントンDCではなく。クラーク郡――でもネバダ州のクラーク郡ではなく。ポートランドに近いけど――でもメイン州のポートランドではない)
オリンピック開催中、ずいぶんたくさんの人に
「見てる?」
と訊いてみたのだが、興奮気味に
「見てる!」
と答えたアメリカ人は少なかった。
家にテレビがない、という人がけっこういた。いや、正確には、テレビはあるけどケーブルテレビの契約をしていないのでもっぱらDVDを見るのに使っているだけ、とのこと。不景気だからケーブル代を節約……というよりは、ライフスタイルとしての選択という感じである。
テレビがある人も、「録画したのをざーっと流し見るだけ」とか「いつ見てもコマーシャルばっかりだからあまり見てない」とかいう人ばかりで、私たち夫婦のように二週間の開催期間、連日十二時近くまでテレビに張り付いていたというような人たちにはついぞお目にかからなかった。アメリカのどこかに熱狂的なオリンピックファンばかりが住まう村が存在することを祈る。そうでなければ、こんなに無関心な国がメダル獲得数ナンバーワンというのはあまりにも皮肉すぎるから。
今回、私がいちばん燃えた晩は、やはりフィギュア女子フリーの晩であろう。日本の新聞やネットのニュースで写真だけは見たことがあったが、実際に浅田真央と安藤美姫が滑っているのを見たのは初めて。安藤は、荒削りだけど元気でダイナミックというタイプなのかと勝手に思っていたのだったが、表情が固く、演技もコンサバな感じなのが意外だった。
浅田とキムの対決は――やはり素人目にもキムの圧勝であった。年も同じだし、見た感じもあまり変わらないのに(日系アメリカ人選手のナガスも見た目が似ていた)、なんというのか、
存在感がまるで違う
ように思われた。
キムは衣装の趣味が抜群に洗練されていたし、演技が始まった直後にふっと見せる、
「アナタの秘密知ってるんだから」
とでも言いたげな妖しい目つきが、なんともいえない色香を放っていた。技術的にも完璧な滑りだったらしいけれど、私は密かに、ジャッジたちはあの目つきにヤラレちゃったのだ、と思っている。
いっぽう、浅田のほうは、よくいえば清楚といえなくもないが、なんというのか、いたいけな少女が一生懸命がんばっている、というふうに見えた。日本の友人のなかには「浅田には凄みが出た」とメールに書いてきた人もいたから、長いあいだ彼女のことを見てきた人にとっては、彼女はずいぶん大人びて見えたのだろう。が、初めて浅田の滑りを見た私には、彼女のいたいけさというか、幼い感じが気になった。
想像もつかないほどの努力と苦労を重ねてきた世界一流のアスリートに対して「幼い」とは、失礼かもしれない。が、キムに比べると衣装もいまひとつ垢抜けなかったし(ショートプログラムとフリーの衣装の色が似ていて、一瞬、同じ衣装を着てきたのかとビックリした)、自分のことで精一杯という感じで、見る者の心をわしづかみにする「何か」がなかったように思われた。今回の勝負の分かれ目は、ジャンプを失敗したかどうかではなく、その「何か」の有無であった。
「幼い」といえば、男子フィギュアの織田にも同じことを感じた。チャップリンをテーマしたという衣装は、小柄で童顔な彼が着ると、どう見ても七五三のようであった。アメリカのコメンテーターも、「ジュニアの大会みたい」と言っていた。
日本人はもう少し、「世界に出たときに自分たちがどう映るか」というのを真剣に考えた方がいいのではないか、という気がした。小柄だから幼く見えがちなのは避けられないのだが、日本を一歩出ると、大人の「かわいい」は通用しにくいのだ。せめて、それを逆手にとって少し小悪魔ふうに仕立てるとか(ショートプログラムのキムはこの路線だったと思う)、あるいは女子なら清楚さをいっそ全面に押し出すとか。男子なら……うーん、むずかしいが、サムライふうの一途な感じを演出してみることはできないだろうか? チョンマゲとかキモノとか、そんな単純なはなしではないから難しいとは思うが。とにかく、イメージ戦略をもう少し立て直したほうがいい。
もちろん、選手たちにとってはオリンピック以外の試合がごまんとあって、手を変え品を変え、いろいろな表現方法を見せなければいけない、というのはわかる。しかし、あのチャップリンをわざわざオリンピックにというのは……どうなのだろうか。いまだにわからない。浅田も、もしもこの先もコンペティションを続けるなら、技術だけではなく、どうやって人の懐に入り込むかについて、じっくり研究すべきではないかと思った。
アメリカのメディアでも女子のフィギュアは人気で、大きく取り上げられていた。が、試合翌日、オリンピックを独占放映しているNBCのプライムタイムの放送で、銅メダルのカナダ人選手ロシェットだけがスタジオに呼ばれてインタビューを受けていたのにはガッカリさせられた。試合直前に突然母親を亡くしたにもかかわらず気丈に戦ってメダルを獲得した、というストーリーが、アメリカ人視聴者に受けると判断したのだろう。
もちろん、彼女が今回経験したことは悲劇的で、そんな状況のもとに三位に入賞するというのは偉業だと思う。が、やはりここで話を聞くべきは、キムであり、ライバルの浅田だったであろう。インタビューを申し込んだけど断られてしまったのか? それとも、通訳を介してのインタビューは時間がかかるし、アメリカ人視聴者に受けないと判断したのか?(世界的アスリートならある程度英語ができるはずだが)
……などとブツブツ言っているあいだに、バンクーバーオリンピックは閉幕した。次は二〇一二年のロンドンオリンピックか。待ちきれないような、二年間のインターバルに少しホッとしているような。とりあえず、寝不足の日々とはこれでおさらばだ。
■ |