オレゴン通信
オレゴン通信

大石洋子 2011年9月20日

#189 私の九月

 九月某日
 
 明け方、枕もとの電話が鳴った。午前四時過ぎ。こんな時間にかかってくる電話は、きっと何かよくない知らせだ、と胸のあたりがざわざわした。
 ばね仕掛けみたいに飛び起きて慌てて受話器を取り、
「ハロー」
 起き抜けだとすぐにわかるほどのかすれ声だが、そんなことを気にしている場合ではない。
 一瞬の間。
 国際電話には、こういう間がある。やっぱり日本からだ、と思って緊張した。母になにかあったんだろうか。それとも、愛媛にいる義父?
「ハロー?」
 もう一度言うと、
「あなたのクレジットカードの金利を下げる最後のチャンスです」
 という機械的な女の声が聞こえた。録音されたメッセージ――クレジットカード会社からの、テレマーケティングコールだ。
 昼間、普通に活動しているときだって、かかってきた電話が録音メッセージだと、「失礼な」と頭にくるものだが、それが午前四時過ぎとなると、それはもう。
「今すぐオペレーターと話したい場合は、1を押してください」
 機械的な声が続けるので、文句のひとつも言ってやらねばと思い、すかさず1を押した。
 オペレーターが出てくるのを鼻息荒く待ったが、その後何の声も聞こえず、やがて電話は勝手に切れた。ぐぐぐ。
 時差で三時間先をいく東海岸は、七時過ぎというタイミング。テレマーケティングの電話がかけられていても不思議ではない時間だ。東海岸の家々にだけかけるつもりで、何かの間違いで西海岸の我が家にも電話がかかってしまったのかなあと想像するが、それにしても、大迷惑。
 怒りの持って行き場がなくて、それから一時間ほど眠りに戻れなかった。そして、戻ったと思ったらすぐに目覚まし時計が鳴って、もう起きなければいけない時間だった。睡眠不足で、その日一日じゅう、ずっと不機嫌だった。
 
 九月某日
 
 友人のサシャとふたり、ダウンタウンのギリシャ料理レストランでディナー。
「で、今年のクラス分けについてはどう思った?」
 娘たちが、同じ学校で同じ学年だ。九月に新学年がスタートしたばかりなので、新しいクラスのことが、ただ今ホットな話題である。
 新年度には当然クラス替えが行われるのだが、今年は、実は一年生のクラスが二年生にそのまま繰り上がっただけだったのである。二つのクラスのメンバーはそのまま変わらず、新入りの生徒三人がそれぞれのクラスに加わっただけ。この小学校では、異例のことである。
「八月に新しいクラス分けリストがメールで送られてきたとき、間違いかと思ったよ」
 私が言うと、
「そうそう。私なんか、リストを送ってきた事務の人に『間違えてるよ』って返信しちゃったわよ」
 サシャも頷きながら、そう言った。
 クラス替えがなかったうえに、二つのうちひとつのクラスは、担任の先生さえも変わらなかったことが、親たちにちょっとした動揺を与えた。
 娘たちが通う小学校では、昨年度末をもって複数の先生が引退したり退職したりすることになっていた。それを受けて、新二年生の二クラスのうち、ひとつは一年生から二年生に持ち上がるジャックが受け持ち、もうひとつのクラスについては、新たに先生が雇われる、ということが早くから公表された。それを耳にした親たち(この時点では、クラス替えがあると思っている)はみんな涼しい顔で、「どちらの先生になってもいいわ」などと言っていたが、内心は、「我が子はジャックのクラスになるといいな」と思っていたのだ。
 ジャックは穏やかでありながら一本芯の通った先生で子供たちからも親たちからも人気だったし、一方、新任の先生は未知数。仮にいい先生だったとしても、子供が慣れるまでには時間を要するし、それに先生自身も、新しい学校に慣れて本式にエンジンがかかるまでには少し時間がかかるだろう。要するに、すでに慣れているジャックのほうが「得」という計算だ。
 フタを開けてみたら、クラス分けは変わらず、そしてジャックが去年と同じクラスを受け持つというのである。新学期は新しいクラスに新しい先生というのが通例のこの学校のことだから、クラスの中身も先生も変わらないというのは異例中の異例。
「ジャックのクラスになりたいって言ってたウチの娘はちょっとガッカリしたみたい。今までの傾向からすると、ジャックが今まで受け持ってなかったクラスのほうの担任になるほうが自然なのにね」
 私がこう言うと、サシャは、周りに学校関係者がいるわけでもないのに声をひそめ、
「聞いたところによると、『自分の子をジャックのクラスに入れてくれ』って要望が多く寄せられて困った学校側が、それならいっそクラス替えしなければだれも文句は言えまい、って異例の措置に出たらしいよ」
 と答えた。
「へ? 要望……?」
「そう。要望」
 学校のクラス替えに、個人的に要望を出す親がそんなにいるのか、と驚いた。
「で、あなたもそういう要望出したの?」
 サシャに訊ねると、まさか、という顔をした。
 それからしばらく、「要望出すなんて、信じられないよねえ」というような話をした。
 が、私がふと、
「そういえばエリザベスのお母さんが、エリザベスを私の娘と同じクラスにしてください、って頼んどいた、って言ってたなあ」
 と言うと、サシャは、
「あ、そういうのなら私も言ったことある。一年生の最初の時に、私の娘とアナベルをあまり近づけないでくれ、って。アナベルって子は、どうにも虫が好かんのよ。いや、先生には、もうちょっと違う言い方をしたけどね」
 なんだ、クラス分けにではないにせよ、サシャも要望を出しているではないか。
「で、その要望は聞き入れられたの?」
「うん。一年間、同じ班に入ったりすることはなかったわね」
 先生や学校での子供の人間関係について要望を出す親がけっこういるらしいということに、私はビックリした。近ごろ、日本ではモンスターペアレントと呼ばれる親が出現しているらしいが、アメリカの親たちもそうなのか? いや、言ったもん勝ちのアメリカ社会、もしかしたら、学校に対してもみんな言いたい放題なのかも……。
 
 九月某日
 
 トイレットペーパーがなくなったので、慌てて朝一番でスーパーマーケットに買いに走った。トイレットペーパーを買うときにはいつも思うが、いろいろな長さのロールがいろいろな個数入りで売られているので、ブランドごとに値段の比較(1フィート当たりいくら、みたいな同じ単位での比較)をしようにも、簡単にできないように工夫されている気がする。
 それはともかく、レジでお金を払う段になったら、商品棚には15ドル99セントと表示してあった30ロール入りペーパーが、22ドル99セントだと言われた。とりあえずその場はお金を払い、カスタマーサービスに行って事情を説明した。
 係の人はしばらくの間コンピューターをカチャカチャやり、「はい」と言って、私にお金を差し出した。
 受け取ろうと思って手を出したら、なんだかお金が多い。差額の7ドルだけもらえるものと思っていたら、22ドル99セント渡そうとしているのである。
「あの、お金が多いんですが……」
 私が言うと、
「ああ、値段のつけ間違いを発見すると、その商品はタダになるんですよ。店のポリシーです」
 きゃー、ラッキー!
 別れ際、ほとんど習慣として「いい一日をお過ごしください」と言ったそのカスタマーサービスの人に、思わず、
「すでにいい日よ!」
 と上機嫌で言ったぐらいに浮かれていた私であったが、家に帰ったら、冷凍庫が壊れていることに気づいた。修理の人を呼んだら、どうやら前日に冷凍庫のドアをきちんと閉めずにいただけだったことが判明。75ドルのくだらぬ出費となった。
 その翌日。
 歯医者に行って、半年に一度のクリーニングを受けた。もう終わり、という段になって、医者が、
「ああそうだ、例のアンケートを忘れていました」
 と言い出した。ある大学病院が行っている調査だ。奥歯の大きな虫歯を治療後、残った歯にひびが入っている人、というのが対象の調査で、もうかれこれ二年ぐらい、クリーニングを受けるたびにアンケートに答えている。
 今回も、十五分間ほど質問に答えたところ、
「この調査は今日が最後です。ご協力ありがとうございました」
 と言って、25ドルの商品券をくれた。
 きゃー、ラッキー!
 思いがけなかったのでスキップせんばかりにクルマに乗り込んだら、エンジンがかからない。というか、かかったエンジンが、すぐにすとん、と止まってしまう。アクセルを踏んでふかし、そのままだましだまし修理に持ち込んだら、なにやらセンサーがいかれているとのこと。保障期間内なので修理の全額は負担しなくていいが、自責額というのか、50ドル払ってください、と言われた。ぎゃふん。
 金は天下の回りもの、とはよくいうが、どうも私の場合、手元に回ってきても、すぐにそれ以上に出ていってしまうのが悲しいのであった。

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