アメリカのおいしい生活
11月
10日月曜日

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  #19  マニフェストとハロウィン
 
 

 ユビキタスってなんだっけ?
 日本の新聞で最近目にするようになったけれど、いまひとつ自分のなかに定着していない言葉がひょこっと浮かんできて、ここしばらく、なんだろうと考え続けていた。
 ユビキタス――湯引いたレタスのイメージが浮かぶが、もちろん、そんなダジャレでないことはわかっている。知っているのに思い出せないという言葉ではないから、いくら考えてみたところで埒が明かない。ネットで調べたら、コンピューターがらみの用語として、「空気のように当たり前にコンピューターのある社会――ユビキタス社会」とあった。いつでもどこでも、ってことか。ついでに、英語なのかなあ、と英和辞典を引いたところ「ubiquitous−いたるところにある、遍在する」と書いてあった。ふーむ。勉強になりました。
 最近の日本の新聞でもうひとつよく目にする新しい言葉は、「マニフェスト」。こちらはユビキタスよりも出てくる頻度が多いので、「政権公約」として使われているということは私も知っている。正確にいえば、頻度が多いから知っているのではなくて、新聞に必ず「マニフェスト(政権公約)」と書かれているから知っているのだ。
 カッコつきで訳をつけなければいけないのなら、いっそそのまま公約って書けばいいのに。マニフェストなんていうから新しいもののように見えるけれど、公約なら今までだってあったじゃないか(――ありましたよね?)。中身を変えずにパッケージだけ新しくして売り出した商品のようで、なんだかまやかしのような気がしてしまう。茨城の私の両親とか愛媛にいる夫の父は、なんのことだかわかってるだろうか。好き嫌いはともかく、ブッシュの演説など聞いていると、いろんな年齢、階層、学歴の人に向けてなるべく平易な言葉を選んでいるなあという気がするので、この突飛な外国語を使う日本の政治家たちはやや異様に映る。
 少しまえに、日本の衆院選挙についての記事がニューヨークタイムズに載っていた。マニフェストのことをポリシーやアイデアと説明したうえで、「この高尚に響く外国語の言葉が、今回の日本の選挙の

buzzword

である」と書かれていた。buzzwordとは、私の英和辞典によれば、「(しろうとを感心させるような)専門語」。タイムズの記者にちょっと小バカにされている感がなきにしもあらずだが、まあアメリカ人の目から見ると、なんで外国語の言葉なんか使うんだろう、と不思議なのだろう。ちなみに、アメリカではplatform(綱領、政綱)という言葉のほうがよく使われるかな、と友だちが言っていた。
 日本の新聞には、マニフェストはmanifestoなのだから、「フェ」の部分にアクセントを置かなければならないのに、菅直人がときどき「マ」を強めて言うのが気になる、とあった。それでは「明白な」という形容詞のmanifestだ、と。
 どうせカタカナ表記なんだし、どっちだっていいんじゃないか、という気がするのだがどうだろう。そんなことより、「公約」って言ったほうが、よっぽどわかりやすいのに。
 
 十月三十一日は、ハロウィンだった。私たちが一月にオレゴンに引っ越してきてから初めてのハロウィンだ。夜になると、仮装した子供たちが「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃいたずらするぞ)」とお菓子をねだりに来る。子供が何人くらい来るのか見当がつかないのでお菓子をどのくらい用意したらいいのか迷ったが、結局、七時ころから九時すぎまでのあいだに、十一組、計三十九人の子供たちがやって来た。用意したお菓子は、ちょうど半分くらいなくなった。
 ハロウィンは、もともとはアイルランド辺りに住んでいたケルト人のお祭りが起源だそうだ。十一月一日から新年が始まる暦を使っていた彼らは、大晦日の十月三十一日には、亡くなった人々の魂が来年一年間取りつくための人間を探しに戻ってくると信じていた。それで、家じゅうを暗くしたり、鬼の格好をしたりして霊に取りつかれるのを防いだとか。これが、ハロウィンの仮装の始まりだ。
 一方、お菓子をねだる習慣は、十一月二日に行われていたカトリック教徒のAll Souls Dayに端を発しているらしい。この死者の魂を慰める日には、貧しい市民が家々を回り、亡くなった親族に祈りを捧げる代わりにパンを乞うていたという。これが、trick or treat――「祈り」がどうして「いたずら」に変わったのかはわからないが――の由来だと考えられている。
 実はこれはすべて夕焼け新聞という地元の日本語コミュニティーペーパーからの受け売りなのだが、アメリカに住んで十一回目のハロウィンにしてようやくその出どころがわかって、ちょっとスッキリした。
 由来を知ってみると、最近のハロウィンがいかにオリジナルからかけ離れているかがわかる。そもそもがケルト人のお祭りとカトリック教徒のお祭りとのミックスなのだからなにがオリジナルだ、という気もするが、最近のなんでもありの仮装を見ていると、霊に取りつかれるのを防ぐどころか、そんなにかわいらしい格好をしていたら取りつかれちゃうよ、と言いたくなったりする。
 五十歳を少し過ぎたバーバラが言うには、彼女が子供だったころには、シーツを被ってお化けの仮装、もらったお菓子はピローケースに入れる、というのが普通だったそうだ。今どきの子供たちの、ピカチュウあり、お姫様ありのカラフルなコスチュームを見るのは楽しいけれど、本来の意味からすっかり外れてしまって仮装だけが一人歩きしてしまっている。もっとすべてがシンプルで素朴だったころのハロウィンを見てみたいなあ、という気がする。
 ハロウィンの晩のテレビのニュース番組で、興奮した様子でインタビューを受けている大人を見た。その人は小さな子供を持つ母親で、ご多分にもれず仮装した子供をtrick or treatingに行かせたわけだが、最近、彼女の家のあたりに、

子供に性的ないたずら

をして刑務所に入っていた男が移り住んできたと知って動揺していた。彼女は、そういう前科のある人の家にはなにか目印でもしておくべきだ、親には知る権利がある、というようなことを声高に言っていた。
 そんな罪を犯したその男がそもそもいけないけれど、でも、刑を終えて出てきて更正しようというときに「前科者の目印を」などといわれたらくじけるだろうなあ、とか、だれも来てくれなんて頼んでもいないのに、お菓子をねだりに行った先の家に文句をつけるのはどうなのかなあ(だいたいハロウィンは大人同伴が鉄則だし)、などという思いがよぎる。まあ、小さい子を持つ親というのはそのくらいに神経質になるものなのだろう。子供にあげるお菓子に針を入れたりする不届き者がいるから、もらってきたお菓子は親がチェックしてから食べさせるように、とニュース番組が注意を促したりもする。最近のアメリカのハロウィンは、のどかで無邪気なだけのお祭りではない。
 日本でもハロウィンが定着しつつある、と日本の新聞で読んだ。今年は特にホームパーティーを楽しむという傾向にあったそうだ。
 お化けの顔を彫ったオレンジ色のカボチャや黒猫、蜘蛛などのデコレーションはおどろおどろしいながらもかわいらしいし、お菓子のやり取りや思い思いの仮装が楽しいのはわかる。でも、なんで日本でハロウィン? 自分たちの文化に根差していないお祭りは、どんなにがんばってみたところでひと真似に過ぎないのに。かわいくて楽しければそれでいい、ということなのだろうか。
 ハロウィンに関する記事は、「クリスマス、バレンタインに次ぐ大型商戦となりつつある」と締められていた。はーあ。マニフェストなんて外国の言葉が堂々とまかり通るのも無理ないか。

 

 

 
ハロウィン3態
 
 
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Photo: (c) Yoko Oishi
 
Copyright 2003 by Yoko Oishi, Boiled Eggs Ltd. All rights reserved.