アメリカのおいしい生活
2月
17日月曜日

Back Number

About the Author

Mail to the Author

 

 

 

  #2  空からライトが降ってくる
 
 

 アカデミー賞のノミネート作品が発表された。東海岸にいたころには、朝のニュース番組の終わりごろ、九時ちょっと前に生中継で見られたものだが、三時間遅れの西海岸では録画されたものをニュースで見る。今年はどんな作品がノミネートされているんだろうという自分自身の興味にも、発表の瞬間の映像にも、以前と今とではさしたる違いはない。が、ライブではなく録画だということを知ってしまっているので、いまひとつ気分が盛り上がらない。
 皮肉なのは、発表の会場が西海岸であるという点だ。東海岸の朝のニュースにぎりぎり間に合うようにと、ロス・アンジェルスの会場で午前六時まえに発表しているのである。西海岸に住んでいながら、西海岸で行われるイベントをライブで見られないこの不思議(早起きすれば別なのかもしれないが)。思えば一月の大統領の一般教書演説も、東海岸のプライムタイムに合わせて行われていた。東にも西にもなるべく都合のいい時間を、というだけのことなのかもしれないが、どうも西海岸はないがしろにされてるんじゃないか、といじけたくなってくる。まあ、来月のアカデミー賞授賞式は西のプライムタイムに合わせて行われるから、東海岸の人たちはスピーチがだらだら続く式の最後の方は眠い目をこすりこすり見ることになるのだが。
 最優秀賞ノミネート作品の中には、つい先日見た「シカゴ」も入っていた。ベストピクチャーの器かどうかはともかく、この映画では、キャサリン・ゼタ・ジョーンズの色香にすっかり当てられた。ちょっとはれぼったいまぶたが四ラウンド目くらいのボクサーみたいな気がして好みのタイプではないが、全身からにじみ出る色気には、同性の私も恐れ入った。マイケル・ダグラスがコロッと参ったのもうなずける。この映画のプロモーションのためにトークショーに出ていた彼女が、椅子を使ってのダンスで「人にとても言えないようなところに青あざができた」と言っていたのを聞いて、私は思わず、

「ど、どこぉ?」

とエッチなおっさんのようになってしまった。マイケルなら知っているに違いない。
 主演のレネー・ゼルウィガーも、いかにもいい人そうな顔が気に障るので好きな女優ではないのだが、彼女の痩せぶりには目を見張った。「ブリジット・ジョーンズの日記」ではだらしない感じに太っていた(役作りのために体重を増やしたらしい)のに、「シカゴ」ではふたり並ぶとゼタ・ジョーンズが太ってる、と思えるほどのほっそりぶりだ。しかも、ただぎすぎすと痩せているのではなく、腕や背中などいかにも鍛えてる、という感じ。役に合わせて痩せたり太ったり毛を抜いたりのデ・ニーロみたいである。いい人そうなだけなのかと思ったらけっこう根性あるんだなあ、と感心してしまった。

 いい人といえば、前回、ウチのご近所さんがいかにいい人たちであるかを書いた。その後、手作りクッキーをまた別のお宅からいただいて、バスケットやお菓子をくれた家は全部で四軒になった。この話をニュージャージーにいる友だちにしたところ、みんな驚いていた。セアは、そんなオレゴニアンたちのいい人ぶりを「aggressively friendly(攻撃的なまでにフレンドリー)」と呼び、「お返しにこちらもそのくらいフレンドリーな人にならなくちゃいけないってことよね。ヨーコはそうなれるの?」とつっこんできた。
 オレゴニアンたちのいい人ぶりは、ご近所にとどまらないところが不気味である。店員や業者など、その場限りの出会いの人でさえ、まるで友だちのように親しげに話しかけてくるし、さらに驚くべきは、車に乗ったときでさえ、彼らはいい人たちなのだ。ニュージャージーでは車で走り出すとものの五分もしないうちに気の知れないドライバーに出くわしたものだが、オレゴンには、高速道路で右のレーンから追い抜いていくようなバカ者も、ストップサインで止まっているのに後ろからクラクションを鳴らすようなアホもいない。それどころか、みんなが周りのドライバーのことを気遣いながら運転しているように見える。
 だから、四方向すべてに一時停止の標識がある十字路(この交差点に先に差しかかった車が優先、という非常に曖昧なシステム)などもまったく問題なく機能している。交通量の少ない地点なら納得もいくが、ショッピングセンター近くの、四方向すべてが二車線というような十字路にもこのシステムが採用されていたりする。合計八車線の車に混じると、どの車が自分より後から来たのかわからなくなって、「私はいつ行ったらいいんですか」と泣きそうになるが、オレゴニアンたちはときどき譲り合いながら、ひらりひらりと行き交っている。ひとよりちょっとでも先に行きたいわがままドライバーで溢れるニュージャージーでなら、事故多発ポイントになること間違いなしだ。
 というわけで、フレンドリーで運転マナーのいいオレゴニアンに囲まれての暮らしはなかなか快適なのだが、どうもいまひとつ自分のなかで収まりが悪い。飛行機を乗り間違えてどこかよその国に迷い込んだのでは、と思わず疑ってしまうような、あるいは、夢か?と頬っぺたをつねってみたくなるような。なんとなく、「トゥルーマン・ショウ」みたいだなあ、と思うのである。
 ジム・キャリー主演のこの映画は、平凡に暮らしているトゥルーマンが主人公。えくぼがかわいらしい妻は看護婦である。トゥルーマンは毎朝、ご近所さんにお決まりの挨拶をし、車で会社に出かけ、馴染みの店で新聞を買う。晴れた日には庭の芝刈りをし、晩には親友とビールを飲む。平和な街での、平凡な毎日。が、そう思い込んでいるのは当人だけで、彼が住んでいるのは

巨大な撮影セット

の中である。家族も友だちも同僚も道行く人たちでさえも撮影のためのキャストであり、家、車、オフィス、いたるところに隠しカメラが仕込まれている。彼の生活の一部始終は、彼が生まれたときから放映されており、全世界で人気番組になっているのだ。
 そんなことをちっとも知らずに朗らかに暮らすトゥルーマンのすぐそばに、ある日、抜けるような青空からライトが降ってくる。空のように見えるのはもちろんセットで、照明用ライトが何かの間違いで落ちてしまったのだ。それから、トゥルーマンの周りで不思議なことが次々と起こり、彼はやがて自分の住む世界が作り物だということに気づいていく。
 ポートランドの不気味なまでに親切なご近所さんたちや、愛想のいいスーパーの店員、それに行儀よく道を譲り合うドライバーたちを見ていると、もしかして私もトゥルーマンのように巨大な撮影セットの中に暮らしているのではないか、という気がしてくるのである。私に対して愛想よく振る舞っていた人たちは、実は私が通りすぎた後には、「あーあ、やれやれひと仕事終わった」なんて言って、今日の分の出演料をもらうのに列を作っているんじゃなかろうね、と。
 もちろんそんなことは、映画ならいざ知らず現実にはあろうはずもなく、オレゴンの人たちは単に親切で行儀のいい人たちなのだ、と思い始めていたところ、ちょっと不思議なことが起こった。ニュージャージーの友だちに宛てて十枚ほど絵葉書を出したのだが、その半分が戻ってきてしまったのだ。私の筆記体が読みにくかったのかなあ、それとも小さなスペースに宛先の住所とウチの住所がふたつ書いてあって紛らわしかったのかなあ、と思い、活字体に書き直し、おまけに住所の前にToとFromを書き添えた。それでもまた戻ってきたので、今度は宛て先の住所にマーカーでアンダーラインを引き、ニュージャージーを表わすNJの部分と、五桁の郵便番号に二重線を引いた。しかし、そこまでしたのに、また戻ってきてしまった。
 やっぱりここは、外界と繋がってないんだろうか? 心配になってくるのである。照明用ライトが空から降ってきたらどうしよう。

 

 

 
今週の1枚

問題の(?)十字路。
Click for the Big Size
Photo: (c) Yoko Oishi
 
Copyright 2003 by Yoko Oishi, Boiled Eggs Ltd. All rights reserved.