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イヤなことというのは続くもので、包丁で指を切って四針縫ったかと思ったら、その次はインフルエンザにやられた。指の怪我で出血したから、それで抵抗力が弱ってたんだよ――などと熱っぽい頭で分析したところ、夫に「不摂生なだけだ」と叱られた。
夫の不機嫌も、もっともなのであった。私が指を切ってから連日おさんどんをやらされていたうえに、十一月の最後の週末、サンクスギビングの四連休に計画していたカナダ・バンクーバー旅行を、私のインフルエンザのためにキャンセルせざるを得なかったのだから。サンクスギビングの集まりに呼んでくれるようなアメリカ人の友だちもいないし、家でふたりっきりでしんみりしてるのもつまらないからどこか行こうよ、というわけでバンクーバー旅行に向けて盛り上がっていたのに、結局、いちばんつまらない連休の過ごし方になってしまった。
それにしても、まるで狙いすましたかのように、旅行の前日から一気に具合が悪くなったのである。物陰に潜んでいたインフルエンザの菌が、「明日から旅行だな、えい、病気になれ!」と意地悪したみたいだよねえ――と夕食のときに言ったら、「そうじゃなくて、不摂生なんだよ!」とまたしても叱られた。アンチョビのパスタにサラダを作ってくれたのはいいんだけど、熱が出ていて食欲がないときに生野菜はツラいんだよね――言おうかと思ったけれど、やめておいた。
少し前のことなのだが、ある日曜日、我が家にアメリカ人の高校生が三人やってきた。ポートランド日本人商工会主催の
「アメリカ人学生半日ホームステイ」
というイベントの、受け入れ家庭になったのである。日本から毎年たくさんの学生が来てはポートランドのアメリカ人家庭にホームステイさせてもらっているので、そのお返しにポートランドに住む日本人が、地元の高校で日本語を勉強する学生たちを家に呼びましょう、という主旨で毎年行われている催しだ。
事前に高校から、三人の男の子が来る、という連絡が来た。ポラロイドの写真と、名前、年齢、学校、家族構成や趣味、得意科目などが書かれた自己紹介書が添えられていた。たいていはカタカナとひらがなだが、ところどころ、漢字が混ざっている。得意科目は「日本語、すうがく、たいいく」とか、家族の欄には「おにいさん、おねえさん、はは、ちち」。三人とも、緊急時連絡先の項の電話番号を「四二一の六×××」などと横書きなのに漢数字で書いているのも一生懸命な様子が伝わってきて微笑ましい。「半日ホームステイに希望すること」「日本文化で興味があること」「ホストファミリーへのメッセージ」の欄はさすがにほとんどが英語だったけれど、最後に「どうもありがとうござます」と書いている子がいた。何度も消しゴムで消して書き直した跡が見える。
我が家までの道順や約束の時間などの連絡を取るにはメールが楽だからと、グループのリーダーの子にアドレスを訊いたところ、hitokiriで始まるものだったので、ドキッとした。趣味の項目に、「けんぽう」と書いていた子である。大丈夫かなあ。人斬り。目が据わっちゃったような、暴力オタクというか、武器オタクみたいな子じゃないだろうねえ、などと、ちょっと心配になった。
当日、ヒトキリくんの母親の運転するピックアップトラックで約束の時間きっかりにやって来た彼らは、しかしながら、とてもかわいらしい、いい子たちであった。まずは三人ソファに座らせて、自己紹介。
「ボクのナマエは、ショーンくんデス」
「ボクはクリスくんデス」
「ボクはロビーくんデス」
彼らはなぜか自分の名前に「くん」をつけるのであったが、最初からいきなり間違いを指摘して緊張させてもかわいそうなので、そのままにしておいた。
ショーンくんに、「『ヒトキリ』で始まるメールアドレスにはビックリしたよ」と言ったら、肩までの髪を後ろで束ねた彼は恥ずかしそうに笑った。目が据わった武器オタクどころか、女の子みたいなやさしい顔立ちだ。弟が三人いると自己紹介書で知っていたせいか、それともグループのリーダーを務めているせいなのか、神経が細やかでよく気がつく彼は、映画「ギルバート・グレイプ」のジョニー・デップを彷彿とさせた。習い始めて数カ月の拳法の紫帯のテストがもうすぐだ、と言っていた。
日本語を勉強し始めて一、二年という彼らとは、なかなか会話が思うように進まず(どうしても会話というよりは詰問みたいになってしまうのだ)、その後はお好み焼きを一緒に作って食べ、それから花札を教えた。高校生に花札って教育上どうなのよ、という気もしたが、ちょうど地元のコミュニティーペーパーに花札の記事が載っていたこともあり、エキゾチックなカードゲームということで教えてみた。「花見・月見で一杯」なんて説明しながら、あとで親から「飲酒を奨励した」なんて苦情がこないだろうね、とやや心配ではあった。飲酒や喫煙はたしかに未成年にはお勧めできないことだが、アメリカの大人にはときどきそういうことにヒステリックなまでに過敏に反応する人がいるから。
この日、一緒に過ごしたほんの数時間(しかも結局そのほとんどは英語で話してしまった)のあいだに彼らがなにかを学べたかどうかは謎だけれど、私にとっていちばん印象に残ったのは、彼らの学校の日本語クラスの男女の比率である。二十五人いる生徒のうち、女の子は五人だけ。あとは全部男の子なのだそうだ。
男の子に人気の日本語。なぜ?
彼らは、
「サムライ」「アニメ」「ゲーム」
と答えた。なるほど、そういわれると合点がいく。三人とも、「キル・ビル」はすでに見たと言っていたし、公開間近のトム・クルーズの「ラスト・サムライ」も心待ちにしているようだった。
最近の海外での日本ブームというのは、サムライに代表されるような伝統文化と、アニメやゲームなどのポップカルチャーの二本立てなのだなあ、と改めて思った。そういえば、先日見たLost
in Translationという映画でも、京都の神社仏閣の静寂と、渋谷あたりのポップで騒々しい感じとが対比して描かれていた。
コッポラの娘が監督したこの作品は、評論家にはすこぶるウケがよく今もロングランヒット中なのだが、私には、思わせぶりな、もったいつけた映画と映った。久しぶりに「金返せ」って感じの映画だったよ、と日本好きのイタリア人(滞米十年以上・妻は日本人)の友人に言ったところ、「なんで?」と訊かれた。
彼はまだ見ていない映画だから私がバイアスをかけてはいけないと思い、控えめに「金返せ」の理由をいくつか述べた。そして、
「正直なところ、猥雑で混沌とした渋谷あたりのゲームセンターやカラオケボックスのシーンは、あんまり外国人に見せたくないなあ、と思った。あれがいまのトーキョーの姿ではあるんだけど」
と最後に付け加えたところ、彼はニヤニヤしながらひと言、
「偽善者」
と言った。
そんなこと、これまでに言われたことがなかったのでハッとした。
宮崎駿のアニメ映画がアメリカで当たればうれしいし、アメリカのテレビで「マンガ」という言葉がそのまま使われているのを目の当たりにすれば誇らしくも思う。その一方で、トーキョーのポップさを表現するために、刹那的な感じの若者で溢れたネオンギラギラの渋谷あたりの映像が使われているのに出くわすと、神経を逆なでされたような、イヤな気分になるのも事実である。それがガイジンの作り上げたでっちあげのトーキョーの姿なら笑い飛ばすこともできるが、本当の姿なのだからぐうの音も出ない。
そういう真のトーキョーを外国人に見せたくないと思ってしまう私は偽善者なのかもしれない。が、一方では、相変わらずニッと笑いながら「ボクはシブヤが好きだ」と言うイタリア人の彼を見ていたら、そういうシブヤ的混沌やポップさ、猥雑さ、いかがわしさなどを手放しで面白がれるのは、若い人たちとガイジン――つまり責任のない人たちなのかな、という気がした。日本のポップカルチャーが外国で脚光を浴びるのはうれしいが、ポップがちょっと行き過ぎたような猥雑なシブヤ的映像を目にすると、年々増えつつある青少年の犯罪だとか、定職につく気もなくフリーターという身分に甘んじている若者だとか、学生の学力低下だとか、新聞に日々報じられているような問題が頭をよぎって、胸のあたりがざわざわする。私の肩に日本の将来がのしかかっているわけではないけれど、「あー、アメリカのテレビに渋谷が出てるー」と呑気に構えてばかりもいられない。
半日ホームステイから二週間ほど経って、我が家に来た三人の高校生からお礼のカードが来た。添えられた日本人教師からの手紙には、クリスくん(三人のなかではいちばん日本語をよくしゃべり、お好み焼きをいちばん喜んで食べていた子だ)が来年の夏休みに日本にホームステイする予定だと書かれていた。行き先は、静岡。マンガやゲームだけでなく、日本人の普通の暮らしに触れ、いい友だちをたくさん作って、ポップ以外の日本にも魅力を感じてもらいたい、と思う。
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