アメリカのおいしい生活
12月
22日月曜日

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  #22  クリスマスのお値段
 
 

 十一月第四木曜のサンクスギビングが終わったと同時に、「どどどっ」という音が聞こえるんじゃないかというほどに、世の中はクリスマスシーズンになだれ込んだ。
 街は賑々しく飾りたてられ、どこに行っても人も車もいつもより多い。郵便受けには「十二月二十三日○時までに受けた注文品はクリスマスまでの配送可能」と表紙に書かれた各種カタログ類が届くし、新聞にはスーパー、ホームセンターや電化製品屋の広告が毎日のようにごっそり挟まっている。
 テレビもクリスマス一色だが、この時期楽しいのは、普段はあまり見かけないようなガジェットのコマーシャルだ。電動鼻毛切り、電動ハサミ、冷凍ピザ温め専用オーブン、電動キッチンブラシに電動チーズおろし器。こういう、一見便利そうに見えて実はあまり役に立ちそうもない発明品のコマーシャルは、ちょっと安っぽい感じで、しかも「なーるほど、これは便利!」なんて、不必要なほどに大げさなので面白い。チーズなんていっぺんに大量におろすもんでもなし、電動でなくてもよかろう、と思うのだが。
 アメリカ人のクリスマスショッピングに賭ける情熱はすさまじい。プレゼントを渡す相手は家族や友だち、恋人にとどまらず、遠くに住んでいる親戚やら、はては子供の学校の先生(教科ごと)にまで及ぶ。渡す相手のリストだけですでに長いのに、親しい人へのプレゼントは一個だけではなく、メインのプレゼントに加えて何個か

複数用意するのが習わし

なのだから大変だ。
 先日会ったご近所の奥さんは、クリスマス前の土曜の晩ということで特別に夜中の十二時まで開いていたショッピングモールで閉店まで買い物をし、そのあと家に戻ってから、午前三時までかかってプレゼントを包んだ、と言っていた。彼女は社交的で世話好きだからプレゼントを渡す相手も相当多いんだろうけれど、それにしても午前三時まで、って。聞いているだけで疲れた。
 ご近所といえば、ウチの界隈はちょっとすごいことになっている。サンクスギビングの翌日に待ってましたとばかりに赤と白の電飾を家に飾りつけたお宅を筆頭に、ウチの周りの十五軒ほどが次々に家のライトアップを始めたのである。まるで競い合っているかのようだ。ウチの斜向かいのお宅などは、便利屋らしき業者を雇って電飾を家に取りつけてもらっていた。日が暮れると、それぞれの家の色とりどりのライトが窓から見える。まるでディズニーランドのエレクトリカルパレードのなかに住んでいるみたいなのである。
 ……と書くと、いかにもウィンターワンダーランドって感じで「素敵!」ってことになっちゃうのかもしれないが、実際のところはちょっと違う。十五軒ほどが思い思いに飾り付けた電飾は色も飾り方もてんでばらばらで、トータルで見るとお世辞にも趣味がいいとはいえない。それに、昼のあいだが物悲しい。電気の入っていない色つき電球はべたっとした色をしているし、家の壁面を這う電気コードが見えるのも興ざめだ。窓の上部に飾られた、小さな白い電球がいくつも連なって闇のなかではつららのように見えるタイプのものも、昼間はただのすだれみたいだ。
 私はやたらと目がいいので舞台裏までつい見えてしまうわけなのだが……。ライトアップは、背の高い建物とか橋などの大きなものをプロが飾り付けるにとどめておいたほうがいいんじゃないだろうか、とこっそり思っている。
 というわけで、我が家はご近所ではごく少数派の電飾なしの家である。今のところ、ピカピカ光っていないのは、ウチともう一軒だけ。電飾なんていらないよ……とか言いながら、毎晩もう一軒の電飾なしの家を窓からチェックしては、「よし、ウチだけじゃないな」とこっそり安心していたりする。
 そんな我が家も、電飾こそ表につけていないが、実は今年はクリスマスに向けてずいぶんとがんばったのである。アメリカに住んで十一回目のクリスマスにして初めて、本格的なツリーを飾ってみたのだ。
 これまでは、クリスマスなんて外国のお祭りをほいほい祝うというのもなんだかこっ恥ずかしいなあ、という気持ちがあったし、それにショッピングに血道を上げているアメリカ人を目の当たりにして、コマーシャリズムに踊らされてるなあ、と鼻白む思いもしていた。そこに生来の面倒くさがりと貧乏性が加わって、「来年は飾ろうかね」などと言いつつ、クリスマスツリーを毎年パスし続けてきたのである。
 そんな私が今年はどうしてまた? 自分でもよくわからないのだが……。オレゴンには至るところに背の高い針葉樹が生えているからだろうか。十一月に入って以降、ほとんど雨の日ばかり、というのも影響しているかもしれない。夏のあいだは天気のいい日ばかりでイチゴやさくらんぼ、ブルーベリーを摘みに行ったり、ピクニックに行ったりと楽しいことがたくさんあったが、冬になったら雨、雨、雨。心が浮き立つようなことがひとつもないのだ。
 それと、近くに「あのツリー」がない、というのも大きい。「あのツリー」とは、ニューヨーク名物、ロックフェラーセンターの巨大ツリーのこと。ニュージャージーに住んでいた十年近くのあいだに、何度か見に行った。といっても、わざわざ行ったのは最初の年だけで、あとは日本からのお客さんを連れて行ったり、あるいは通りがかりに「見てく?」という程度であった。が、近くにない、となると妙に恋しいもので、先日、十二月初めの点灯式のときには、その様子を伝えるテレビを食い入るように見てしまった(ニュージャージーにいたころはそんなものテレビで見たこともなかったし、だいたい点灯式がいつなのかも気に留めたことがなかった)。
 ポートランドの街の中心、パイオニアスクエアにもツリーが飾られた、と聞いたので行ってみた。が、もちろんロックフェラーセンターのに比べたらほんのひよっこというサイズの木だし、黄色っぽい白一色の電飾は清楚ながら豪華さに欠けた。雨がどかどか降るなか、路肩に停めた車のびしょぬれウインドウにツリーのライトがぼんやりと滲むのを見ていたら、なんだかひどく悲しくなってしまったのだった。
 というようなわけで、私は初めて家にツリーを飾ってみたのである。木は、幹線道路沿いの空き地にオープンしていたクリスマスツリー屋で買った、ノーブルという種類の七フィート(約二メートル十センチ)の樅の木。五十三ドル。もう少し安いダグラスという種類もあったのだが、緑の濃さが断然違うのでちょっと奮発。高いなあ、と思っていたら、少し足を伸ばして樅の木ファームまで行けば、同じサイズのものが二十ドル以下で手に入る、と聞いた。来年はファームまで行くぞ、と決意。
 今まで全然知らなかったのだが、オレゴンは

全米一のクリスマスツリーの産地

なのだそうだ。昨年、全国で飾られた二千二百三十万本の本物のツリーのうち、八百万本がオレゴン産だったという。約三十六パーセントのシェアというのだからすごい。が、オレゴンのクリスマスツリー生産者は危機感を抱いているのだそうだ。それというのも、プラスチック製の樅の木を買う人が増えているから。一九九〇年には本物の木と人工の木の割合はちょうど五分五分だったのが、昨年には三対七になってしまった。
 木を買うに当たっては、私も、本物の木にするかプラスチックにするかで少し悩んだ。コメディの「フレンズ」で、ちょっと変わったキャラクターのフィービーが、「せっかく育った木を切って、クリスマスが済んだら捨てちゃうなんてかわいそう!」といって枯れた木に飾り付けをするエピソードがあるのだが、私も、なんとなく「木を切る」というのがいけないことのような気がして、繰り返し使える人工の木に一時は心が傾きかけた。水をやる必要もないし、針みたいな葉っぱが家の中にも散らからないから便利そうでもあるし。
 しかし考えてみれば、畑に苗を植えて育て時期が来たら収穫して売る、というのは野菜などと同じことなのだ(これが「木」となるとなんとなくエコ心が痛むというか、罪悪感が頭をもたげるのだが)。全米一の産地に住んでいるのにわざわざメイド・イン・チャイナの偽物の樅の木を買うのもなんだなあという気もしたし、地元経済に貢献しなければという使命感も湧いてきたし、で、本物の木を買うことにしたのだ。
 ツリーを立たせておくためのスタンドが十ドル、そのスタンドを隠すためのスカートが百ドル。木を飾るオーナメント類がやはり百ドル。クリスマスツリーを飾るって高い。樅の木は毎年買わなければならないとしても、ほかのものは毎年使いまわせるものばかり。こんなことなら、もっとまえからツリーを飾っておけば、一年当たりのコストは低くなったはずである。スカートもオーナメントも、今年限りなんてもったいないから、来年以降もツリーを飾らなくては。人は、こうしてクリスマスの虜になっていくのだろうか。
 ツリーを飾っての三百ドル近い出費に私は涙しているのだが、朝の三時までかかってプレゼントをラッピングしたご近所さんや、業者を雇って家をライトアップしたお宅は、いったいクリスマスのためにいくら使ったのだろう。想像しただけでめまいがする。

 

 

 

 

 
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