オレゴン通信(連載エッセイ)

大石洋子 2018年6月8日

大石洋子 2018/6/8
#291 ヒデキ祭り開催中

 大変ご無沙汰いたしました。
 気が付けば、最後に記事を書いたのが去年の夏。すみません、長いこと音沙汰なしで。
 どこか具合が悪いのではないかとひそかに心配していた友人もいたようだが、そうではない。実は、日本にいる友人の会社を手伝うことになり、ある商品の輸入販売をしているのだ。ちょっとお手伝い……のつもりがムキになってしまい、毎日フルタイムで働いている。アメリカで働く、しかもアメリカ人相手に営業をするというのは初めての体験で、毎日笑ったり、泣いたり、怒ったり。いろいろある。
 まあそれについては今度じっくり書くことにするが、そんな仕事の忙しさに加えて、ここのところさらに落ち着かないのは、ヒデキのせいである。
 ヒデキロスが止まらないのだ。いや、ロスというのは当たらないかもしれない。亡くなる前は、「子どもの頃のアイドル」ぐらいの認識だったのだから。それが、なんとなく映像を見てみたら、カッコよさの程度が記憶の中とはケタ違いで、圧倒された。ロス――失ったというよりは、ヒデキは亡くなってから、私の心の中に入り込んできた。毎日、家族に呆れられるくらい、YouTubeでヒデキの映像を見ている。
 一番好きな曲は、「ジャガー」だ。
 劇的なイントロ、みなぎる情熱、ギターソロに重ねて照れくさいほどにカッコいい台詞が入っているばかりか、「アォ!」とシャウトもしてくれて、しかも空中キックもあり。付録いっぱい、一粒で何度もおいしい大サービスの曲である。
 どの年齢のヒデキもカッコいいが、ハタチ前後がとりわけいい。若々しくて、自由自在で、一生懸命という感じ。長髪がこんなに似合う人もちょっといないだろう。
 二番目に好きな曲は、「君よ抱かれて熱くなれ」だ。甘い歌い方で、ところどころに小さな「ン」が入っている。それでいてベタベタした感じはない。「唇は使えないよ、僕がふさいだ」という歌詞にヤラレちゃうのだが(阿久悠!)、それも若いヒデキがにこやかに歌うから、ちっともいやらしい感じがしないのだ。曲の後半は、ぱあっと明るく爽やかな青春調というか人生讃歌ふうに変わって、これがまたいい。
 彼の曲はそのほとんどが男女の愛についてだが、人称の組み合わせに注目するとなかなか面白い。「僕・君」、「僕・あなた」「俺・お前」「俺・君」などなど。「君よ抱かれて……」は、「僕・君」で、ちょっと上品な感があり、「ジャガー」は「俺・君」の世界である。「俺」ときたら「お前」がスタンダードかと思うが、「俺」に「君」とは……、なんとなく不良っぽいヒデキとお嬢さん? って、ああ、「愛と誠」の世界か! と膝を打った。「僕・あなた」の組み合わせは、年上の彼女との禁じられた愛ですな。
 同年代のヒデキ好きの友人2人と、LINEでヒデキ関連の話をしているのだが、先日は、ヒデキに何と呼ばれたいかで盛り上がった。
「年下のヒデキに、『あなた』って呼ばれるのいいなあ。『あなたはいつも逃げてばかりだ!』ってなじられてみたい」
「『あなたはどうしていつまでも僕を子ども扱いするのさ』とかね。あの声で。くくーっ」
「私は先輩想定で、『石塚(仮名)、おまえさあ』って呼ばれると萌える」
 こういうのを延々とやっている。バカみたいだが、かなり楽しい。
 亡くなったのは悲しいけれど、しかし亡くなったことによってヒデキは、変幻自在というか、時空を超えるようになった。以前は(いや、以前からこんな妄想をしていたわけではないが)実際の年齢があったから、昔のヒデキを見ると「若かったね」で、その時自分は何歳だったかに思いを巡らすだけだったが、亡くなってからは年齢から解放され、自分との位置関係が完全に自在になった。
 ヒデキを何と呼ぶか、という妄想になると、もうそれはチョイスがほぼ無限にある感じで、「年下想定で『西城くん』」から、「年上想定で『西城先輩』」まで、いろいろ。同級生の「西城くん」とは、同じクラスがいいか、違うクラスがいいか、なんてことまで結構真剣に悩んだりして……ファンというのは無邪気である。
 それにしても、ヒデキはアイドルの一人だと思っていたが、ここへきて認識を改めた。なんとなく、日本の歌手は歌はそこそこ、というアタマがあって、ヒデキもそんなもんかと一緒くたにしていたのだが、改めてじっくり聞いてみて、彼の歌唱力に驚かされた。
 レコードで聞くと歌が上手い、というのはたいていの場合当たり前だが(いろいろ工夫が凝らされているから)、ヒデキはライブも上手。というか、ライブのほうがいい。上手さが変わらずに安定していて(クレーンに乗って高いところで歌っていても!)、しかもアレンジも入ってレコードの上を行くのだ。ライブでのいまひとつの歌唱に「やっぱり環境揃ってないし、仕方ないよね」というパターンが普通だから、こういう歌い手はかなり珍しい。
 ヒデキには、爽やか兄さん路線(「ヤングマン・YMCA」)と、ワイルド情熱路線(「激しい恋」「ジャガー」)という二面があるが、どちらが好きかと聞かれれば、それはもう後者である。先ほども書いたが、「俺の目を見ろ」とか「好きだ、好きなんだよう!」とかいうような照れくさい台詞を熱っぽく叫ばれると、文句なく「きゃー!」である。ハートを射抜かれる。
「アメリカンアイドル」の辛口審査員のサイモンなら、「theatrical(芝居がかってる)」と一蹴するかもしれないが、いや、その芝居がかった感じがヒデキの真骨頂なのだ。ヒデキは海外のアーティストにたとえると誰なんだろうかと考えていたのだが、エルヴィス……? いや、クイーンのフレディ・マーキュリーとか、レッド・ツェッペリンのロバート・プラントなどが近いのではないか。
 持ち上げすぎかと思いつつ書いてみると、クイーンがオペラっぽいように、ヒデキはミュージカルっぽい。悲恋の一幕モノを、一曲入魂、大きなスケールで熱っぽく歌い上げる。ロックミュージカルという感じだ。「飛んで来い、抱いてやるぅ!」などというこっ恥ずかしい台詞を思い入れたっぷりに叫べるのは、そしてそれをやってサマになるのは、ヒデキだけであろう。
 これは、彼のルックスや歌唱力に加えて表現者としての資質もあるが、もちろんそれだけではない。「この子は『ワイルド』で行こう」と決めたプロデューサーの存在も大きいし、阿久悠、三木たかしコンビの曲作りも大いに貢献している。
 おまけに言うと、右肩上がりの昭和という明るい時代性、それに、家族全員でひとつのテレビを見ていた時代、しかも家庭用ビデオがなくて、アイドルのことをいつでも自由に見られない時代だったというのも大きい。ヒデキが見たいから「夜のヒットスタジオ」を見る、ビデオに録っておけないから食い入るようにじっくり見る、そしてまた見たい、次は何だろう――そんな渇望感があった頃だった。そしてヒデキもそれに応えた。今だったら、いつでもどこでもビデオが見られるからヒットの期間も短く、消費されるのが早かっただろう。
 いろいろと考えると、ヒデキというのは、惑星の軌道がぴたりと重なって何十年かに一度見られる皆既日食というぐらいの確率で出てきたアイドルなのではないかという気がする。全部がパチッと合わさった感じ。どの要素が欠けても生まれなかったアイドル。多様化が進んだ今となっては、ヒデキのような全国的で老若男女に受けるアイドルというのはもう生まれないであろう。
 今やヒデキは時空を超えた。妄想の中で、時に年下になって甘えたりすねたりするかと思うと、急に大人になって、ふっと笑いながら大きな手で頭をポンと叩いてくれたり。リハビリを兼ねて野菜作りをしていたのをワイドショーの映像で見てからは、ジジイヒデキと仲良く土いじり、というバージョンも加わって、妄想の幅も広がった。まだしばらく、私の中のヒデキ祭りは終わりそうもない。


著者プロフィール

大石洋子(おおいし・ようこ)
アメリカ在住のエッセイスト。上智大学文学部ドイツ文学科卒。1993年、夫の海外赴任でアメリカ・ニュージャージー州へ。2003年には異動のためにオレゴン州に転居。現在は、日に日に生意気になる娘に手を焼くかたわら、本Boiled Eggs Onlineの連載と、ENGLISH JOURNAL(アルク)の「オレゴン12カ月」でオレゴンでの生活をつづる。

オレゴン州:
全米屈指の美しい景観を誇るアメリカ西海岸の州。IT、バイオテクノロジー、環境関連企業の成長が目覚ましい。ナイキなどのスポーツ企業も多い。州都はセイラム。最大の都市は人口約60万のポートランド。

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