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先週、遅い夏休みでニューヨークに行ってきた。オレゴンに引っ越して以来、一年九カ月ぶりのニューヨークである。
季節の変わり目の旅行は、いつもどんな服を持って行っていいものやら途方に暮れる。考えに考えて万全の準備で家を出たつもりでも、旅先では、「あー、あのカーディガン持ってくるんだった」と後悔したり、道行く人の着ているものがやたらとよさそうに見えるのが常だ。
そんな旅先でのないものねだり感が、今回のニューヨーク行きではいつにもまして募った。季節の変わり目だからというだけではない。ニューヨークには、ぱりっとおしゃれな人たちが多いからだ。
マディソンアべニューなんかに行ったのもいけなかった。そのへんの高級アパートに住んでいそうなマダムたちが、品のよいカジュアルスタイルで犬を散歩させたり、ショッピングしていたり。こちらはオレゴンからの子連れ旅行である。おっぱいやらねばいかんから、とTシャツ、靴擦れができたらイヤだから、とスニーカー。髪を振り乱してベビーカーを広げたり畳んだり、鼻を垂らして泣いている子供をよっこらしょと抱き上げたり。次に来るときにはもう少しぱりっとしてこよう、とウィンドウに映る自分を見ながら思った。
月曜の昼下がり、ベビーカーを押しながら歩いていたら、見知らぬおじさんが
「あれは我が国の国務長官だよね?」
と話しかけてきた。指差す先には、コリン・パウエルが、イタリアンブランドの靴屋でショッピングの最中であった。そういえば、国連総会が開会中である。
千代の富士似の国務長官は、小さな店内のソファに腰掛けて、靴を試し履きしていた。こんなところにひとり? と思っていたら、少し離れたところにスーツ姿のいかつい男性が立っている。耳にはイヤフォン。シークレットサービスだ。気がつけば、店の外にももうひとり。子連れで無邪気そうに見える私たちにもさりげなく注意を払っている。
うやうやしくひざまずいた店員の助けを借りて何足も試し履きしていた国務長官は、結局、なにも買わずに店を出た。
もうひとりマディソン街で見かけた有名人は、ジェリー・サインフェルド。コメディアンで、九年間続いた「サインフェルド」という人気TVコメディの主人公を演じていた。
私は、目がいい上にいつもキョロキョロしているので、街で有名人を見つけるのが得意である。一瞬すれ違っただけでも「あ」となるし、レストランのなかで食事しているのを外の通りから見つけることもある。実益ゼロの特技だ。
この日のサインフェルドも、野球帽にサングラスで、ぱっと見にはわからないのだが、私の目はごまかせなかった。信号待ちしている彼の後ろに立った瞬間、横顔を見てすぐにわかった。
こういうときは、連れに一刻も早く言いたい。が、本人を前にして、「ほら、サインフェルド」などと名まえを言うのは憚られる。それで、とりあえず「十一時の方角に有名人あり」と、横にいた夫の注意を促した。夫は、左斜め前に視線をやり、横断歩道の前に立っているサインフェルドを認めた。
「あ、ああ。あのー立ち合い漫談の?」
「そうそう、長く続いたお笑い番組の」
スタンダップコメディアンとか、テレビのコメディとかいう言葉も本人のすぐそばで使うのは憚られるから、無理やり日本語に直す。戦時中の野球用語みたいである。
私たちの後になり先になり、マディソン街をぶらぶら歩いていたサインフェルドは、不動産屋のまえで立ち止まって、ウインドウのなかの物件広告に見入っていた。
「彼は住み替えを考えてるんですかね?」
「そうかもね。彼の住むところは、数百万ドルはくだらないところだな」
それから私たち夫婦は、サインフェルドの懐具合について議論した。大ヒットした「サインフェルド」というコメディはもう六年もまえに終了しているのだが、その後、放映権が売られたようで、いまだに複数のテレビ局で再放送され続けている。
「放映されるたびにいまでも彼のふところに出演料が入ってるのかな? それとも最初の出演のときにもらっただけ? いや、放映権が売られるたびになにがしかのお金が入ってくるということなのかも」
まったくもって、余計なお世話である。
しかしまあ、私たちが他人の懐具合まで詮索するようになってしまったのも、ニューヨークという街のせいかもしれない。ぼんやりしているとお金がどんどんなくなってしまう大都会に数日いたら、
すっかりお金コンシャス
になってしまったのだ。
セントラルパークのすぐそば、コロンバスサークルの裏手にあるホテルに滞在中、娘の離乳食用のオートミールを作るのに熱湯が必要になった。やたらとすかしたホテルで、部屋には湯を沸かす道具がない。
「少しお湯が欲しいんですけど」
ベルキャプテンに電話で頼んだら、
「三ドル七十五セント、プラス税金をいただきます」
以前、イタリア・アッシジのホテルで、連日のイタリア料理に疲れた胃をいやそうとカップうどんを作るのに湯を持ってきてもらったことがあったが、このときはタダであった。そのつもりでいたから、ビックリした。しかも、赤ん坊用だからほんの百CCほどの湯が欲しいだけなのに。
やがて、大きなステンレスの盆の上に載せられて、三十センチほどのポット入りの湯が到着した。持参のお茶を飲むとでも思ったのか、小さな瓶入りのはちみつと小袋入りの砂糖も添えられている。なんだか、ただの湯を無理やりルームサービスっぽく仕立てて、三ドル七十五セントを正当化しているようであった。
ともかく無事に娘にオートミールを食べさせてから外出し、夕方、部屋に戻ったら、ほとんど中身がはいったままのポットは片付けられていた。またまた離乳食の時間で、ポットの湯がちょうどいい具合に冷めているころだな、と思って帰ってきたのに。がっくり。
一日二回の離乳食の度に四ドル近くを払うのもばかばかしい。結局、湯が欲しいときには、容器を手にロビーの裏にあるレストランまで降りて行って、「ベビーフードを作るのでここに少しお湯をくれますか」と頼むことにした。レストランの入り口にいる案内係は、こころよく、しかもタダでお湯をくれたのであった。
ニューヨークでは、三ドル七十五セントの湯ぐらいで驚いていてはいけない。
すし屋に行った。日本にも多数店舗がある店で、板前は日本人ばかりだし、店構えも日本的。きちんとしたすし屋である。
そこで、食事のついでに、生後七カ月の娘の離乳食用にゆで卵を作ってもらえないかと頼んでみた。もちろんお代は払いますから、と。
徳光和夫を若く細くして愛嬌を抜いたようなウェイターは、「できるかどうかキッチンに訊いてみます」と言って奥へ消えた。
しばらくして戻ってきた彼が「できます」と言ったのでほっとしたが、それに続いた言葉に仰天した。
「一個、五ドルいただきますが、よろしいですか?」
ヤング徳光は無表情に言い放った。
ゆで卵がひとつ五ドル。
なにそれ、と思わず夫とふたり顔を見合わせた。が、もうあとに引けない感じもあったし(見栄っ張り)、それに赤ん坊の離乳食にたんぱく質を加えるのにゆで卵が必要だったし。で、なるべく平静を装って、「それじゃあ、二個お願いします」
しばらくして、ウェイターがうやうやしく店のロゴ入り紙袋を持ってきた。使い捨てのプラスチック容器のなかに、ゆで卵がふたつ。容器の底には、ご丁寧に笹の葉が敷かれている。それに、赤ん坊用だと言ったにもかかわらず、箸が一膳と小袋入りのしょうゆがふたつ。
バカにされているのかと思った。あるいは、「五ドルです」と言われた時点でやんわり断られていたのだろうか。帰って欲しい客にお茶漬けをすすめるという京都の人みたいに。
翌朝、早起きした夫が、ホテルのすぐそばのデリで新聞とコーヒーを買った。レジのわきには、ゆで卵が山と積まれていて脱力したそうだ。
「高い卵なんだから、ちゃんと食べてよ」
まるで珍味でも食べさせるみたいに、娘に卵を与えたのであった。
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