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ついにアメリカのイラクに対する攻撃が始まったが、オレゴンでの私の日常には今のところなにも変わりがない。戦争をしている国に住んでいるという実感はゼロである。攻撃開始直前、ローカルのテレビ局が、三日分くらいの生活物資の買い置きや非常時のための備えについてレポートしていた。そんなものが必要な事態になるとは考えにくいが、それでも、テレビが言うなら……と、水の買い置きでもしようかと思ってスーパーに行ったところ、ミネラルウォーター売り場はいつもと変わらぬ品揃えだったので買わずに帰ってきた。人々が買い占めに走っているわけではなさそうだ。戦争は一大事だが、メディアが一般市民の不安や恐怖心を煽り立てるそのやり方に腹が立つ。躍らされた自分も情けない。
車のナンバープレートを早くオレゴンのものに替えなければ、と思っている。一月下旬に移ってきてからずっと先延ばしにしてきたので、いまだにニュージャージーのナンバーで走り回っているのだ。まだこの辺の道に不慣れなせいで周りの車にヒンシュクを買うような運転をしてしまうことがしばしばあり、そんなとき、ニュージャージーのナンバーだと「このあたりには不案内」ということが一目でわかってもらえるから重宝していた。でも、戦争が始まって報復テロに対する警戒を強めるため、これからは検問が頻繁に行われると聞いた。アメリカ大陸の反対側から来た車がこんなところで何をしているんだ、などといちいち止められるのも面倒くさい。早いところ
オレゴニアンに同化
したほうがよさそうである。
イラクへの攻撃が開始された日の翌日、ポートランドのダウンタウンではふたつの集会が開かれた。ブッシュの決断をサポートするグループと、戦争反対のグループだ。ヘリコプターからの映像をテレビで見たが、戦争反対派に比べると、賛成派のほうの集まりはぱっとしなかった。まあ、集会というものは伝えたいメッセージがあるからするわけで、彼らのメッセージはすでに聞き届けられて実現済みなので、いまさら集まる必要もないのだろう。
戦争反対派のほうの集会はどんどん大きくなっていき、警官隊と小競り合いになったりして逮捕者も出た。夜半になって、ポートランドの街を南北に二分するバーンサイドストリートに座り込みを強行する七十人ほどのグループと警官隊とのあいだに緊張の走る場面もあったが、拡声器での呼びかけに応じて自発的に帰る者あり、警官に抵抗することなく逮捕される者あり、というわけで見た目の物々しさの割には平和的に散会していった。
座り込みの現場は、我が家から車で十五分ほどの見慣れた通りであった。そんな身近なところで起こっている出来事をテレビで見ながら、こういう集会で興奮して暴走する輩が出てこないといいな、と思った。私は心情的には戦争反対派に近いと思うのだが、自分の身の安全ということになると、非日常的な事態に気が立って過激になる人というのが怖い。「ワールドピース」を訴える者たちが人を傷つけるような行為に及ぶとは考えにくいが、反戦集会でゴミ袋に火をつけたような不届き者もいるというから、これがなにかのきっかけで暴動に発展しないとも限らない。正直なところ、報復を企てるテロリストにも用心だが、やたらと気の立ったアメリカ人にもやや注意、と思っている。
さて、前置きが長くなったけれど、今回はパウエルズのことを書こうと思っていたのだ。パウエルといっても、あの千代の富士似の国務長官のことではない。ポートランドの街にある、ユニークな本屋のことである。
おしゃれなレストランやインテリアショップが並ぶパール・ディストリクトという地域の端っこに位置するこの店は、外からはさして大きく見えないのだが、中に入ると圧倒される。なにしろ、世界一大きい本屋ということらしいのだ。夥しい数の本が、テーマ別に「ブルールーム」、「オレンジルーム」など色分けされた八つの部屋に納められている。NBAの選手でようやっと上まで手が届くくらいの背の高い本棚がざらーっと並ぶそれぞれの部屋は、複雑に入り組んだ階段や廊下で繋がっていて、まるで迷路のよう。無駄歩き及び遭難防止のために、店に入ったらレジのところでまず店内マップを手に入れるのが賢明である。
ちょっと気のきいた街になら大型書店は多々あるが、パウエルズのユニークな点は、新品の本と古本を並べて置いていることだ。一階、オレンジルームの隅には古本を買い取るためのカウンターがあり、ここに持ち込まれた古本が、さらの本と同じ棚に並べられるのである。カレッジの教科書売り場などでは新品と古本とが隣り合って売られていることがあるけれど、店じゅう全部、ニューとユーズドが混ぜこぜという本屋はなかなか珍しい。
たとえば、「グレート・ギャツビー」のペーパーバックを買おうとフィッツジェラルドの棚に行く。ぴかぴかの新品が12ドル、ほとんど新品と変わらないおそらく新古本と見えるのが8.50ドル、ややくたびれた5.98ドルと5.95ドル、それに相当くたびれた4.95ドルが並んでいる、という具合。新刊本は新品ばかりだが、出版されてすこし時が経ったものはたいていこんなふうにくたびれ具合に応じて値段がつけられた古本が新品の隣に並ぶ。「ハリー・ポッター」のユーズドなどは、表紙の角がちょっと丸くなっていたりしてここに至るまでにどこかでひと仕事終えてきたという風情がうかがえるものの、新品の三割以下の値段であった。こんなことをしたらお客はみんな安いほうの古本ばかりを買ってしまって商売にならないんじゃないか、と思ったりするわけだが、一九七一年の創業いらい拡張を続けているようだから、いらぬ心配なのであろう。
もうひとつ、私がこの本屋で面白いと思ったのは、二階、レッドルームの外国語のコーナー。そこの日本語のセクションに、けっこうな数の日本の本が売られているのを見つけたのである。とはいっても、どうやら客(ポートランドには日本人がけっこう多く住んでいる)から持ち込まれた古本ばかりのようで、品揃えはちょっとむちゃくちゃだ。ちょっとまえのベストセラーが気の抜けたソーダのようなたたずまいを見せているかと思えば、「ギター弾き語り 藤井フミヤベスト」あり、その下の棚には「囲碁クラブ‘79」あり、「ホテルニューハンプシャー」の上巻のみあり。そんな書棚の前に、日本語を勉強していると思しきアメリカ人の男子学生を発見。本をあれこれ手に取ってはパラパラ見ている。
日本のマンガのコーナーもあった。こちらも古本ばかり。ちょっと前に別の店で少年ジャンプだかチャンピオンだかの英訳版を見つけて「日本のマンガは世界に羽ばたいてるなあ」と感心していたので、ジャパニーズコミックのコーナーがあるのは当然の成り行きかとも思った。が、悲しいかな、こちらも一般書同様、脱力の品揃えであった。続きもののマンガのナンバーが飛びまくりというのは、やはりマズイだろう。それにもかかわらず、こちらのコーナーでは、日本からの留学生と見える何人かの若い子たちが熱心にマンガに読みふけっていた。
ニュージャージーにいたころには、アメリカ全土に展開する、バーンズアンドノーブルという巨大チェーンの本屋を利用していた。広い店内のあちこちにソファが置かれ、支払い前の本の持ち込みがオーケーなスターバックスのコーヒーショップもあって、立ち読みならぬ座り読みを奨励している、こぎれいでなかなか居心地のいい店であった。
パウエルズのよさは、それとは別種のものである。パウエルズにだってコーヒールームはあるし座り読み用のベンチもあるが、単に物理的な快適さという意味では、バーンズアンドノーブルのふかふかのソファのほうがずっと上だ。それなのに、パウエルズのほうが居心地がいいのである。
ポートランドに移ってきてこの大きな本屋と出会ってから、なんでかなあ、と頭の隅でずっと考えてきたのだが、パウエルズの店内マップの裏表紙の右隅に、答えを見つけたような気がした。そこには、A
Proud Member of Book Senseとあり、すぐ下には、そのブックセンスという団体の説明がさらに小さく、Independent
Bookstores for Independent Mindsと書かれている。チェーン店ではなく、独立した個人経営の書店ということ。そして、そこに誇りを持っているということ。どの店に行ってもスタバがあって気のきいたソファがあってというような、チェーン書店の
金太郎飴的な画一さ
を嫌ったユニークな店なのである。
パウエルズには、バーンズアンドノーブルのような整然としたこぎれいさや豪華さはない。街の一区画を占めるだだっぴろくて飾り気のない店内にあるのは、本また本。それでも、もともとは古本屋から始まったというせいなのか、あるいは林立する書棚も階段の手すりも明るい色合いの木でできているからなのか、素っ気なさのなかに温かみを感じる。リサイクルに熱心で、自然を愛するオレゴニアンらしい店だなあ、と思うのだ。
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